誰かのいい所を探そう、見ようと思い、見つけた! と思った瞬間、自動的に自己否定をしています。
例えば、「◯◯ちゃんはフットワークが軽くて、作業効率がいいな」と思った瞬間、勝手に、
(自分はだめだ)
(体型がおばさん体型だからだ)
(頭、使えていない)
など、考えなくていいことが間髪をいれず頭に浮かんで、次の瞬間には、自分に突き刺さり、ひどいときには涙が出ます。
昨夜、自己否定のクセは簡単になおらない、というお話しがありました。
けれど、こうもすぐに自己否定して、凹んでいては、つみかさねていけないです。
人のいいところを、比べずに、自分を落とさずに、自分に入れることはできますか?
又、何度も話して頂いているのですが、もう一度、自己否定をなくす方法(反省をしない、以外)で意識したらいいことがあれば、教えていただけるとうれしいです。
ということですね。
うーん、これね、僕ね、この、自己否定は、かなり根本的な問題なんじゃないかなって思っています。
1人ひとりの精神のありようを考えるとき、まず、それ(自己否定)があるかないかという根本的な問題――。で、みんなに共通する問題でもある。ここにいるほとんどの人にね。
で、これをなくす、一番いい方法というのはね、これをテーマにしたミーティングで、自分が――多分、親からなんですけど――誰かから否定された体験というのを、洗いざらい全部見直してみる必要があるんじゃないかな、と思っています。
というのはね、まあ親から叱られる機会なんていうのは何回もあるわけです、子供のときにね。みんな叱られると思ってるでしょ。ところがその叱られ方の違い。怖さのレベルとか、その状況というのは、人によってかなり違うんですよ。
みんな一緒じゃないんですよね。
で、この自己否定の強い人というのは、かなり、ぐさっと叱られている。ものすごく叱られて、悲しくて残念でしょうがないという状況を経験しているんです。
取り返しがつかないんじゃないかというくらいです。
そんなふうに、
「本当に申し訳なかった、どうしよう、どうやったら償うことができるんだろう」
くらい、反省してるわけですよ。子供ながらにね。
普通の人は、時が流れたら、何でもなかった、忘れようということになるわけですけど。
こういう人は、その心の中で、解決ができてない。未解決のまま来ちゃってるんじゃないか、ということなんです。
何かで自分が失敗して、叱られた。
「アンタ何してるの」と強く叱られた。
「もうお母さんは、どうしようもないわよ」
って仮に言われたとして、自分のせいで、親が物凄い大きな被害を受けている。大きな悲しさに満ちている。
翌日、
「あ、それは、こうやって解決したから、もういいんだよ」
「何だ良かった。心配しちゃったよ」
っていうことがあったとしたら、これ解決なんです。
ところが、それがないまま、翌日も翌々日も解決がないまま、
(あれはどうなったんだろうか)
っていう未解決事件となって、自分の中に残り続ける。
そういうことが何回かあると、それが、自分の意識の下で、
(自分は、駄目だ。
親に、物凄い迷惑をかけた、取り返しのつかない失敗をした人間だ)
っていう後悔とか、自分を責める気持ちというのが強くなったり弱くなったりしながら、いつまでもうずき続けてるんじゃないかな。
だから、機会があるごとに別なことで誰かと較べて自己否定したり、機会があるごとに自己否定をしてしまう。
そういう場合には、自分の日頃の心がけとかなんかのレベルじゃなくて、もしかしたら、根本的なところへ立ち返って、なのはなファミリーで時々やる大きなミーティングで、自分の家族関係とか自分の傷を探るミーティングで、自分が否定された、怒られた、自分が失敗した、その体験だけをピックアップして、それを解決するというふうにしないと、根本的には解決できないのかもしれないなというくらい深い傷だと思っています。
で、これはやっぱり解決しないとね。みんながみんなじゃないですよ、自己否定の強い人だけなんですけどね。あるいは、なにがしか一部の症状が尾を引いてる人というのは、何かそういう未解決の傷を持っているんじゃないかなと思っています。
だから、これを別枠のミーティングでやらないと駄目なんじゃないかなと思っているくらいなので、簡単に自己否定を無くす方法と言っても難しいよね。
どうしても、日々、簡単にできる方法でというと、ときどき「鏡を見る」というのがいいですよね。
鏡を見る。自分の顔を見る。するとこういう人は意外と、鏡を見るとびっくりするくらい、
「なんて自分は自信なさげな顔をしてるんだ」
と感じるだろうと思います。
何気なくぱっと鏡を見ると、自信のなさそうな、気弱な顔をしている。
だいたいは、人って、誰かを見て、笑顔で返されると、
(あ、嬉しいな)
って思うんですね。悲しそうな顔してると、心配だなというふうに思うんですよ。
で、自分も、鏡の顔を見るとね、悲しそうな顔をしてるので、あ、心配だなって思う。徐々に、心配だ、慰めてやろうかなと――。
自分の顔ですから、明るい顔してにこやかにしておくと、あ、大丈夫だなってね。まあそんなふうにリアルタイムで自分を勇気づけることは、鏡を見ながら、できますね。
あとやっぱり、人間ってちょっとしたことで失敗すると、(失敗したかな)と思うし、ちょっとしたことで成功すると、(やった)と思うし、自分は天才じゃないかと思っちゃうんですね。
できるだけ普段の生活の中で、小さい成功体験をするように持っていく。
壮大な成功体験をしよう、じゃなくて、小さな成功体験を日常的にしようというふうな、なんていうかな、リズムを作っていくということが大事なんですよね。
ちょっと考えてみなよ。例えば、こないだ何人か包丁研ぎしましたよね。多分1人10分も研いだか研いでないかくらいです。切れなくなった包丁をシュシュシュッて研いで、シャッて切れるようになった。雑な研ぎ方にしろ何にしろね。これ成功体験なんですね。
やった、自分は切れない包丁を切れるようにした、って。
その前に建築担当の人は鑿(ノミ)を研いだよね。自分が鑿を研いで、刃が奇麗にとがった。これも小さい成功体験です。小さい成功体験は自分の自信を深めますので、そういうすぐにできる成功体験を見つけて、日々やっていく心がけというのは、かなり有効じゃないかなというふうに思います。
(2018年3月23日)
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