第44回「才能について」


〈質問者〉

質問

 自分に何かの才能があるかないかは、どのようにしたらわかりますか?
 例えば、なのはなで行う楽器の才能、ダンスの才能、何かをデザインする才能だったり。その人それぞれ適正があると思うのですが、そういうものはどうやって見分けるのですか?
 
 又、どうしたら自分の才能を伸ばしたり、いかしたりできるのですか?
 お父さんは、どうして物書きの才能を見つけたのですか?
 私には、お父さんのように何か自分の中から才能を見つけだせますか?
 
 質問、疑問ばかりですみません。
 でも、教えていただけると嬉しいです。

 

〈お父さん〉

答え

(直前の質問で唐揚げの話があったからでしょうか)
 あのね、僕ね、ウインナー大好きなんですよ。

 

〈お母さん〉

 その話、もう何回もしてるよ。

 

〈お父さん〉

 ある時ね、息子と2人でお留守番をしてたんです。
 お昼にウインナーラーメンにしよう、となった。息子もウィンナーが大好きで、2人で好きなだけ腹一杯喰おう、ってウィンナーだらけのラーメンにしてみた。
 
 これがね、食えないもんだね。
 しまいにウインナーみるのも嫌になっちゃったね。
 意外に食べられないもんですよね。
 もうちょっと食べたいねっていうくらいが、一番美味しいんですよね。
 
 子供が、「お父さん、もうしばらくウインナー食いたくないね。見たくないね」
といったけどまったく同感でした。
 ……才能の話でしたね。

「例えば、なのはなで行う楽器の才能、ダンスの才能、何かをデザインする才能だったり。その人それぞれ適正があると思うのですが、そういうものはどうやって見分けるのですか?
 又、どうしたら自分の才能を伸ばしたり、いかしたりできるのですか?
 お父さんはどうして物書きの才能を見つけたのですか?
 私には、お父さんのように何か自分の中から才能を見つけだせますか?」
 
 なるほどね。面白い質問だと思いますよね。
 ちょうどね、そういうことを今日、考えてたんですよね。
 あの、この子にね、例えばダンスの才能あるかなっていうときに、その人の運動神経っていうのはあまり問題じゃない感じがするんですよね。
 あるいは、楽器の才能があるかなっていうときに、あんまり楽器の能力は問題じゃない気がするんですよね。絵となると少し手先が器用か関係するかもしれませんけど。

 その人がどれくらい優しいだろうか。
 その人がどれくらい深い考えをしてるだろうか。
 どのくらい深い謙虚さを持ってるだろうかっていうのと、
 こういうアーティスティックな何かを表現する才能は、物凄く深くリンクしてると思います。

 優しくない人は、ダンスの才能ないですね。
 浅い人は、そういう音楽の才能ないですね。
 表現が浅いのでね、ここまででいいと思っちゃうんですね。
 
 その人の人間味の深さと、こういう才能はすごくリンクしてると思います。
 そういう人間味の深さと、才能の深さっていうのは、正比例すると僕は思ってます。
 
 これでいうとね、その人それぞれに、どのように見分けるか。
 この子深い子だなとか、深く取り組むとか、勇気がある、逃げない。あるいは逃げる。
 逃げない子は正面からぶつかるだろうし、ぶつかれば上手く難しいことを克服してできるようになるだろうし。
 サボり癖のある子は、人が見てるところでは練習するフリするけど、見てないところでは絶対しないから、上手くならないだろうし。
 
 それも人間味だよね。さぼるのか、こつこつする人なのか。
 人間の持って生まれた力って言うのは、それほど大きな差はないと思うんですよ。
 だからコツコツとやったら、それに勝るもの(才能)は無いと思うんですよね。こつこつとやる気の薄い人は、何やっても伸びません。よほど天才ったって駄目なんですよね。

