【質問】
「見事やで」
『テイクファイブ ウィズ ミッション・インポッシブル』を演奏するときの気持ちを教えていただけたら嬉しいです。
『ザ・グレイテスト・ショー』がショーの始まりだとしたら、ビッグバンド演奏は、後半の物語を予感させながら、夢の世界により強く引き込んでいくような、魅力のつまったサーカスを見せていくような気持ちで演奏したら良いのかな、と思いました。
その中に、手に汗握るスリリングな場面、華やかで美しい場面や、不思議なユーモラスな感じがする場面、難しいアクロバティックを成功させる場面、勇ましくて感動が胸に迫ってくる場面などがあり、ショーが展開していく様子や気持ちを、表現できたら良いのではと思いました。
【答え】
まあそういうことなんですよね。僕もそれで良いんじゃないかなと思うんですけどね。
問題は、演奏する側の、心の中なんです。
もしも、演奏する人の頭が既成概念で固まってて、人前に出る恥ずかしさがいっぱいあったり、上手に演奏できるとか、上手に演奏できないとかに拘る気持ちに囚われていると、本当につまらない演奏になっちゃうんですね。
これだけ人数がいるんですから、全体としてどれだけ迫力を出すか、全体としてどれだけ滑らかな感じを出すか、繊細さを出すか、というところだけに気持ちを使って、いかに全力でやるかということが大事なんです。
気持ちを揃えて、強弱を大きくつけて、メリハリをつけて、厳しいときは厳しく、というふうにやりたいんですね。
自分が、これまで持ってないような厳しさを出すんです。
それには、その曲を演奏する前に、自分を高めておかなければならない。なんかこう、異常な興奮の中に頭を置く――『ミッション・インポッシブル』と『テイク・ファイブ』の頭にヒートアップさせておいて、それから演奏にかかる。充分に気持ちを高めるという助走をつけてから演奏に入る、そういう心構えが大事ですね。
日常生活の、日常的な穏やかな心のまま、楽器を持って演奏をやったところで、穏やかな音しか出てこないですね。
入る前に、演奏する前に、みんなの目がいつもの1.5倍位に見開いていて、目が血走っていて、舌を出してハアハア息をしているような……、ま、そこまでする必要ないけれど、それくらい気持ちを高めた上で演奏に入ったら、面白い、興奮状態の、良い演奏ができるんじゃないか、ということ。それくらい自分の気持ちを、何ていうかな、高めていくということを、意識してもらいたいなと。
練習のときも、思い切り、高めていくというかね。
本当に、僕だったら脚本を書く前に上半身裸になって書いています、真冬でも。それくらいカッカして書くわけですけどーー。
本当に頭の中を別次元の世界に持っていって書き出すような、そんな気持ちで、演奏を始めたら良いかなと思います。
何か、大事な仕事をやるときも、全部そうですけどね。そういう非日常にいつでも行くぞ、という気持ちが大事なんじゃないかなというふうに思いますね。
あと、見せる意識。見られる意識を持ちましょう。
きれいなものを、人様に見せる意識と、聞かせる意識というのを、より強く持っていってもらいたいなと思いますね。自分がどうかじゃない、人が聞いてどうか、です。
今、プロレスが、一部の人の間ですごい人気が高くなっているんですよ。
で、それは1人の――名前は忘れましたけど、何とかという人の人気がすごく高くなっているそうです。
その人がやるプロレスというのは、本当に見て楽しいプロレスなんです。その人は小学校だか中学校のときに親にプロレスを見に連れて行ってもらって初めて見て、それから何度も通うようになり、全国の興行をついて回るくらい大好きになった。
プロレスというのは、身体が強くて、身体が大きくて、格闘技がうまいからプロレスラーになるんじゃないんですよ。
プロレスラーになってみたいなという人がなるんですよ。身体は関係ないんです。身体はいくらでも、作れば良いんですから。
プロレスを見せたい気持ち。それを強く持っている人がレスラーになる。
身体は、鍛えるうちに強くなるからです。
だから、いま人気のあるその人はおそらく世界で一番、熱心に練習してる人だと思います。
どうしてかと言うと、公演の回数ってすごく多いんです。ひょっとしたら年間300回くらいある。連日公演があるんですけど、夜7時くらいから始まって9時くらいまで2時間くらい試合があるとします。9時に終わってそれから身支度して、10時くらいからもまた1時間、2時間、トレーニングするんです。さんざん戦ったあとです。
何でかと言うとトレーニングすることで、プロレスで不規則に使った筋肉を、正しく鍛えて調子を整えるという。よりお客さんに面白いプロレスを見てもらうために。
その人は「面白いプロレスとは何か」を考え抜いている。
プロレスはただ単に戦ってるみたいですけど、ベビーフェイスと、ヒールというのがいるんですね。ベビーフェイスは正義の味方で、ヒールというのは悪役なんです。
僕が子供の頃、みんな力道山というレスラーが大好きでした。力道山は空手チョップでやっつけるんです。
力道山が何ですごい人気になったかと言うと、日本は戦争に負けて戦後の復興の最中、なかなか意気が揚がらない。そのときブラッシーという、白人の金髪レスラーがいて、そのレスラーは噛みつき攻撃とか、卑怯な技を使ってるわけです。ヒモを使って首を絞めるとかね。反則攻撃でどんどん痛めつけられて、力道山が負けそうになったとき、力道山は急にポパイがホウレンソウを食べたあとみたいに急に元気になって、空手チョップでバーン、バーンってブラッシーの胸元を叩き、打ちのめしてから場外に放り出して勝利する。
水戸黄門みたいな話なんですけど。
プロレスというのは、だいたいそういうことになっているんです。
