キャパシティを大きくしたい。
一つ一生懸命になっていること(今であれば、浴衣係や、ウィンターコンサートの喫茶係)があると、それだけで頭の中が一杯になってしまい他のことがおろそかになります。畑チームで集まっていても作業をしていても、集合でお父さんのお話を聞いていても、集中しきれない感覚があります。どうすればキャパシティを大きくすることができますか?
自分の答え
一生懸命になっていることに関して全てに力を入れ過ぎ。力を入れるところと、抜くところのメリハリが必要。
【お父さんの答え】
なるほどね、人間のキャパシティというのは、変えていけないと僕は思うんですよね。
「一生懸命になっていることに関して力を入れすぎていて」と自分の答えにありますけど、力を入れているかどうかというより、頭の切り替えができているかどうか、という感じがします。
人って、ちょっとのことで頭が一杯になっちゃうのは誰も一緒で、キャパシティは誰もそんなに大きな違いはないという感じがしますね。
だけどいつも言うように、頭の中を外側の認識に向けて使っているか、自分の内側で自分のことを考えるなどして、自分の内側で使っているか、その配分のほうが大事な気がしますね。
この人はどうかというと、ここまで読んだだけですぐわかりますよね。お父さんの話に100パーセントを向けてない。つまり頭の内側での作業比率が大きいんですよね。
それは頭の切り替えの出来にくい人ということです。
切り替えの出来やすい人は、内側ゼロ、外側100パーセントで使えるので、常に目の前のことに集中できる。お父さんの話を聞いてるときは100パーセントお父さんに注意を向けることができます。
これはどうしたらいいのかなというと、自分のキャパシティを大きくする、じゃないんです。目の前のことに常に頭を100パーセント使える人になればいいということです。
例えば、集合で、お父さんお母さんの話を聞く場合には、後ろの方に座らないこと。
こういう人に限って、考え事をしながら人の話を聞きたいので、後ろに座る傾向があります。後ろに座ると目立たないので、そのぶんだけ考え事をする余裕ができちゃうわけですよ。お父さんの目の前に座って、考えごとをして、(明日の朝ごはんは何かな)と考えながら聞くというのは難しいですよ。
ここで考え事してる人いるよ(お母さん自身を指しながら)。隣で。
うん。それは……それはちょっと、また違う種類の人だね。
お母さんがお父さんのすぐ隣で考え事してるというのはわかる。お母さんも何か言いたくてたまらない。表現したいんですね。ところが脇に座ってるものだから、僕の話を聞かないといけない。聞くのが腹立たしいので別なことを考える。
自分がしゃべるんだったら喜んでしゃべるけど、僕の話しの入力は受け付けたくない、そういう発想ですよね。
究極の表現者というのはそうなのかもしれませんね。人の話は聞かない。人から教わらない。教えるのが上手な人は、教わるのは下手ですよね。
みんなはどっちですかね。教えてもらうのが上手という人は、人に頼ったりするかも――。
あゆ:
でも両方できる人いると思うよ。
そんな極端じゃない、いるよ。ねえ。上品に、両方できる人いるよ。
考えてみたら、いるな。確かにいる。考えてみたら。
僕は、教えてもらうのが苦手。
両方できる。お母さんは。
じゃあこの人の答え、お母さん、続きでね。キャパシティを大きくできないから、切り替えを早くする。目の前のことに集中できるよいにするにはどうしたらいいか。今までの考えを捨てる、横にすぐ置くことができる。
例えば朝起きるでしょう。起きて、いつまでもね、「お母さん、聞いて、さっき昨夜の夢なんだけどさ」って夢を引きずりたい人は、だめ。夢は忘れる。起きたんだから。
お父さんは、今朝、夢の話しをお母さんに言った。
今日、確かにちょっと言ったね。
いやいや、夢というのは、なんでかというと、今度のウィンターコンサートのストーリーの夢を見てたのよ。夢でストーリーを考えていたんだよ。
言ってみて。すごいで。
あゆ:
メモした?
