第291回「自分が何に傷ついたのかわかりにくい」
自分の傷を解消するミーティングをしていて、よく考えてみたのですが、自分の傷つき方というのは、親に直接、否定をされたりしたことはなかったです。ただ、自分の家がすごく閉鎖的で、幼いころからずっと母親と2人っきりの狭い中にいて、母親と一対一のルールのなかで生きてきてしまった、というだけだと思います。
母の影響を受けたことが一番の問題だとは思うのですが、自分は何が一番悲しかったのかとか、母親から何をされたのか、というのがわかりにくいと思ってしまいます。
つまり、母親を心配していたというのはあるのですが、あまりにも平和すぎて感情が何も伴っていないのです。悲しさとか、辛さというのが思い出せないです。
自分は何に傷ついて、何が悲しかったのか、そこをどう考えたらいいでしょうか。
【お父さんの答え】
朝は、いまなら6時ぐらいになったら空も明るくなっています。
例えば海辺の町で、砂浜に行ったら、だいたい子供が波打ち際で遊んでいたりします。
子供って早起きなんですよ。
僕は子供が小さい頃に、よく子供達をキャンプに連れて行ったけど、早朝から起き出して、川で魚釣りをしたりして遊びました。そして、火を熾してご飯を炊いたり、魚を焼いたりして食べる。
その時に感じたのは、よその子供がすぐそばまで来て、じっとこちらを見ているという場面が多かったということ。時には見ず知らずの子と一緒に食事をしたりした。そんなとき、お父さんお母さんはどうしてるの? と聞くと必ず「寝てる」と言いました。
子供は遊びたくてウズウズしているのに、両親は太陽が高くなるまで寝ている。キャンプ場に来ているのに親は子供と遊ばない。そういう場面を何度も見ました。
何もったり、責めたりすることがなかったとしても、寝ていることが多い母親というのは、それだけで子供の気持ちを大きく挫いたり、心配をさせたり、社会性を極度に失うほど情緒を欠落させてしまうことになるのです。
母親は寝ていただけで、子供を強く叱るわけでもないけれど、子供は外へ遊びに行けない。仮に家を抜け出して遊びに出たとしても、お腹を空かせて帰ってきても母親が寝ていたら朝ご飯も食べられない。
そういう状況は、自分の気持ちの土俵をまるで広げることができないし、夢も希望もプランも何も持てない。ただ生きてるだけになってしまい、それは母親が何も悪いことはしていないようだけど、子供の気持ちの成長を大きく阻むことになるのは間違いありません。それは悲しい状況と言い難いけれども、非常に悲しく辛い状況です。言葉にできない悲しみがある。誰も助けてくれない、疲れているのだろうと思うと母に文句もつけられない。誰も悪くない、と思いながら、自分は悲観的にしか生きられなくなる、ということがあるのです。
ほんとにそういうことがあるね。子供が小学生のとき、ずっと夏休みに地域で早朝のラジオ体操があった。
ところが、お母さん方が交替でそのラジオ体操の会場に出なければならないので、そのうち朝から起きていくのが面倒だと親御さんたちが言い出した。それで毎日あったラジオ体操が、1週間だけにしましょうとなり、やがて朝のラジオ体操はやめましょうということになってしまいました。
子供達は早起きが嫌じゃないから、ラジオ体操が楽しみで行きたがっていました。お母さん方も毎日ではなくて、交替で行けば一週間に1回くらい出れば済むのに、それを嫌がるようになりました。
すると、だんだん親に気遣って子供達も朝寝するようになり、とっても残念だなと思っていました。子供達もお母さんは忙しくて疲れているんだなと思ったら、ラジオ体操に毎日行きたいよなんて言えなくなります。それで大事な時期に元気に遊んだり、友達との交流を失っていくことになって、大変な思春期を迎えてしまう子もでてくることになる。
朝に早く起きても、朝ご飯も遅いし、親も寝ていると思ったら、子供達はゲームを遅くまでしていたり、スマホを使っていたりして、だんだん寝る時間も遅くなり、起きる時間も遅くなる。そうやって、リアルな体験をしなかったり、情緒や喜怒哀楽がバーチャルになっていって、自分が精神的にバランスを欠いた人になっていくことに薄らと痛みを感じるようになっても、親を庇っているので本当は親に傷つけられたと思いにくくなっていると思います。
だけど、社会性を欠落させられているという意味では、充分に傷つけられていると言っていいと思います。
(2023年4月7日 掲載)