 で、「お父さんはどうして物書きの才能を見つけたのですか?」
 簡単ですよ。僕は、本を読むのが好きで、面白いなあと思って、素晴らしいなあと思う小説を沢山読んで、ある日ふと、自分もこういう物書いてみたいなあと思っただけです。
 あの、人のことは映し鏡なんですよね。
 だから、何か物を書いてる、物凄く面白いなあと思ったら、それは適正があるんですよ。適正があるから物凄く面白く感じるんであって。
 
 変な話、小説読んで、面白い面白い面白い……ここで終わり? やだよ、続き書いちゃおう、て感じですよ。
 書きます。書けそうな気がする。書きたいなあ、とかね。そういうことだと思いますよ。
 能力あるかないか関係ない。面白くて出来そうだと思ったらそれで良いんじゃないでしょうかね。
 だから、「お父さんのように何か自分の中から才能を見つけだせますか?」といったら、自分が好きかどうかだと思いますよね。好きだったらそれは適正があります。才能があります。

 ただ、才能で職業にするっていうのはものっすごく難しいと思いますよ。
 仕事のね、業界用語みたいな感じで、参入障壁っていう言葉があります。
 なにか新しい事業、仕事があります。新しい会社がそこに参入してくるときに、参入障壁って言葉があります。
 参入障壁が高いビジネスは、成功しやすいんですね。なんでかっていうと、ライバル企業が絶対出てこないから。
 例えば、飛行機を製造するって言ったらね、その辺の町工場で、「飛行機作って売ってやろうかな」なんて思わない。すごく高いですよ、参入障壁が。
 
 たとえばレストランなんかでも、「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」ていうチェーン店作ってる人なんかは、これは元のブックオフの社長ですけど、参入障壁が高いだろうなあ、と思います。彼が言ってるのは、一流シェフと言われてる人達を次々引っこ抜いちゃって、それでチェーン店にして、食材を安く大量仕入れして、それで回転率を高くする、というビジネスで成功してるんですね。

 回転率というのは同じテーブル同じ席を、1日3回も4回も使うわけです。行列の出来る回転寿司みたいな形でね。
 高級フレンチとか、高級イタリアンをすごく安い値段で提供する。
 それを銀座でやってる。ものすごく流行ってるんですね。

 これは、同じようなビジネスやろうと思ってもなかなか後から出来にくい。 
 まず一流のシェフを引き抜いてくるわけにいかない。適当に採用して、マニュアルで作らせるっていうのと違うので。どんなチェーン店にしろ、料理人の数がある程度しかいないのでね。それほど増やせない。

 色んな形、単体の仕事でも参入障壁がある仕事があります。
 専門的な技術職ですよね。
 たとえば刀にね、銘を打つ仕事とかね。刀の研ぎ師とかね。これは相当の技術が必要で、相当の修行期間が必要です。刀を磨く機会っていうのは限られてますから、参入障壁が高い。
 むしろ、そういうところに弟子入りして根気よく7年、8年修行して、独立して研ぎ師になりましたとなったら、これはけっこう食えるかもしれない。どこかの美術館の依頼、あるいは刀をコレクションしてる人からの依頼があるでしょう。
 
 逆に、参入障壁の低い仕事ありますね。
 例えば僕の仕事、物書き。日本語は、誰でも書けるんですよ、鉛筆1本あれば。なくたって編集部の借りればいいんですから。
 技術って、僕、日本語書くの下手です。すごい読みにくい文字しか書けない。
 じゃあワープロ、誰でも持ってる、誰でも書ける。  
 参入障壁がものすごく低い。それで飯食っていこうっていうのは、ものすごく難しい。
 
 自分は才能ありますと言ったって、才能ある人と無い人を見分けるのはすごい難しい。
 才能で自分の職業としようかっていうの、物凄い別の話なんでしょうね。
 どの仕事で自分は生きていくのか。自分の才能を生かしながら仕事にって言うのは、まあ、あんまり無いでしょうね。
 
