私がなのはなファミリーに来たばかりの頃は、本当に誰とも信頼関係を築けない感じの自分でした。
自分から人の信頼をくじくような行動をしてしまったり、人を信じられないっていうのがずっと続いて、人と人との信頼関係がどういうものか、わからなくなっていました。
今、なのはなで過ごす中で、みんなと時間を共有したり、場面、場面で自分の気持ちを真っ直ぐに言ったり、時間を守ることなどもそうですが、小さなことで信頼関係が築かれていくなとすごく感じています。スタッフさんとも最初の頃はすごく距離があるような気がしたし、お父さんとも遠い気がしていました。
でも、今は本当に距離を感じない、いい意味で距離がなくて、誰とでも同じように話せたり、気持ちを共有し合えています。言いたいことを言えるっていう関係に、すごく自分は安心するし、自分が駄目だったとしても、間違ったとしても、大きく許されているような感覚がすごくあります。
でもそれと同時に、もっと深い信頼関係を作っていくには、どうしたらいいんだろうという気持ちになることがあります。どうやって深い信頼感を作りますか。
仲良しごっこ的なことをいくら続けても、浅い信頼関係しかできないでしょうね。
深い信頼関係というとき、深い理解とか、深い付き合いとか、高い理想を共有するとかいうように、深いとか高いという言葉がつく関係のような気がするよね。
高い理想を持った人同士が、協力しながら作っていく関係は、深い信頼関係になっていくでしょうね。
そんなふうに、理想を共有できるとか、世の中に対する認識や深い知識とかが、共有されている関係というのが、信頼関係の前提にあるように思います。
だから仲間が集う場所を土俵だとすると、どんな土俵に乗っていますかっていうことが問題で、どんな土俵に乗った仲間ですかっていうことであると思うんだよね。
その土俵が、ごく単純な深みがまったくないところで成立しているようなものだとすると、そこに集う人たちの信頼関係も浅いままになってしまうということもあるような気がします。
反対に、複雑で難しい仕事をしている人が乗ってる土俵で、しかも複数の人や複数の企業が協力しないと事業が達成できない仕事だとすると、それを達成するたびにそれなりの信頼関係が積み上がっていくことになると思います。
あるいは、大きな志を持って、共にその志に向かって歩もうとするときに、お互いがサポートし合える関係は、どうしても深い信頼関係にならざるを得ないよね。
逆に言うと、あまり目的を持ってない人、その場限りの遊び友達との信頼関係は、どんなに上手に遊んでいても浅い信頼関係になってしまう。
だから言ってみたら、どれほど深い志を持っているか、それをお互いに共有できるかどうかによって、信頼関係の深さは、変わってくるんじゃないでしょうか。
細かなことはどうでもいい、楽しければ人生はどうでもいいんだ、何にもこだわらないほうがいい、と言ってる人は深い信頼関係もあまり必要ではないかもしれません。
大きな目標とか、精神的な目的とか、人として生きる目的を高く据えて、高いハードルを越えようとしている人は、共にそういうものを越えようとしている仲間と、手を携えていこうというときに、大きな信頼関係が生まれるでしょうね。
戦争中にシベリアに抑留された人が仲間を集って脱出し、インドまで歩きで逃げていく『脱出記』という本がありますが、大きな困難を乗り越えた仲間には、それだけ強い信頼関係ができていたと思います。
共に過ごす時間が、永くしかも濃い時間だったら、信頼関係もそれだけ強くなる。
こうして考えてみると、志がまったくない人とか、自分でどこかにハードルを設けて、それを越えていくプランを全然持っていない人の場合には、誰とも信頼関係を築く必要がないので、ラクに生きていったら、深い信頼関係はどこまで行ってもできないかもしれないし、深い信頼関係を必要としない人生になってしまうかもしれませんね。
(2022年5月25日掲載)
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