第84回「自信を持つ」
正しい自信の持ち方を教えていただきたいです。
私の一番の課題は「人の目を気にすること」と教えていただいて、唯我独尊になればよいとお父さんが仰っていましたが、私は自分を過信しているような感覚になるときがあります。
私は0か100かの二者択一の考え方になっているのでしょうか?
あのね、私は自惚れになってしまっているのではないか、という心配をしている訳ですよね。
「正しい自信」ってね、持たなくていいと僕は思うんですよ。
ときどき過信し過ぎるくらいでいい。行き過ぎるくらい自信を持っていていいんです。あ、ちょっとこれは自惚れちゃいけないなと思うときがあるくらい、自信を持っていいということ。それでちょっと反省して、ちょっと過信を引っ込めるけど、また自惚れるくらい自信を持っていくという、そんな繰り返しで自信を大きくしていったらいいのです。
で、やっちゃいけないことっていうか、気をつけなきゃいけない穴ポコは1つあります。気をつけなきゃいけない穴ポコがたった1つあります。
それはね……、まあ、有り体にいうと「調子に乗りすぎない」ことです。「有頂天になりすぎない」というか。……気持ちの自信を持つっていう以上に、なにかハイになってしまうと失敗します。自惚れがオーバーシュートすると、必ずそこで痛い目に遭うんです。
だから、自信を持ちすぎる、自惚れるの先に、ハイになってシュッと行き過ぎちゃうことがあるということを覚えておいて、それには気をつけることです。
調子に乗りすぎると必ず大失敗をしたり、怪我をしたり、何か、そういう良くないことが起きます。ものすごく自信持って良いんだけれども、そういう意味では常に用心もしている。
常に、慎重な、冷めた部分というのを用意しておく。それがものすごく大事で、それさえあれば、自惚れ過ぎるくらい自惚れてて良いんじゃないかなって思います。
で、僕なんか考えてみたら、若いときから(?)死んでしまいたいと思ってたような気もするし、若いときから物凄い自惚れで自信家で、「小野瀬は自信家だよな」って、よく言われた。ケチョンとなってるときと、物凄い自惚れてるときと。両方あっていいと思う。あまり気持ちが落ちすぎるのは駄目だと思うけど、いつも実力以上の自信を持っていたように思います。
正しい適度な自信というのは、……僧侶になるとかだったらいいと思います。僕らは生身の人間で、お坊さんじゃないんだから、あまり達観しなくていい、自惚れ過ぎるくらいの自信を持って構わなくて、ただ穴ポコに気をつける。気持ちが行き過ぎて不注意になってちょっと失敗するとか、不注意になったり、なんだろう――思わぬなんとかっていう、そういう事態を招かないように、それはくれぐれも注意する。それさえ注意すれば大丈夫です、自惚れてて大丈夫です。
で、若いときほど、自惚れるくらいのほうがね、物事を大きく見られるんです。大きく広く見たほうが、いろいろな面でいいのです。
物事を大きく広く見るということは、何か習い事をするときでも、新しいことをやるときでも、畑をやるときでもすごく大事なんです。
グループで、畑作業をするとします。7人か8人とかでね。
で、7人か8人の中の、変な話ですけどそのスケールを、ひとりずつ比べてみましょうと言ったら、比べられるくらい1人ひとり、持っているスケール感が違うんですよ。
スケールの狭い人は、自分の半径1,2メートルくらいしか注意が向かないです。
スケールのちょっと広い人は半径5メートルくらいになるでしょう、もっと大きな人は半径10メートルになるでしょう。
うんとスケール感が広い人は、1反分なり3反とか、畑1枚、田んぼ1枚の全体を見るスケールで、見ることができる。そういう人は、だいたい自信家なんです。
自分がこの畑を任せられるとしたらこんなふうに作る、という目で広く見るんです。自信家。
で、自分がリーダーじゃなくても、このリーダーはこんな風に進めているけど、これじゃ能率が悪いんじゃないか、とかね。スケール広く見るから、それがわかるんです。
スケールの小さな人は、誰がリーダーでも、これやってくださいと言われたら、もう手元だけ見てどんどんやり始めちゃう。手元だけしか見ないからすぐ始められる。あとで全体見たとき、あちゃー、なんてことあるけど、それがスケールの大きい人はそういうこと無いわけですよね。これ、違うんじゃないか、とわかる。
全体がどれだけ見えるかどうかというのは、どれだけ自信があるか、どれだけスケールが大きいか、どれだけ自惚れているか――「自惚れている」と言うと言葉悪いけど、むしろそう言いたくなるくらい自信のある人は広く見るんです、自然にね。
これは年齢とか関係ないです。
そういう意味じゃ、自信持ちすぎるくらい自信を持ってほしいな、自惚れるくらい自信を持ってほしいなと思います。
変な話、
「じゃあ、みんなが自信持っちゃったらどうするんですか。スケール大きい人と小さい人がいたほうがバランス取れるんじゃないですか」
という人が出てくるかもしれません。とんでもない。全員がスケール大きく広く見られるようになったらどうなるか。
畑の効率が、嘘のように上がります。
畑が嘘のように奇麗に仕上がります。
で、少ない人数でものすごく効率良くできるようになります。ということは、同じ畑だったら、その手入れの密度が何倍にも上がる。
だから、良い作物が、もっとたくさん穫れるようになります。
もちろん、畑を耕そう、もっと広げようと思ったらもっともっと広げられる。同じ人数でも広い面積を耕作できます。
だから、みんな全員が自信家になってスケールを広げてくれて困ることは何1つ無いんですね。
割と、痛んだり、傷ついたりする人は、どっちかと言うと視野を狭くしておきたいです。
見たくない。聞きたくない。見たり聞いたりすると傷つく可能性が広がるので、できれば何も見たくないのです。
それがどんどん亢進していきます。ある程度行き過ぎると、もう家から一歩も出られない。更に行きすぎると、部屋から一歩も出たくない。行くのはトイレだけ。食堂にもリビングにも行けない、家族とさえ顔合わせたくない、どんどんスケール小っちゃくしちゃうんですね。
それが反対に気持ちに自信ができて余裕が生まれると、どんどん見える範囲が広がっていく。そういうことなんですよ。
だから、みんなはどっちかと言うと基本的に縮小傾向に自分のスケール感を縮小させてきて、自信も縮小させてきて、内にこもった人間になりがちだったんです。
だから、回復するときは逆に広げていって自信もつけていって、スケールも広げていって自惚れでもいいから強くして――自惚れって良い意味でですよ――それで誰とでも、どこにでも行けるっていうように、自分を広げていく。それが回復の1つの形です。
そういう意味で、自信を持っていく、視野を広げていくというのが大事で、適度じゃなくていいです、適度になんてじゃなくて、うんとできるだけ大きくできるだけ高く、強い、自信を目一杯に持ち過ぎるくらい持ってくださいよっていう話しです。
それで、もうそろそろ適度にしなくちゃならない、自信もいい加減にしようか、というのは僕とかお母さんくらいの歳になってから考えればいい。
(2018年5月25日掲載)