 自分の才能を生かした仕事に就くっていうのは、世の中に1万人仕事に就いてる人がいるとして、才能を生かした職業に就いてると思いますって言う人は、50人もいないんじゃないでしょうか。
 ちなみに、日本で小説家として原稿料と印税だけで食べてる人は50人しかいないそうです。それで食べられる人っていうのは少ないんですね。

 だから、なんていうんだろうな。
 人生を生きるには、その才能を生かしながらなんか仕事をして生きていこうという風には、あまり最初から思わない方が良いんじゃないでしょうかね。
 自分はこの道が好きだからと、そっち方向にいって、別の形になっちゃったという人がほとんどじゃないかと思いますよ。
 僕もそうですよね。物書きでやってきたのだけど、いつのまにかなのはなファミリーやっていますよね。
 
 物書きって、参入障壁がほとんど0なんですよ。誰でも入ってこれる業界です。
 けれども、ものすごく競争が激しい。いや、実力差が出やすいですね。その人が、なのはなファミリーやってるんですね。なのはなって、ものすごく参入障壁高いんですよ。誰かが見学に来てね、1週間見学する。自分で、アブラナファミリーみたいな……似てるだろうって、作って「摂食障害、回復させますよ」といったところで、本当に回復させることができるかというと、やれないですよね。
 絶対やれない。だから参入障壁が極めて高い。このノウハウが分からないからね。
 
 参入障壁が思い切り低いところから、参入障壁が思い切り高いところに来る。こういうのも珍しいかもしれませんね。
 ただ僕がなのはなファミリーやる才能あるんじゃないかなと気がついたのは16歳のとき。だから物書きになろうと思った。

 物書きに必要なのは何だと思いますか?
 文才と思いませんか? 文章を書く才能が必要と思いませんか?
 僕が物書きになれるんじゃないかと思ったのは、本を読んで面白かったから。何で面白いと思ったのか。僕は痛んでたからですよ。
 ものすごく痛んでたので、その文章が、小説が、心に染み渡る。もうほんとに救いの神というか、救い、癒し、それを感じることができた。
 それはある意味、僕の欠落したところであると同時に、その欠落した部分が才能になっているということです。
 文章が上手いとは思ってなくて、なにかに衝き動かされるようにして急かされるようにして書いてる。その文章をね、話をね、深い話を書こうとして書いてる。

 小説を読んで、大きな感動を受けたのは、僕がこの作者と同じ痛みを既に持ってたから、すごいなあと思ったんであって、僕が文才があったからじゃないんですね。
 心が痛んでたからなんですね。
 だから、文章を書こうとするときに、一番心が痛んでる人の発想で書いてる。
 それは、他の人に読んでもらう価値がある文章ということですよ。
 文章のうまさじゃない。
 それで、その延長でね。自分は、その自分の痛みにね、オロナイン軟膏を塗り込むようにしてね、取材を重ねて経験を重ねていろいろ考えてきた末に、自分の痛み、あるいはいろんな取材で経験した人達の痛みをね、こういう共通点がある、回復にもこういう道筋がある、と見えてきた。

 それまでもずっとその視点で書いていて、その原稿は僕しか書けない原稿だった。例えば同じ雑誌でもね、摂食障害の悲惨さを、いくらセンセーショナルに書いても、あまりヒットしない。
 僕が書くと物凄く売れる。それはちゃんとその痛みを書けるから。共感してくれる人が多いから売れる。
 僕の価値がそこにある。
 才能っていうのはそういう事じゃないか。
 なのはなファミリーやるときも、これまでの仕事と全然違うことをやっていると思わない。同じことやっているんだよね。
 僕は何も変える必要がなかった。スタンスも何も。

