私は、お父さんから「自分の未来を信じたら良い」と教えていただいたことがありますが、今ひとつ信じきれていないような自信のなさを感じます。どうすれば、お父さんお母さんのように未来を信じられるようになるのですか。
これね、自分の未来を信じるとかの以前に、未来を思い描く、ということが大事なんです。
意外に、ほとんどの人ができないのは、スケール感のある未来を想像することなんです。
「貴方に100億円あげます、自由に使って良い」
と言われたら、何に使いますか。
じゃあ、10分以内にプランをうまく書いたら差し上げましょう、と言われて、書ける人はおそらくいない。なぜなら、100億円のスケールで考えた経験もなければ、想像することすらできないからです。
うんと減らして1億円でも、きっといないはずです。
1千万を自由に使うプランを思い描いてください、でもいないですよ、ちゃんと描ける人は。
カップラーメンを倉庫いっぱい買うとかね。なっちゃうんですよ。
これはおカネの使い方を例えにしてみたのですが、自分の能力にしても、自分の活躍する世界にしても、高いレベルの自分を想像して思い描くというのは、意外に難しくて、なかなか自分の体験から出られないのです。
みんなが子供を生んで、四畳半くらいの狭いアパートで育てたとして、広い代々木公園に連れていって、遊ばせたとします。
「さあ、好きに遊んでいいよ」
と言うと、子供は「わあい」といって四畳半の範囲をくるくる走り回ってますからね。最初のうちはなかなか四畳半分のスペースから外に出ない。その人の家の広さがわかっちゃいます。
そういう空間的なスケール感も、あまり広がらないんですよ。まあ、半日もすると広い範囲を走り回れるようになりますけどね。
だから想像できないものは信じられないので、まず自分の未来のイメージというのを作ることが大事なんじゃないかなと思うんですよ。
意外に、これは一部でもいいんです。
一部って変ですけど、例えば、「自分が将来住む家はまず、これ」みたいなね。
絵を描いちゃうんです。
自分の家から見える景色。
そんなことでもいいんですね。
お父さん、家の絵を描いていたことがあるねえ。それ、実現した?
いや、実現したんですよ。大きな家を描いたんですよ。
いま考えると、それは自分の家ではなくて、なのはなファミリーで実現しているんですよ。ただ自分が描いた絵と、なのはなファミリーは形がちょっと違う。
そのとき僕はまだ、なのはなファミリーをやるって決めてないのに、なぜか部屋がいっぱいあって、吹き抜けで大きなリビングがあり、色んな人が来てそれぞれ勝手に住んでて、僕はまだもの書きの前提でしたから、ちょうど放送室のようになったガラス張りのところで、僕はものを書いている。1人で原稿書いているのは寂しいのでガラス張りで。声が聞こえると原稿書けないのでガラス張り。
来てた人は何してたか知らないけど。上に向かって叫ぶと、みんな「なあに」って出てこれる。
僕は将来、そこに住んでたくさんの人と一緒に生活している、というイメージでそういう絵を描いていたんですね。結果的にここになっちゃいましたけど、形はちがうものの、不思議なのは、そのときたくさん人が一緒に住んでいるという、イメージだったんです。それがなのはなファミリーになったんです。なのはなファミリーができるずっと前から、イメージだけは持って、いつかそれが実現するだろうと信じていました。
で、僕は、ちっちゃいときから、自分みたいな子供をいっぱい集める施設をやろうと思っていたんです。……いや、施設じゃなくて、自分の子供として里子をたくさん貰おうと思っていて。部屋がいっぱいあって、そこにみんなが住んでるというイメージのね。そういうふうな生活をしたいんだと言って、絵まで描いて壁に貼っていたんですよ。お母さんにも見てもらっていた。
そしたら、それがなのはなファミリーになって実現していた、ということなんですけどね。
いろんなことを断片的でいいからイメージしてみるのが大事。自分の仕事のことでもいいんですよ。イメージだから、あまり根拠や理由にとらわれなくていい。
僕は家を例にいいましたけど、家と言うより生活のイメージだったんですよね、僕のね。将来こんな生活をしていたいという。
それをイメージする。
まずはこういうイメージという、それがどんどんリアルになっていく。信じるもなにも、イメージは作るもの、未来はつくるもの。頭のなかで先に作り上げちゃう。ということですよ。
それを、みんな、ある程度自分の中のどこかの一部でやってるはずなんです。
「自分はこんなふうになりたい」って願っているはずなんですよ。それを、もっと意識的に、具体的にイメージする癖をつけていくといいんです。
よく言っているでしょう、「自分の思った以上にはならない、思った以下にもならない、思った通りになる」。いかに思うということが大事なのかということなんです。
本当に高い生活、高いレベルの精神生活、質の高い本当にやりがいのある生活、生きがいのある人生、それを生きたかったら、そういう、生きがいのある人生をイメージするということですよ。
で、意外に、人間の脳みそって、潜在能力は高いんですけど、リアルな能力は限界があるんですよね。
限界というのは、考えるキャパシティの限界です。
脳の活動は、インプットとアウトプットの2つに、僕は分けられると思うんですけど、その脳のキャパシティをインプットで使い切ってしまうと、もうおしまいでそれ以上は働きません。今日の消費エネルギー終わり、ジャンジャン。エネルギーをアウトプットで使っても、同じ。脳はそれ以上、働きません。
