さっきも桃の摘蕾をしてきたところですが、すごく楽しくて、毎日やりたいぐらいです。本当にずっとやってられるくらい楽しいなと思ったんですけど、その反面、慣れていない私は足手まといなんじゃないかとか、みんなの邪魔になっているんじゃないかとか、そういう雑念も出てきてしまいます。
仕事をする上で責任感は必ず持つべきだと思いますが、私がさっき思った雑念と責任感ちょっと似て非なるものがあると思います。仕事をする上で、責任感と雑念はどのように持って仕事をすれば一番うまくいくのか、教えてください。
【お父さんの答え】
桃の摘蕾が楽しかったということで、ああそうかもしれないなと思いました。
不思議なことに、桃には樹の下に立っているだけで癒されるというか、心が安らぐような、穏やかになる気持ちになることがよくあります。葉の茂ったときは特にそんな効果を感じますね。実際、気持ちの落ちた人が桃の樹の下に行くとね、気持ちが和やかになるという経験を何度もしました。
だから桃の摘蕾をずっとやっていたいと思ったっていうのもよくわかります。
さて質問は、摘蕾が楽しいと思いながらも、自分が足手まといになっているんじゃないかとか、間違ったことをやるんじゃないかという心配、つまり雑念が出てきてしまうということですよね。
やっぱり、最初のうちはそういう雑念が出てくるのは仕方がないと思います。
桃の木はやっぱり生き物なので、間違って残しておくべき蕾を落としてしまったら、取り返しがつきませんね。もうそこには桃の花も咲かなければ、実も取れません。
そういう取り返しのつかない感じが伴う作業には、そんな怖さが伴って当然だと思います。工業製品みたいに作り直すことはできませんから、一発勝負の怖さがあります。
だけど、桃の木っていうのは割と融通が利きます。本当はその蕾を残しておかなければならないのに、それを間違って取ってしまったとして、その分の栄養が他の花や実に回るので、トータルとしてそれでいい、ということがほとんどです。
現実に、桃を栽培している人によっては、桃をここにつけたい、ここはいらないという判断基準が違うことも多いです。だから、本当はあんまり心配しなくてもいいことだと思います。
本当に心配だったならば、ある程度やって作業を進めておいて、そこでちょっと立ち止まって、摘蕾に慣れている人に声をかけて、私のやり方は間違ってないですか、と確かめながら進めればいいかなと思います。
また、雑念をなくすには、もし失敗したとしたら、どのぐらいの痛手なのか、損失の大きさを考えるといいです。
桃の樹のこの枝の摘蕾を大失敗して、その時の損害は最大でもこのぐらい、ということを事前に聞いておくといいでしょう。
この枝の花芽を余分に取り過ぎても、全体として見たときには、ほとんど痛手になりませんというのを聞いておくと、もう少し気楽にできるんじゃないかなと思います。
そして、ひと枝の摘蕾をやってから、それで的確にできているかどうかを確認する、そういうことを2、3度繰り返したら、あとはもう自信をもってできると思います。
それこそ質問者のいう「責任感」をしっかり持って、雑念なしでできるようになるでしょう。
いつもそうですが、慣れないことをするときは、失敗をしたときの最大の損害額を知ってから取りかかる、そして小さいパートをやってみて、それでいいかどうかを確かめてから精力的に取りかかるというふうにすれば、集中して雑念なく取り組めるのではないかと思います。
やっぱり桃の手入れが楽しいと感じてくれているのはとても嬉しいです。ぜひ楽しい気持ちを大事にして、失敗のことはちょっと横に置いて、思い切ってやってみてください。覚えれば覚えるほど、楽しさも深まっていくと思います。
(2024年2月26日 掲載)
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