 今は文章の話ですけどね。
 ダンスでも、人の心を打つことがあるでしょう。やっぱり、色んな人がいるけど、もうお腹いっぱいで全部満ち足りてる人が、何も感じようとしてない人に踊ったって、何も受け取っちゃくれないですよ。
 だけど何か精神的なものが飢えてるとか、吸収したいなと思って人に興味を持つ人は、そういう人は、感じる力があります。

 例えば、お祭りかイベントでなのはなが踊ってる。
 そのときに、自分の娘がちょっと調子悪い、そういうお母さんがたまたま見たとします。あるいは本人が見たとします。仕事もしてるけど何か迷いがある、楽しめない、生きてる実感がないという子です。
 ふっと見ると、同じ世代の女の子が踊ってる。ちょっと聞いてみようかなというとき、
すごい、と思うのは、どういう踊りなのか。どういう演奏なのか。
 私って上手いでしょう、アイドルみたいでしょとやっていたら、何やってんだ、と思っちゃう。
 
 だけど、なんか自分に向き合って、才能あるとか無いとかじゃなくて、ほんとに真剣に自分の全勢力で踊ったり歌ったり、演奏していたり、それを観たら、その演奏してるみんなの気持ちがどーんと前に出てたら、それこそがーんと、感動できるんじゃないでしょうか。
 つまり、私って上手いでしょ、じゃなくて、どんだけみんなが自分の気持ち、自分の今を精一杯表現してるかどうか。それが問題なんです。
 で、自分の気持ちの通りに表現できることが才能なんだと思うんだよね。
 
 ごまかしごまかしね、人の目を盗んで、サボりながらちょろちょろ形ばかり練習した人が踊ったって、面白くも何ともない。
 もう自分はこうしか踊れません、っていうくらい自分を追い込んで踊ってる踊りは人の心を動かします。
 そういうふうに自分に向き合えるかどうか。その深さが才能であって、それを持てる人は、才能ある人と言えるでしょうね。

 有名なあれで、千住博っていう画家がいる。日本画の大家です。
 妹はバイオリニストの千住真理子。弟は作曲家の千住明。
 千住3兄妹。
 兄妹3人とも、分野が違って、全部アーティストとして成功してます。
 
 それは、たまたま画家としての才能ある先祖がいて、じゃないと思うんだよね。
 親が、深く生きて見せているんだと思うね。
 で、子供に深く生きることを求めてきたんだと思うね、小さいときから。 
 親がアーティスティックに生きてるんだと思う。
 子供が真似をして、深く生きる。深く生きるって心を持ったら、音楽やったら深く、絵を描いたら深く描く。
 そういうスタンス。
 
 才能とは生まれつきあるものじゃなくて、生き方なんです。
 生き方が深いスタンスを持ててる人。その人は才能を持ててる。
 サボり癖のある人。それは才能のない人と言って間違いないです。
 
 僕が、この子のダンス面白いなと思うのは、やっぱり、もしかしたら一番痛んでる子かもしれませんよ。一番一生懸命な子ですよね。一番真面目な子ですよね。一番深い子ですよね。
 演奏もそうだし。反対に楽をしてる子、考えない子、それは、そういうアーティスティックな才能は、人に見せるべき物は少ないだろうな。そういうふうに思う。そういうことです。
 それが現実だと思いますよ。

 思いっきり才能がないけど、思いっきり真面目で有名になったのなんか、ルソーとか、いますよね。外国のうまへた絵の元祖なんかね。
 才能がなくても、画家として成立しちゃってる。すごい真面目で真剣だから。
 そういうことですよね。
 
 みんなも今からでもね、才能のある人になろうと思えばいくらでもなれる。深く生きていけば良いだけですから。
 だけど、生き方を変える、そういう覚悟があればいいことだけど
 それはほんとに今までの自分を捨てるくらいのね。
 しゃべり方を変える、姿勢を変えるくらいの気持ちだったら、なんでも、才能あると思いますよ。