僕は1回、女子プロを取材したことがあるんですよ。アジャコングという、黒人のハーフの人の取材でした。
何が驚いたかと言うと、あれだけリングの中で、「この野郎!」とか言ってガツンッて悪役が――アジャコングというのは悪役なんですね。悪いことする――毒づいている。ベビーフェイスに対して、凶暴な言動、行動になっているんです。
それが取材をしていると、いつも同じバスで移動してる。あれ、喧嘩してるんじゃなかったの? みたいなね。次の公演先に、同じ大型バスでブーッて行くんですよ。それで同じところでご飯食べてたりするんです。あれー!? みたいなことになる。
それが、試合が始まることになってくると控室が分かれて、顔見たら「この野郎!」みたいなこと言って、マイクで、「お前のベルト取ってやる!」と挑戦的になる。
あれー?!って、思いました。
プロレスというのは出来レースだって聞いてたけど……、ああ、こうやって演じているんだ、みたいなことを改めて思ったわけです。
悪役も、ベビーフェイスも同じところで戦うわけですから、名古屋へ行ったり、大阪へ行ったり、いつも一緒です。それで、戦う理由というドラマを作って、それで戦いを楽しんでもらっているわけです。最初、僕は頭の中でうまく整理できなかったですけど。
ただ、完全に作り事じゃない。そういう中でも、やっぱり線を引いている。ヒールとベビーフェイスが、一歩リングの外に出たら、仲良くトランプしてたとか、それはあまり見せません。そういうのは、ないんです。
でも、何と言ったら良いのかな、本当は憎み合ってないけれども、いかにそれを面白く、憎み合ってるように見せるかという、プランニング能力、それがプロレスの面白さだと思うんです。
で、すごく人気があるプロレスラーと戦っている人に、鈴木何とかという悪役がいて、この人もすごい人気なんです。折りたたみ椅子でガーンッと人を殴るんです。背中をバーンッて叩く。体育館で使ってるような折りたたみ椅子。よく見れば、どうもクッションのついているところを当てている気配はあるんですけど、でもフレームが曲がるくらい、びっくりするくらいの勢いでやるんですね。それが面白い。
観てるお客さんは、不思議なことに家族連れが多い。子供もいれば、若い女性も多い。それもその敵役のファンがいたり、ベビーフェイスのファンがいたり。
その人気のあるベビーフェイスは、いかに上手に悪役を怒らせるか、いつも考えているのです。悪役のほうも、作り話だとわかってるのに本気で怒ってくる。
悪役を怒らせるために、あの手この手で、毎回違う、おちょくり方をするんです。例えば、マイクを持って「ほらお前、何か言うことがあるなら言ってみろ!」とマイクを置いて、そいつが取ろうとすると、チョロチョロチョロ、って動かしてとらせない。そうやって、からかったりして怒らせる。
「俺はもう帰る」となると、「何言ってんだ弱虫、帰るのか。ほら喋れよ」
行くと、ヒュッてまた取られる。それでおちょくって、終いには「この野郎!」って切れるところが好きというファンがいるんですよ。
怒ったあとの、破壊の威力の凄まじさが好き、みたいなことです。この頃、おとなしい人が多いでしょ。切れてるおっさんなんて、めったに見ない。切れてるおっさんを目の前で合法的に目の前で見られる。怒りを暴力的に表現する、しかし、それは技術的に高度な暴力なので、安全です。そこに価値がある。
その人気を作った人は、プロレスの面白さがどこにあるかわかった上で、それをいかに面白くお客さんに見せるかを追求しています。新鮮な面白さ、何回も来ても面白い、家族で観ても面白い。笑いあり涙あり、激しさあり、意外な展開ありで、これだけのものならお金を払う価値がある、とみんなに言わせる。満員になる。
人は心を動かしたいんですよね。
笑いたい、泣きたい、怒りたい。そのお客さんの喜怒哀楽を上手に引き出して、会場の人とリングの上の人とともに泣き笑いして、2時間3時間を過ごす。
これはプロレスだけじゃなくて、演劇もそうだし、みんなでやるコンサートの面白さなんです。山の猪やタヌキは、絶対にしませんね、コンサートとか演劇とか。そういうドラマ作りは、人間じゃないとできません。こういうことをするのは極めて人間的な行為なんじゃないか。僕はそう思うんですよね。
みんな一人ひとりがエンターテイナー、人を楽しませる人になる。お客さんを楽しませるという気持ち、いかに楽しませるかという気持ちを持つ事が大事なんです。
山の高いところと低いところがあるように、感情の高いところと低いところの、高低差があればあるだけ面白い。
ダンスでは身体の動きを見せますけれど、それはイコール、自分の感情を見せるということ。恥ずかしさをかなぐり捨てて、自分の弱さだの、強さだの、色んな感情を、全部、何を見てくれてもいいですよ、と気持ちをさらけ出すこと。
下手でも良い。駄目なところもさらけ出す。そのさらけ出し方が、惜しげなく、潔く、さらけだす。本気でさらけ出す。そういう覚悟があればあるほど、みんなが覚悟すればするほど、そのステージというのは、二度と観られない、もうその瞬間、その場にいた人だけが楽しめる何かが、そこに出てくる。表現できないほどの感動を、お客さんに感じてもらえる、ということなんです。
それを一言でうまく表現したのが白井さんの奥さんです。白井さんの奥さんが知人を電話でなのはなファミリーのコンサートに誘っているとき、こう言ったそうです。
「あんた、見事やで」
そう言わせるような見事なステージを、今年もみんなで作って欲しい、そんなふうに思います。
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