第79回「やるべきことをできていなくて苦しい②」
私は、いつも頭が働かず、物事に集中することや、深く考えること、真面目に力を出すことができていません。
こういう自分でいることに、いつも罪悪感があり、ぬけだしたいです。
日々の当番であったり、作業のこと、演奏に向けての練習、日記、なのはなの生活で自分のやるべきことや、やりたいことがたくさんあるなかで、いつも頭が働かず、考えがまとまらないこと、集中できないことに、自分にイライラしています。
やるべきことが、進まない、集中できない。
頑張れないことは、心持ちが間違っているからですか?
奇しくもこの1つ前の質問とちょっとかぶる感じがしますね。
いつも頭が働かない、というところで、ちょっとかぶるところがあります。
だけどこっちの質問は、集中できていないんじゃないか、力が出せてないんじゃないか、というところに力点がありますよね。だけどここにやっぱり、「なのはなの生活で、自分のやるべきことや、やりたいことがたくさんある中で」っていうところが同じだよね。
うーん、……そういう中で頭が働かない、ということですよね。
「やるべきことができていない」というストレスもさっきの人と同じように相当あるんですよね。
さっきの人も「頭が働かない、身体が動かない」って言いましたね。
いいですか、さっきは人間が5できる時間と能力があるとしたら、ということで言いました。
5できる人に、「5、頑張って」と言ったら、5の分をかちっとやるんです。
ところがね、その人に「8やって」って言ったとします。そしたら、2か3しかできないんです。あれれ、と思うでしょう。8のうち、5はできるんじゃないの、と。
5できるんだから「8やって」と言われたら、8のうちの5やればいいじゃない、と思うようだけど、「8やって」と言われたら、2か3しかできない。
なぜなのか。
8もやらなきゃいけないというプレッシャーがあると、うわーーっ、無理だ! ダメだ! と自分で自己否定に走っちゃって、もう駄目……みたいな悲観的な気持ちでいっぱいになる。1やるときからそう思ってるんです。
無理だろ、駄目だろう自分、ってやる気をなくした状態で始めるわけです。
能率が悪くなって、3くらいで時間になっちゃう。ということなんですよ。
5の能力がある人に「1やって」と言うと、嬉々としてラクラクやります。0.5くらいの時間でやります。
「2やって」と言うとラクラクやるんですよ。
特に勉強やるときなんか、これを使うと良いんですよ。
難しい勉強をするときに、すごい大変な量をやろうと思うと、固まっちゃってできないんです。
簡単なところからやるとできるんですね。
僕が予備校で教わった英語の先生というのは、早稲田の教授だったんですけどね。この人の話がすごい印象的だったんですよね。
その人は学歴が無くて田舎から出てきて、語学で身を立てたいな、と思ったんです。
それでですね、アテネフランセに入ったんです。当時はとても有名な外国語の専門学校ですけど、入学試験なんか無かったと思います。
その人は、その専門学校の初級・中級・上級とあるうちの初級に入ったんです。
多分、英語で身を立てたいと思ったくらいだから上級くらいの力があった。
それなのに、初級に入った。
その人は、クラスでの成績はどのくらいだと思いますか? そう、トップなんです。
本当は上級なのに初級。クラスの中で一番、英語ができるんです。先生が言ってること超丸わかりです。そこでトップを取って、中級に上がって、そこでもトップを取って、その勢いで上級へも行った。
自分では、初級のときから上級の勉強もしていますから、当然、できます。
先生はこの生徒をどう思うか。「凄い生徒が出てきた。初級からトップのまま上級へ行って、上級でもトップだよ」って。
その後、アテネフランセの講師になったんです。戦略が当たったんです。その後、早稲田大学に引き抜かれて、早稲田大学の助教授になって、やがて教授になってるんです。
これですよ。
この質問の人は、反対なんです。
エキスパートくらいのことをやろうとして、ひいはあ、ひいはあ、言っちゃってる。