 ピカソの母親は、ピカソを育てるときに、
「お前は天才だよ。絵を描いたら世界でトップクラスの画家になれるよ。音楽をやったら世界でトップクラスの音楽家になれるよ。何やっても天才になれるよ」って。
 ピカソは結局、絵を選んで、まあ世界に知られるようになる。
 
 そうやって褒めてね、増長させたんじゃないんですよ。
 褒めたことによって何が起きたと思います?
 小さいときからね、「お前は天才だよ。世界で一番有名な人間になれるよ」
 ずっと言われてごらん。
 自分は世界のトップクラスの人間になる。だとしたらどう生きるか。
 恥ずかしい生き方は出来ない。自分は天才アーティストとして生きるんだから。天才アーティストらしい生き方をしないといけない。
 自覚が生まれる。物を見る、物を見るんでもね、小さいときから世界の天才アーティストとして物を見る。
 
 自分が生きてる世界はどういう世界なんだ? 
 この世界を生きてる人達に、自分は何を与えるんだ?
 消費する人じゃない。
 この世界の人に自分は何をプレゼントしようか。
 ずっとそう思って生きてきた。
 それは生き方ちがうよね。大天才前提だから、さぼらないんだよ。
 なにをやるんでもこれは大天才としての必要なこととしてやる。
 
 無駄なことはしない。自分が落書きをちょっと書いても、これはきっと、後で物凄く高値で売れると思うから、大事に描く。
 どんな変な絵でも、自分が書いてる限りこれは評価されるだろうと。

 バルセロナにピカソ美術館がある。行ってびっくりしました。
 女性の陰部だけのスケッチが、ずらーっと壁一面に飾ってある。
 これっていいのかなあ、みたいなね。ピカソだから許されるのかな。
 びっくりしちゃいますけどね、正々堂々、本気でそればっかり書いてる。
 それでサインもある。
 自分がこうと信じ込んでやったら、何でも評価されちゃうんだな。
 ちょっとびっくりしましたけど。
 
 そういう自覚を持って、なにがしかセンセーショナルなことをやろうという意識を持ってやったんだと思いますけどね。
 まあ才能は、そういう生き方なんじゃないでしょうかね。
 僕はそう思いますよ。
 だから、もしみんなが今からでも、才能ある人として生きるんだったら、全員がそうなれる。

 

〈お母さん〉

 今の話、びっくりだよね。
 今のお父さんの話をちょっと自分なりに考えて、暖めてもらいたいなあと思うんですけど。
 すごいなあ、なんて思わないで、やっぱり自分も出来るって思った方が良いね。
(ちょっとな、自分には)って思ったらもう駄目だね。
 できるって信じ込まないとね。
 
 やっぱり、どういうモチベーションでも良いけど、自分は天才なんだ。だから与えなきゃいけない。
 本当に、与えるって言うことが物凄く、大事だってお母さんは思うんだよ。
 なんだろう。
 変な話だけど、摂食障害の人は……って括りたくないけど、やっぱり、ケチなんだね。細かくって、でないと自分がいつ危険にさらされるかもしれないから、何かストックしたかったり出し惜しみをする。
 だけどね、お母さんはね。
 それをやってたら、気持ちも人に与えられないしね。なんか、すごい、具体的じゃないけど、ほんとに自分はそうなんだってちょっと自覚して、与える人になった方が良いと思う。ほんとに小さな事でも。無理してでも。嘘でも。
 
 変だけど具体的な話したらね。お金でも貯めようと思ったら、けちけちして貯めたら貯まらないんだわ。
 それは、大盤振る舞い、無駄遣いして、とかじゃないんだけど。
 誰かのためになったらとか、ありきたりだけど、何か良い物に使うっていうか。例え旅行に行くんでも、自分が行くんだけど、それは良いことに……自分が何かを、みんなに還元するために行くとか、そういう気持ちが先になってるっていうか。
 そういう物がある時って、後から戻ってくるんだよね。物凄い戻ってくるんだ。大きな、何倍も何十倍も。
 お母さんはそう思います。
 お父さんのいい話を取ったかもしれないけど、与えるっていうことをちょっと頭に入れといてもらいたいなって、まあ、そうお母さんは願う。









