質問
先日、お父さんが
「ここにいるみんなは恋愛経験がない子が多い」
というお話をして下さいました。
私も、恋愛経験のない1人です。なのはなに来るまで1度も男の人とお付き合いをしたことがありません。
(素敵だな、一緒にいて楽しいな)
と思う人はいました。
しかし、1対1で付き合うこと、恋愛関係になることが怖い気持ちがありました。
また、男の人から好きになってもらったこともありません。
男性恐怖症(生身の男性が怖い気持ち)や、男性に対してかまえる気持ちをもつようになったことは、摂食障害と関係がありますか?
また、なのはなに来て、私は人を好きになり、人を信じられるようになったけれど、「恋愛」と考えるとやはりかまえてしまうし、好きになることも好きになってもらうことにも自信が持てません。
これは、もっと気持ちが整ってくれば自然と変わりますか?
教えて頂けると嬉しいです。
答え
恋愛経験がないことと、摂食障害と関係ありますか、ということですが、まあ、関係はあるでしょう。
対人関係がきちんととれない、というのが大きな特徴ですから。
自分を過小評価して、相手の気持ちを考えすぎると、相手にのしかかって威圧するような態度をとるか、媚びるように下手に出るかのどっちかになる。
素直にストレートに自分の気持ちを出したり、相手の気持ちを受け取ったりすることが、できないのです。
ただし、僕は、僕の世代でも恋愛経験のある人はほとんどないと思います。
恋愛というのはむずかしいです。気持ちのクリーンな人でなければ、恋愛は成立しません。
損得感情のある人は、恋愛はできない。この人といたら得かな、とか考えてしまうのでは、純粋に好きになることはできません。
好きという気持ちに理由はないし、計算は出来ません。そういうのを持てる人というのはそもそも、僕の時代から少ないです。昔から少なかったんじゃないのかなと思います。
恋愛もどき、恋愛ごっこ、というのはいくらでもあるでしょう。
本当の恋愛は、あっても一生に一度だけ、というものでしょうね。
それは、スタンダールの小説『赤と黒』を読んだらわかります。
主人公の男性は、2度、恋愛のような感情を持ちます。2度目に好きになった人と結婚しますが、後で自分の本当の恋愛は最初の1回だけだったなと思います。
そういう恋愛を、普通の人はなかなかできません。ピュアな心を持つということはむずかしいんじゃないのかなと思います。
あと、相手にめぐまれないとできないしね。そういうタイミングにもめぐまれないと、恋愛は難しいんじゃないでしょうか。
だから、恋愛したい、と思っていてできるものでもない、ということですよね。
好きになることも、好きになってもらうことにも自信がありませんというのはわかります。
本当は、好きになる自信があるかどうかじゃなくて、気が付いたら好きになっていた、というようなものです。
言ってみれば、好きというのは、相手の良いところ見つけ。
相手の良いところを深く理解して、好きになってしまったら、それが自分の深い共感を誘うものだったら、心がそこから離せなくなる。それが、好きということです。
僕はね、小学生のときは男も女もなければいいのにと、思っていました。食べる楽しみもない代わりに、排泄する苦しみがなくて、口は喋るだけのためにあっていいけれど、排泄器官はなし、というのがいいと思っていました。中学くらいまで。女の人を好きといっても、浅い感情しかなくて、男も女もないほうがいいと思っていました。
高校生くらいのときから、ぼちぼち女の人がいてもいいかと思うようになりました。
街を歩いていて、すれ違って、きれいだなと思うだけで、次々にその人を好きになっていく。世の中には綺麗な女の人が多いな、と感動するんです。
ただ、もったいないことに、すれ違っただけで二度と会わなければ、忘れてしまうでしょう。
今だったら、デジカメなんかがありますから、写真を撮らせてくださいと言えても、フィルムカメラしかないし、高校生で、すれ違っただけの女性に、いきなり写真を撮らせてくださいってできないでしょう。
何か、自分が好きになった人を残せないかな、と思いました。それで好きになった人を絵で残しておこうと思って、美術部に入りました。純粋でしょ。
で、最初に誰かの絵を真似して、描き方を習わないといけない。
今、残ってる名画のなかで1番の美人は誰だろうかと、図書館にいって、片っ端から画集を眺めてみました。いろいろな画集を手に入る限り見て、そのとき世界で一番の美人画はフェルメールの『真珠の耳かざりの少女』だと思いました。
