先日、お母さんが大勢の人の中で赤ん坊が育つことはすごく意味がある、と教えてくれました。あまりかまってもらえない子は、指しゃぶりをしたり、自分の世界にこもる子供になりやすい、ということでした。
自分のことを考えると、指にタコができるほど指しゃぶりをしていて、大きく欠落したものがあるような気がします。いま、なのはなに出入りしている子供達を見ても、自分が子供の頃とは全く違い、外向きな子に育っているように思います。
私はいまも内向的なところを直せないままで、自分でもそれを残念に思うことが多いです。外向きになる努力というのは今からでもしたほうがいいでしょうか。
【お父さんの答え】
僕はどちらかというと、明るくオープンに誰でも声かけられるタイプとは、全然違いますね。
それに、そういうオープンな人になろうと思って努力したこともないです。どちらかというと、明るくてオープンな場に出たら、僕は困っちゃうほうですね。
質問者が子供のときに、母親とコミュニケーションを取ってこなかっただろうなとは、容易に想像できます。おそらく、母親は子供に話しかけたってまだ小さくて意味もわからないのだから、しょうがない。何の返事もできない小さな子供には話しかけない、というタイプの母親だったのかもしれないと感じます。
そんなふうにして育ってきただろうし、質問者がオープンに人と話すのが苦手だというのも、すごくよくわかります。そして、自分は適切な養育とか、教育がされなかったから、自分はいま困り気味であるという分析はしていいと思うんだよね。
それとは別に、生まれ持った性格があると思います。僕は子供のとき、いろいろな人から声かけられて育ったと思うんだけど、もともとが内向的で、そんなに明るくオープンな性格じゃないし、持って生まれた資質からしてそうはなれないのだと思います。
質問者も持って生まれた資質が、僕と似ていて、明るくオープンな性格じゃないです。
その代わりに、人ができないくらい緻密に神経を張り巡らせて、果樹や作物を育てたり、病気や害虫から防ぐことができる。それは他の人ができないことです。
明るくオープンな人が得意な分野と、内向的で分析的な人が得意な分野とがあって、その両方を手にいれるということはできません。だから、自分の持って生まれた性格を変えようとまでは思わなくていい、と僕は思うね。
オープンな人になりたいという希望を持つより、むしろ必要なときに必要な人とコミュニケーションを取れればよくて、必要な挨拶ができればよくて、あとは自分のバランスを崩さないように、自分を補助してくれる人を見つけておけばいいんじゃないかな。
考えてみると、これまで僕のことを助けてくれた人が沢山いて、その人たちは僕を可哀想に思って助けてくれていたように思います。僕が頼りないというか、危なっかしいから、助けてやらないと、と思ってくれる人がずっと代わる代わる傍にいてくれました。
同世代でも、僕を助けてくれる人がいた。だから、質問者も、自分でパーフェクトになろうとするのではなくて、自分と気持ちが通じあう人を、1人でも2人でもいいから作って、いつも心を通じ合わせていたら、かなり生きやすくなるはずです。
僕は意識して友達を作ったことがないけど、振り返ってみると助けてくれた人ばかりがたくさんいた感じがします。友達を探そうとか、助けてくれる人を探そうという気持ちはないのに、結果的に人の輪の中にいるというふうで、具体的に挙げたらきりがないほどたくさんの人が今も助けてくれているよね。
それって、友達という感じでもなくて、理解してくれる人というか、やっぱり助けてくれる人ですね。そういう人にずっと支えられていると思うと、例えばすれ違うだけの人とオープンに明るく人と話せているかどうかより、ちゃんと理解してくれる人とどれだけ深い関係にしていくか、自分がどれだけ深い生き方にしていくか、ということのほうがよっぽど大事だと思います。今の性格を変える必要もないし、努力も要りません。
まずは、肩に力をいれなくても、話しをしたり、相談したりできる人を、1人、2人だけでも作る、ということを意識してはどうでしょうか。
(2023年7月6日 掲載)
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