第1回~第100回(クリックすると一覧を表示します) 第1回「縦軸と横軸について」
第2回「神様は何をしようとしているのか」
第3回「本で涙を流すことについて」
第4回「本を読んでも内容を忘れてしまうことについて」
第5回「時間をうまく使えるようになるには」
第6回「太宰治について」
第7回「摂食障害の人が片付けが苦手だったり、約束の時間に遅れてしまうのは何故ですか?」
第8回「自分のことを『僕』『おいら』と言うのをやめられなかったのは、なぜか」
第9回「おいしいカレーと、おいしくないカレーの違い」
第10回「楽しんで走る」
第11回「死ぬことへの考え」
第12回「『聞く』と『教えてもらう』」
第13回「頑張るフルマラソン」
第14回「他人の成功」
第15回「『今』という時間」
第16回「不安の先取り」
第17回「良い協力関係」
第18回「急に悲しくなる」
第19回「夢の持ち方について」
第20回「心の許容範囲」
第21回「疲れるのが怖い」
第22回「スポーツの勝ち負け」
第23回「人といること」
第24回「“好き”という気持ち」
第25回「何でも知っている」
第26回「舞台鑑賞が怖かったこと」
第27回「生まれ変わるとしたら」
第28回「一番感動した景色、美しい国はどこですか?」
第29回「好きな時代はいつですか」
第30回「体型について」
第31回「行きたいところ」
第32回「悲しくなったら、動く」
第33回「意志を持てないこと」
第34回「心を動かす」
第35回「恋愛できますか」
第36回「日記の重要性」
第37回「心配されたい」
第38回「ONとOFF」
第39回「いつも同じ態度で」
第40回「涙腺が弱い」
第41回「子供が苦手」
第42回「正しいことを通そうとして」
第43回「流されて生きる」
第44回「才能について」
第45回「身長は伸びますか」
第46回「否定感が強い」
第47回「ぐっすり眠れない」
第48回「見え方、感じ方」
第49回「強さについて」
第50回「自分の出し方」
第51回「身体の調子と気持ち」
第52回「何のために変わるか」
第53回「痛みを知る」/a>
第54回「投げやりな気持ち」
第55回「未完成」
第56回「相手を許す」
第57回「書けないとき」
第58回「甘いと甘え」
第59回「イライラしない」
第60回「落ち込んだ時」
第61回「生きているなら」
第62回「わからない問題は」
第63回「眠ること」
第64回「子育てについて」
第65回「夫婦で大切なこと」
第66回「自己否定について」
第67回「友達が欲しい人、そうでない人」
第68回「未来を信じる」
第69回「山を登ると」
第70回「リーダーをすると苦しくさせる」
第71回「自分から人を好きになる」
第72回「小さいころからの恐怖心」
第73回「お姉さんのような存在を」
第74回「作業に対して気持ちの落差が激しい」
第75回「大きな希望を持つとき①」
第76回「大きな希望を持つとき②」
第77回「夢について・集中力について」
第78回「やるべきことをできていなくて苦しい」
第79回「やるべきことをできていなくて苦しい②」
第80回「真面目さは何のために」
第81回「高いプライドをつくるには」
第82回「番外編:そうだ、お母さんにきいてみよう!」
第83回「相談、確認が多いことについて」
第84回「自信を持つ」
第85回「間の良さ、間の悪さ」
第86回「過去を美化してしまう」
第87回「統合力を高めるには」
第88回「見張られているような不安」
第89回「どうして人間だけに気持ちが必要なのか」
第90回「休日になるとやる気がなくなってしまう」
第91回「低気圧」
第92回「どうして動物を飼うの?」
第93回「自分を褒める話をするには」
第94回「眠れない」
第95回「ふいに恥ずかしくなる」
第96回「躾について」
第97回「壁をなくしてオープンになるには」
第98回「自分がオーラのある人になるには」
第99回「私のストレスは何?」
第100回「社会性を身につける」
 
