(この記事は、前回からの続きです。)
お父さん:
やっぱり、失敗したら不安になる。この人の「失敗」というのがすごく中途半端で、人本位、他人本位だと思うんですよ。
僕はこれから先のコンサートでも失敗することがない、って断言できるんですよね。今までも失敗したことがない。これからも無いんです。
なんで断言できるか。
失敗したときには、最初からそうする予定だったんだということにすればいいんです。
今回のコンサートでは『オリエンタル・ウィンド』のとき、一輪車が2人で手をつないで曲乗りをしながら出て来るでしょう。絶対に失敗しそうじゃないですか。
だから、あれはうまくいったらいったで、ピエロ役ののりよが、大げさに拍手することにしていたし、失敗したら笑い者にするポーズをとることにしていた。「失敗したー、見て見て」って大騒ぎしてね。それも予定通りなのかなって、お客さんに思わせる。失敗したときの仕草も決めておいてね、成功したときの仕草も決めておいてね。みたいな。
失敗も予定通り。ああ、あれは、ってお客さんも納得しちゃう。そうすれば失敗が失敗じゃないんですよ。これは演奏もダンスも劇も全部そう。
作業でもそうで、頼まれて失敗というのはあまりない。0か100かなんていう作業は、そもそもそんなに無いですよ。途中段階があるわけです。許容範囲で収める。ストライクゾーンで収めればいいのであって、ストライクの真ん真ん中である必要はないのです。
人生って意外とそれなんだなと思っちゃうんですよね。
コンサートではお客様が影絵も褒めてました。
アンデスのシーンの影絵の制作が最後に残っていた。何か案がないですか、とコンサートの直前になって担当から聞いてきたので、さささっと描いて、これでいいから作って、って渡しました。僕は「綺麗にはできないだろうな、時間も無いから」と、できるだけ簡単にして、とりあえず枠を埋める。もうそれでいい、っていう。
これが影絵大会に出場して、これで世界チャンピオンを決めるということだったらそんなことはしませんよ。今回はコンサート全体の中のごく一部で、何%でもない。これが音響の質に関することだったら、本当に精緻を極めた調整が必要です。でもそうするところと、ある程度でいいところと、そのめりはりをつけていく。それをどこにするかは、自分で決めればいい。誰かに決めてもらって、これ怒られるかな、怒られないかな、ではない。
だから、自分で、「ストライクゾーンはこれくらい」と決めちゃうのです。
今度のコンサートの脚本を担当しました。
それについて言うと、僕は今だにまだ気持ちが興奮状態で客観的には考えられません。今までで最高だったと何人にも言ってもらえたけど、自分的には、正直、何が今までで1番良かった理由なのか、今はまだよくわからないんです。
この脚本だけど、今から書くぞ、というとき、何も無いわけです。良いものができるかわからない。0から考えて書き出すわけですよね。そのときにあるのは不安だけです。だって台風と宇宙人とサーカスを組み合わせてストーリーを作る、それしか材料がないわけですから。
つなぎ合わせようがない。台風と宇宙人……、つくれと言われたってね。
だけどそのときに、ただ面白いもの、そこそこ面白いものはできるだろうっていう、自分に対する期待はあります。とりあえず書き出したときは、自分しかいない。自分に期待するしかないんですね。その期待で不安を乗り越えていく。
自分に対する期待。それを持ち続ける。過去にその期待に応えてくれたことがある自分を大事に思って、自分を信じるのです。
自分は今までだってできてきたんだから、またやれるよ、きっといいものが書けるよ、と期待しながら、じいっとワープロの前で、真っ白い画面にカーソルがテンコテンコしてるのを見ていると、そのうち書かずにはいられなくなってくる。本当にそういう自分に対する期待をいつまで経っても持ち続けることが大事です。
3時間経っても5時間経っても1行も書けない場合は、疲れていますから、横になって寝てみる。
寝たら何か浮かぶんじゃないか、とそれでも期待は続く。
延々と待ち続ける。
そうしたら、出てこざるを得ないんですよね。
で、実際にはどうかというと、原稿を書くときなんかは、なにかヒントが無いかと近くにある雑誌を手にとって、そこに気持ちを逃がしてしまったりというのもあります。
読み始まると熱中しちゃってね。ああもう半日経っちゃった、気がついたら周りにある雑誌は全部、目次から編集後記まで読み尽くしちゃって、しょうがないから原稿に向かう。
そうなんですよ、ほんとうに。そのうち、「ああ、もう」って言ってるうちに何かしら出てくる。最後まで諦めない諦めない諦めないっていう、ね。
諦めなかったら、失敗とかはないんです。
お母さん:
そういうところあるよね。本当に悪あがきを2人してしてる。
お父さん:
書き出して何度も書き直していると、そのうち良いのか悪いのかわからなくなってしまう。すると、最後の最後を、なおが手直しして書き加えてくれたり、お母さんがハサミでちょきちょき脚本を切り出して、つけたり貼っつけたり外したり。そのうち僕は、自分でも何を書いたのかわけわからなくなってきて、ちょっと皆さん手を貸して、という形でだんだんできてくる。
自分で譲れないところとかはあるので、もちろん最後まで手は離さないけれども、途中は助けてもらえるところは助けてもらおう、みんなで作ろうというふうには思います。
やってみたら、「一番面白かった」と言われて、そうか、そうだったのかって思う。
そういうことなんでね。この質問にあるような、0か100か、なんていう種類の作業や仕事は、普通ではどちらかというと少ないんじゃないかな。
どっちみち、みんながやることですし、みんなが何とかしてくれる、って頼ったらいい。
それから、コンサートの曲目が書かれたリーフレットに、『オリジナル新曲』って書いてあるんだよね、タイトルが。小野瀬健人作詞となっている。けれども、リーフレットを発注したときには、まだ詩を書いていないです。ひょっとしたら出来上がらない可能性もある。だから曲目の最後に「曲目は変更する可能性があります」と入れておいてね、と言いました。
歌詞の文字数だけさとみからもらってたんだけど、僕があまり書かないものだから、曲を忘れちゃったでしょ、とさとみがUSBで曲のデータをくれていたので、それを聞いて、じゃあ書くか、脚本もひと段落したし、と。それでなんとか本番までに間に合いました。
でも、完成したのが遅くて練習時間がなくて、ホールで数回合わせただけであゆが歌わなければならなかったので、練習では最後までいったことが1度もなかっ た。これ、大丈夫かなと思ってたけど、最後まであゆが歌えたのは本番が初めてだったね。
あまりにも作るのが遅かったけど、結果的にいえば、本番で使えたからストライクゾーンにギリギリ入った、ということでしょうね。
お母さん:
あれ、題名どうするんです? 題名のないオリジナル曲だね。
お父さん:
こないだ頭にポッと浮かんだんだけど忘れちゃったんだよね。何かつけようと思いますけどね。幸い村田先生が気に入ってくれた。
村田先生:
いいですね。すばらしい。
お父さん:
そういうことでこの人は何かやるときに、およそ自分のストライクゾーンを持ちなさい、というのが答えですね。
真ん真ん中じゃなくていいですよということ。意外とストライクゾーンは広いですよ。そのストライクゾーンで仕事をしましょう。正確にしようとする気持ちが行き過ぎると、根本的なところを取り違えることも多いです。
村田先生:
松下幸之助も、「6割できると思ったらやる」って言うね。できるかできないか迷ったとき、6割できそうだなと思ったらとりあえずチャレンジする。
お父さん:
そうね、6割ぐらいで充分にストライクゾーンですよということでしょうね。
(2018年12月25日掲載)
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