上級くらいの能力を持っていても、そっちこっちで、やりたいこと、やるべきことがいっぱいあって、あっぷあっぷしながら中くらいの力しか出せない。それで、自分を責める理由がいっぱい出てきちゃっているのです。
だから、物事をシンプルにして、簡単にして、自分を調子づかせる。それが大事なんじゃないか、というふうに思いますよね。
それが、抜け出せるコツですよ。
自分のプレッシャー、やるべきことというのは、なるべく簡単なものにして、それをやすやすと乗り越えるという、そういう工夫というのが必要なんじゃないでしょうかね。
僕、昔ね、原稿書くのを仕事にしているとき本当に忘れられないことがありました。初期の頃です。物書きになって、すぐの頃ですよ。
明日の朝、編集者が会社に来るまでに、原稿をどうしても書かなきゃならない。長尺ものの原稿をね。
ところが、もうその前からずっと睡眠不足で疲れ切っていて、夜10時、11時になってもなかなか頭が回らない。原稿が進まない。その中で一生懸命に書こうとしていたんです。
そのとき、
「ちょっと布団の中に入って休むと良いよ」
ってアドバイス貰ったんですね。
ものすごく甘い誘惑ですよね。「寝たら良いよ」ってね。
寝たら原稿書けないでしょっていう思いがありますから、自分から寝る気持ちにはとてもならない。そこに寝たらいいよ、というアドバイスなんです。
「あ、起こすから大丈夫。原稿が間に合うような時間に起こすから。ゆっくり寝て。起こすまで寝てていいから」
って言われてて、そうだ、休んだほうが原稿が進むかもしれないと思って、23時くらいに布団に入ったのです。
起きたら何時だと思います? 朝の8時ですよ。
「ええーっ!」って驚きました。焦りまくりですよ。
原稿が間に合うように起こすと言ったら、普通、午前2時か3時には起こされると思うじゃないですか。最低でも朝4時には起こされると思っていた。
それが起こされないまま、目が覚めたのが朝8時ですから――。
もうぐっすり寝ちゃってね。一瞬、何で起こしてくれない、って怒りましたよ、
だけど、一瞬だけ怒ったけどね、ものすごい爽やかなんですよね。体調がすっかり戻ってる。頭もスッキリしている。
だけど、時間が時間だから、
「もうこれ、原稿、間に合わないよ」
と言ったらね。
「いやいや、今から書けば良いんだ」
って言われてね。
「ええ、でも間に合わないだろう」
「良いから、書いてみな」
「間に合わなかったらどうする」
「そのときは編集者に、『間に合いませんでした』って電話すれば良いんだから」
って言われて、はあ、そんなバカなと思ったけど、それから原稿書いたら、スイスイ進む、スラスラ書けるわけ。ぐっすり寝てるから、頭がよく回る。難しいと思っていた原稿がどんどん進む。
それで間に合っちゃった。なにこれっていう思いですよ。
人生ってそういうことあるんですよ。
徹夜して書かないと間に合わない、と思う。それが、ぐっすり寝たら、間に合わないどころか逆に良い原稿が楽に書けちゃうっていうね。思わぬことがあるんですよ。
「やらなきゃ、やらなきゃ」って責めながら苦しい中でやってると良いものができない。
たまには大胆に寝てしまう。今は、やらないで寝る、という選択肢を取る。そういうのも良いと思いますね。
よっぽど不貞腐れないと、やらないとか寝ちゃうとか――“ふて寝”というのがあるでしょ、なんかやさぐれた気持ちで寝るとね、「良いや、もうどうなっても。あとは野となれ山となれ」っていうやさぐれた気持ちで投げ出すというのがありますけどね。
やさぐれた気持ちじゃなくて、前向きな気持で、明るく、前向きに、仕事を投げ出して寝る、というのが気持ちいいものだと思いますよ。
ときにはそれをやってください。
明るく前向きに投げ出す。そして体力を蓄える。
それからやりたいことに取り組んだらどうでしょうか。進むと思いますよ。
こういうのは、若いときの僕は最も嫌うところでしたけどね、でもこのくらいの年まで生きてくると、意外と誰にでも時々、そういう考え方が必要な時があるんじゃないか、という感じがしますよね。
(2018年5月8日掲載)