第101回~第150回(クリックすると一覧を表示します)
第101回「依存を切り離す期間は? その後はどう変わる?」
第102回「依存を切り離すことについて②」
第103回「会話が理解できない・生きる意味」
第104回「何者にもなれないのでは、という不安」
第105回「一緒に長時間いられない」
第106回「人の気持ちを汲めない」
第107回「リーダーとしてちゃんと動くには」
第108回「仕事への情熱と、興味があること」
第109回「日々の習慣を持つ」
第110回「自分のアスペルガー的な要素について」
第111回「外見について」
第112回「芸術、情緒、愛情 心の深さ」
第113回「なぜ風俗業は禁止にされないのか」
第114回「生き難さを抱えていなかったら、どんな将来の夢を」
第115回「健全な家庭なら自我は育つのか」
第116回「自我を育てる」
第117回「説明が理解できない」
第118回「好きな花①」
第119回「好きな花②」
第120回「血を連想させる単語を聞くと」
第121回「社会性と、基本的な姿勢」
第122回「深い関係をとって生きる」
第123回「ノルマ感、義務感が強い」
第124回「野菜の収穫基準がわからなくなる」
第125回「自分を楽しませること、幸せに過ごさせることが難しい」
第126回「向上心を持てないこと」
第127回「アーティスティックな心」
第128回「野性味を取り戻す」
第129回「個人プレイからチームプレイへ」
第130回「すべてのことを高いレベルでやりたい」
第131回「なぜ、痩せているほうが良いと思われるのですか?」
第132回「予定が変わると、気持ちがもやもやする」
第133回「楽観主義者と悲観主義者の境界線」
第134回「上品に、笑顔で、美しく」
第135回「続『上品に、笑顔で、美しく』」
第136回「嘘をつけない」
第137回「お父さんが怖い 前編」
第138回「お父さんが怖い 後編」
第139回「見事やで」
第140回「頼まれごとが不安・時間に遅れる①」
第141回「頼まれごとが不安・時間に遅れる②」
第142回「頼まれごとが不安・時間に遅れる③」
第143回「大きな声を出すこと」
第144回「時間の使い方」
第145回「お腹がすく」
第146回「本を読む時、第三者の視点になってしまう」
第147回「罰ゲームの答えとユーモア」
第148回「アイデアが出ないこと」
第149回「気持ちと身体の助走」
第150回「花や動物を可愛いと思えない」
 
第151回~第200回(クリックすると一覧を表示します)
第151回「美味しいセロリ」
第152回「尊敬している人といると、あがってしまう」
第153回「考え事がやめられない」
第154回「認めてもらいたい気持ち」
第155回「寝汗をかかなくなった」
第156回「時間の不安について」
第157回「楽器を練習したい、本を読みたい」
第158回「疲れを認めたくない」
第159回「アトピーと蕁麻疹」
第160回「はっきりした人になりたい」
第161回「会話と、興味の深さについて」
第162回「思春期の不安定」
第163回「潔癖症について」
第164回「自尊心」
第165回「自分の身体のサイズ感をとらえるのが苦手」
第166回「兄弟を心配する気持ち」
第167回「自分の声への違和感」
第168回「野菜の調子が悪いと、自己否定してしまう」
第169回「好きな気持ちと、誤解をされることへの不安について」
第170回「トイレが近いことについて」
第171回「競争意識について①」
第172回「競争意識について②」
第173回「コンディションによって態度が変わる人、変わらない人」
第174回「恐がりなことについて」
第175回「テンション」
第176回「目を見ること、見られること」
第177回「よいお母さんになる10か条」
第178回「音楽と我欲①」
第179回「音楽と我欲②」
第180回「時間の使い方と焦りの気持ち」
第181回「自分に疑心暗鬼になって、不安に陥ってしまうのはなぜ」
第182回「有志の募集に手を挙げづらい」
第183回「緻密に」
第184回「いつも怖い」
第185回「体型に対するこだわり」
第186回「気持ちの切り替えが、うまくできない」
第187回「米ぬかぼかし作り」
第188回「評価すること」
第189回「堂々とした人に怯えてしまう ①」
第190回「堂々とした人に怯えてしまう ②」
第191回「耳が良くないこと」
第192回「限界」
第193回「物を簡単に捨てることができてしまう」
第194回「整理整頓、片付けができない」
第195回「次のミーティングは、いつですか?」
第196回「整理が過ぎるのは症状ですか」
第197回「人をもっと理解したいということについて」
第198回「体育の授業が怖くて、さぼっていたことについて」
第199回「完璧が怖い」
第200回「やるべきことに追われてしまいがちな気持ちについて」
 