これが一番、綺麗な女の人だな、と。これを模写して、この人の絵をかけるようになっておくと、これから好きになった人のことも、それを基礎にかける。そして、だいたい真珠の耳飾りの少女に似た人を好きになりましたね。
ところが練習のために探したそのフェルメールの絵を見てて、その絵そのものを好きになってしまって、困ったなと思いました。
真珠の耳飾りの少女は、本物を2度、見たことがあります。
1度目は30歳すぎのときに、東京の国立西洋美術館に来たことがある。
オランダの美術館を改修するときかなんかで。
そのとき、「止まらないで観てください。止まらないでください」と連呼されながら、ちょこちょこ歩きながら見たんです。
あー来た、来た、来た、やった会えた、と思ったら通り過ぎてしまいました。その時の感動は涙が出るくらい、胸がいっぱいになりました。
2度目はこのあいだ観ました。東京の現代美術館に来たので見にいきました。
あのときも嬉しかったですね。
20年に1回、観るくらいかな。今、観ても涙が出ます。絵の前ではずかしくなる。
初恋の人に逢ったようなときめきがありました。
絵を好きになるのは、生身の人を好きになるのとそんな変わらないんじゃないかと思います。すれ違っただけで好きになります。
それはいわゆる恋愛というのとは違うと思いますけどね。
若いときに、何かを飢えるように強く求めていた気持ちが、あの絵を見るとすぐに胸いっぱいに広がるんです。そういうふうに強く求める気持ちが出てくると、恋愛に落ちる可能性が高いということなのです。求める気持ちとは、自分の人生に対する限りない希望のようなもの、です。
恋愛には準備段階が必要です。みんなの歳は、本当なら、正常に準備段階ができてる状態です。
それまで大好きだった親に対して、なんか違うなと好きではなくなって、もっとちゃんと生きたいとか、いろいろな意味で本当のことを知りたいとか、求める気持ちが強く出るというのが恋愛の準備です。
親が好きな人は恋愛準備ができていない。家族が好きな人は正常に脳ができていない。まだ赤ちゃんに近い脳ですね。
恋愛っていうのは繁殖行動の前提ですから、みんなは動物にすると繁殖期にはいっている。子供を巣をつくって産む。繁殖する。親と繁殖はできませんからね。
繁殖をうまくさせるために、親を嫌いになるプログラムが頭にあるはずが、摂食障害の人はそのプログラムが壊れていますから、親に一番しっくりしたものを感じてしまう。ほかの人には、しっくりしたものを感じない。それで親離れできないわけです。
赤ん坊だったらそれでいいですけれどね。
親にしっくりしない、離れたい気持ちをもっていて、理想的な人と理想的な暮らしをしたい、と願う気持ちがあって、出会いがあれば、すぐにそっちに気持ちは向かうでしょう。好きという感情が芽生えて、私の求めていた人だとなる。それが、正解かどうかはまた別の話ですがね。
昨夜もお母さんとたまたまそういう話をしましたが、それでも夫婦になって時間がたてば好きという感情は消えて、なるべく一緒にいたくないという人も多いです。
僕とお母さんは、年がら年中一緒にいます。
普通なら、夫が仕事に出れば、夜まで帰ってきません。それが僕とお母さんは朝から晩までずっと一緒にいて嫌にならない。いつまでも話が合うというのはよっぽど相性がいいんだねって話しました。
お互いに我慢しないでいられて、いつでも一緒にいて嬉しいというのは案外少ないのかもしれません。
僕らと同じ世代をみてて、夫婦が一緒にいて嬉しいと思ってる人は少ないかもしれません。いい恋愛をして、いい結婚生活をするというのは、案外難しいものだと思います。
いずれにしても、みんなの気持ちのバランスがとれて、ちゃんと生きたいという気持ちが出てくると、自然と男の人に出会い、恋愛もすると思います。
津山に住んでる、卒業生のみよちゃん。あの子は、自分の家が一番いい。家を離れたくないと言って、なのはなに来ます、と入所を申し込んでも離れられなくて、実際になのはなに来たのが1年後でした。
来たばかりのとき、「私は恋愛もしたくないし、子供なんか産みたくない。回復したとしても結婚しない」と言ってたのが、いま恋愛結婚して子供も産んでいます。
気持ちが回復すると、結婚したくないと思っていても、結婚する気持ちが自然と働きます。
そういうわけで、質問の答えをまとめると、いままで男の人を好きになったことがない、という人でも、心のバランスがとれると、異性を好きになる感情が芽生えてきます。
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