インプットの最たるものはテレビです。テレビを見てると、自分と関係のない、向こうのテレビ局の人が作った原稿、あるいは思いついたおしゃべりで、それをきいてるとそれで頭が一杯になって、ジャンジャン、お終い。それで脳のキャパシティを使い切ってしまうんです。
すると、自分のイメージというのもアウトプットですし、プランというのもアウトプットですから、アウトプットすることができなくなってしまうのです。脳がテレビ視聴で疲れ果てて、あらゆるイメージがしにくくなります。
なのはなファミリーではテレビを見ない、というのはそれもあるんです。テレビのような垂れ流しのCMや雑多な言葉、色、映像で脳を疲れさせたくない。
いいインプットには、本があります。それも、小説を読むこと。
意外に、僕が見ていて、あれれれって思うなのはなファミリーの子は、僕のおすすめ本じゃない本を読んで喜んでいることが多いです。感動している。僕のおすすめ本じゃないのばかりを読みたがる傾向がある。そんな子は何が好きかというと、一番顕著な例では啓発本を読みたがる。ここには今はそういう本は置いていないですが、自分で持ってきて読みたがります。
「こうやって生きがいある人生を送ろう」みたいな本があるとします。そういうのを読んで、「感動しました」みたいなね。それは僕の考えと違うことが多かったりするんです。変な話し、啓発本への依存もありますからね。やたら啓発本ばかり読みたがる、成長した気になってしまう。セミナー依存みたいなね。教わるのが好きなんだと思います。
インプットでもそういうのでは困っちゃうんですけど。
みんなの場合は特に、頭の中の世界を広げる手段のインプットとして小説を読むのがいいと思います。自分の内側を耕す小説、これはインプットでも内側を耕すからいいんですよ。ただ知識が増えるというだけではなく、小説の中で疑似体験をしながら、感情の幅を広げていく。
それでいてアウトプットも同時にしていくこと。その1つは日記を書く事です。調子が悪くなると日記も書かなくなる。自分の妄想の方に行っちゃうんですね。正しく適切なインプットをして、適切に正しくアウトプットができるようにする。
未来というのは、明日も未来ですよ。1か月後も未来、10年後も未来です。
10年後の未来を、上手に想い描ける人というのは、明日のプランもきちっと立てられる人なんです。
なのはなで、ダンス、音楽をやってる、農業、建築をやってる。色々やってるけど、それできちんと自分のプランを立ててなのはなで活躍できる人は、5年後のプランもおそらく自分が活躍できるプランを立てられる。
今、なのはなでうまく作業が進められない、活躍できない人というのは、つまり3日後のプランも1か月後のプランも、上手には立てられていないはずなんです。
先日、しょうおう町民音楽祭がありましたけど、そこで自分がピシッと踊って、ピシッと演奏して、ステージをきちっと盛り上げよう、とイメージできなかった人が、5年後10年後の自分のプランというのはイメージできないはずなんですね。
まずは近未来をきちっとイメージする練習をする。
イメージ通りいく、という人は、認識力が高い。行動力も伴っている。
そういう人は、5年後、10年後もきちんと間尺に合ったイメージをして、間尺に合ったプランを立てていける。
だけど現実はどうかというと――。
僕の体験では、イメージしたよりも、ちょっと上に行きます。現実はね。
これは不思議なものですよ。
それはね、“頑張らない人分のプラス効果”があるからなんです。僕が思うには。
前から時々言ってるけど、自分の持てる力が100、あるとします。
50頑張ると見返りは20くらいです。持てる力の80くらいやると見返りは40か50。
それが自分の持てる力の100%でやると、見返りが150くらい来るんです。
じゃあその100にプラスされている50は何かというと、80頑張った人ののこり40とかが、100%頑張った人のほうに上乗せされるのだと思います。
頑張らない人は、頑張っても頑張っても見返りはうんと少ない。100%頑張った人は、ときに100の見返りではなくて、150も200も、場合によっては300も見返りがある。つまり、見返りが偏ってくるんです。
だから、全力を尽くして生きていると、思った通りよりも、現実にはちょっと上へ、上へと行っちゃう。そういうことなんですね。
そんなに難しいことじゃないです、みんな持てる力の100%出せばいいわけですから。誰よりも力を出さなきゃいけないんじゃない。比較じゃないですから。
自分の100%でいいんです。
早いうちに100%頑張って、ぽんといいところへ行く。そこでまた100%頑張って、またいいとこまで行く。
だから、子供のときは、あれ大した人じゃないなと思った人でも100%力を尽くしていると、年を取ってきたらその倍々の効果ですごくいいポジションに行く場合があるんです。もちろんその反対に、いつも力の出し惜しみをして、40%くらいでやっていると、その逆に先細りしてしまうということになってしまいます。
そういう未来のつくりかた、自分の信じかたをしたらいいんじゃないでしょうか。
(2018年3月30日)
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