質問
強さにも、正しい強さと、間違った強さがあるのですか?
正しい強さとは、どういう強さですか?
また、私は強そうな人や強い態度の人を怖いと思ったり、緊張してしまうことがあるのですが、それは私が弱いからですか?
教えて頂けると嬉しいです。
答え
摂食障害の人は、ざっくり言って、強い人が嫌いです。
摂食障害の人の、善悪の判断基準は、正しいか、間違っているかじゃなくて、強いか弱いかで決めてしまうのです。
そして、いつも弱い人の味方をします。正しかろうが正しくなかろうが関係なく、常に弱い人の味方をするというふうに、何故か判断基準が大きくぶれてます。
どんなに間違っていたとしても、弱い人がいい人になるのです。
その反対に、正しかろうが間違っていようが、強い人が嫌いな人、嫌な人。そういうふうになってしまうのです。
どういう強さが良くて、どういう強さが駄目なんですかといわれると、それは「強さ」というのが非常に抽象的なので、こういう強さはいい、こういう強さは悪いですよって、なかなか是非を言うのは難しい。
少なくとも、強いのと弱いのと、どちらのほうがいいでしょうかといったら、強いほうがいいに決まってるでしょうね。
強い人は、強さを前に出すこともできるけど、それを弱く出すこともできる。力加減でね。弱い人は、弱くはできるけど強くはできない。良いことは何ひとつ無い。正義を通すべき時に正義を通せない。
強くないとね、正義だと思っても、正義じゃないほうが強かった場合に負けてしまいますよね。そういう意味で、誰もが強さを、僕は、本来は持つべきなんじゃないかなっていうふうに思います。
で、大体はね。強いっていうのは、フィジカルな物理的な強さにね、通じるところがあります。
肉体を強くする。声を大きくする。
物理的な力を大きくしたり声を大きくしたり、そういうふうに、物理的な力を強くしていくと、それによって内面的な精神力も強くなってくるという感じがします。
その上で、それを、いつ、どう強く出すか、弱く出すかっていうのは、強くしておけば自分で選択できる。
強さっていうのは相対的なもので、絶対的な強さっていうのは、僕は無いと思っています。
たとえばポテンシャルとして20くらいのポテンシャルのある人が、ポテンシャルを使い切る20の強さを持ったら、これは強いです。
ポテンシャル50の人が20の力しか出せなかったら弱いですね。だめです。
50の人は40なり45なり、100の人は90なり95なり。強いポテンシャルを持ってる人は強く出せなきゃ本当に強くはないと思います。
逆に障害を持ってる人。障害のためにポテンシャルが10しかない人は8か9の強さを持ったら、それは、50のポテンシャルを持ってながら25くらいしか出せない、出さない人よりは、強いということですよね。
だからそれぞれ、各人のポテンシャルと、そのポテンシャルをどこまで自分が引き出しているか。それとの関係なんでしょうね、という感じがします。
だから早い浅い所で手を打っちゃっている人は、弱いでしょうね。
相手は20くらいの力だから、自分は60くらいのポテンシャルがところ、30くらいまで出してりゃいいだろう、っていってたらそれは弱っちいですね。
だから20の人が20くらいまで高めて、60の人が30しか出してなかったら、20の人の方が強いに決まってる。
この人は、命を、全身全霊を賭けられる。
もう片方は、半分しか出せないから命を賭けられない。抽象的な言い方ですけど、そういう感じが、僕はしてます。
そういう意味で、あまり能力の高くない人が――能力、ポテンシャルといっても、物理的な能力も知的な能力もあるでしょう――、自分の力を総動員して考えて、その上で「こうだ」って仮に強く出たとしたら、間違ってても正しくても立派じゃないですか。
正しいと思ってやったら。それは立派で通りますよ。たぶん。
100くらいの人が、50くらいの力と真面目さで取り組んで、50くらいでポッと言っても、説得力ない。
できるだけ強く、そして正しく。自分の能力の精一杯で考えて、正しいと思えば正しいんです。目一杯考えて、これは通さなくて良いと思ったらそれは通さなくて良いんです。いつもそういう気持ちでいたら、まあ間違えることもないし、間違っても許されるでしょうし、挽回も修復も効く。そんな感じです。
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