第201回~第250回(クリックすると一覧を表示します)

第201回「正面から受け取りすぎることについて」
第202回「手持ち無沙汰にさせることが怖い」
第203回「生き物が好きで触りたくなる気持ちについて」
第204回「魚の食べ方について」
第205回「ステージで間違いがあったときは」
第206回「作業で焦ってしまう」
第207回「調理されて食べられる魚はかわいそう?」
第208回「頑張ろうとすることに疲れた」
第209回「自己愛性パーソナリティ」
第210回「期待について その①」
第211回「期待について その②」
第212回「アウトプットで生きる」
第213回「キャパシティを大きくしたい」
第214回「コミュニケーション」
第215回「秋が寂しい」
第216回「我欲と、自分を大切にすることの違い」
第217回「声を前に出して歌うには」
第218回「できる気がしない、と感じてしまう」
第219回「苦手なことをしている時間を苦痛に感じてしまう」
第220回「握力について」
第221回「喜び合うための全力」
第222回「リモコンの操作と、ゴミの分別が覚えられなかったこと」
第223回「相談をしたり、買ってもらったりすることが怖い」
第224回「ケアレスミスが多い」
第225回「恥ずかしさにどう対処するか」
第226回「きつく締められないこと」
第227回「豆掴みと羽根つきが、うまくできるようになっていた」
第228回「プライドを守り合える関係」
第229回「人間味を学ぶために」
第230回「リーダーをするときの不安と罪悪感」
第231回「幸せについて」
第232回「不思議ちゃんと言われていたのはなぜか」
第233回「話の絶えない人になるには」
第234回「サービスをする人になる」
第235回「ソフトボール部に入らなくてはいけない気がする」
第236回「ディストピアと野蛮人の村」
第237回「好きと言ってみる」
第238回「質問がまとまらない」
第239回「ソフトクリーム」
第240回「謙虚について」
第241回「人との間にしか幸せはないこと」
第242回「思いっ切り遊んだことがない」
第243回「癇癪について」
第244回「友達について その①」
第245回「友達について その②」
第246回「センスよく生きる」
第247回「根拠のない自信」
第248回「先生になること」
第249回「演じること、正直になること」
第250回「怒りと感謝の気持ちは共存しない」
 
▶第251回~
第251回「アメリカンドリーム」
第252回「悲しむこと」
第253回「限界までやってみる」
第254回「リーダーの向き不向きについて」
第255回「悲しくならない求め方」
第256回「人前に立つ緊張」
第257回「野菜の見方」
第258回「プライバシーについて」
第259回「寝相について(前半)」
第260回「寝相について(後半)」
第261回「変わっていくことについていけない恐ろしさ」
第262回「速く書く事」
第263回「利他心について」
第264回「集中力について」
第265回「読書について 解釈と鑑賞」