いや、途中までコンサートのストーリーの夢を見てたのに途中からなぜか僕が講談社の社員になっていた。「ちょっといい仕事があるよ」って言って就職を斡旋してくれた人がいてね。僕はまだ若い歳なわけ。なんの仕事かわからないけど、ああそれはいい仕事だとなって、仕事が決まったから飲みに行こうと言って。それがカラオケで、ボッタクリのカラオケスナックみたいな所で、ボッタクリといっても大した金額じゃないんだけど、その人はお金持ってなくて、たまたま僕がお金持ってたので、お前タクシーで帰れ、僕は電車で帰る、と言って。地下鉄の案内を見て地下に入っていったら、今度は別のスナックに入っていっちゃって、なかなか電車に乗れないのよ。そんな夢。
あゆ:
その前のコンサートの夢はどうしちゃったの?
それを語ってるうちにその前に見ていたコンサートの夢が消えちゃった。
あの、ストーリーをずっと夢で見ていたのに、事件が起きないのよ。事件が。
あのね、だいたいみんな聞いてる人もいると思うけど、大体のあらすじとしては、……(まだ秘密です)……っていうようなことなんだよね。
ほとんど今、作ったようなもんですけどね。
やっぱり聞き役がいると、喋って面白がらせてやろうという気になるんだけどね。
お母さんと2人で考えていると……。
ごめんなさい。
お母さん、あとからアクセサリいっぱい付けるから。
お母さんはね、そうなんだよ。これ入れよう、これ入れようって。
お母さんに言ったのね。「『これいいでしょ、いいでしょ』って言うけど、お母さん、外出する服を決めるときに、アクセサリを決めてから服を決める? そうじゃないよね、服を決めてからアクセサリでしょ?」
コンサートで言えば、メインのストーリーが服で、小道具は、アクセサリでしょって。
こんなの入れよう、あんなの入れようっていったって、ストーリーがないのに、どんなのあんなのってそればかり言ってもしょうがないでしょ、って。
お母さんは、早く、とにかく中身作れって。それを弄くりまわすのが好き。
ストーリーはそんな簡単にできるものじゃない。
それで何だっけ、今日の質問って。
ああ、そうだった。あのね。キャパシティじゃなくて、こういう人は、その内側で作業しちゃう。頭の内側で作業しちゃうんだね、仕事をね。何かの係でも。頭の内側だけで作業すると、他の人とのコミュニケーションが取りにくくなるのよ。
頭を外側に向けて使っている人は、常に誰かとコミュニケーションをとっている。常に表現したりコミュニケーションしたりだけ。頭の内側の作業がないわけだから。
あとね、僕ね、お母さんは、人生そのものが外側の人だと思うわけ。
なんでかって言うと、ボランティアさん集めるでしょ。ボランティアさんがこのくらい集まっちゃうと、「私、ボランティアで来たんですけど、何かやることないですか」って必ず言うわけ、みんな。仕事がないとつまらない、手持ち無沙汰になっちゃう。
お母さんの得意なのは、私できないから、私知らないから、みんな手伝って、というのが得意なのね。
それで、この人に、これやって、これやって、これやって。……やってることは、発注という仕事なわけ。次々に発注する。みんなにやってもらう。終いには僕までいつの間にか使われている。教えてたはずが、僕もいいように使われてる。
ふふ。やっとわかったの。
お母さんが「料理ちょっとだけ手伝ってくれる? お母さんはこれやってるから目玉焼きやってくれる?」
目玉焼きなら簡単だなって、ジューッて焼く。
「おいしい、この目玉焼き……端っこのパリパリしてる加減、これ、私、作れない。こんなおいしい目玉焼き初めて。すごい」
って。
「そっか、そんなに美味しいのか……それほどでもないと思ったけど。もしよかったら、また僕が目玉焼き作るよ」
これだよね。これだよ。何係でも。何係でも、これをやらなきゃだめよ。これやって。これやって。うわあすごい上手ーみたいなね。わあすごい。そうやってみんなをやらせる。いつも外向きでしょ。ね。次は誰に何をやらせようか。外のアンテナを張り巡らせる。お母さんの人生は、全部それです。
あの、ある程度、ある程度ね、物事の道筋を知ってたり全容を把握してないと、頼んだりすることが、意外とできないんですよ。
だから作業全体のあらすじだけを把握してる。細かいところまで入り込まない。あとは誰に何をやってもらおうかっていう、それだけ考えているとね、キャパシティは大きくする必要ないけど、全体を掴むことができるし、どうせ人に頼むんだから細かな事は忘れちゃって、次のことを考えると、次に向かいやすい。
そういうふうな頭の使い方をするといいでしょう。外向きに使う。それがこの問題の解決策ですね。
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