私は作業などで説明を聞くとき、すごく注意して聞いていても、入ってくる言葉と言葉を結びつけるのが難しくて、なかなか理解できません。
これは、雑談のときも、お父さんとお母さんのお話を聞くときもそうです。
小さいときからそうです。
動きを見ても、じっと見ても、なかなか認識できません。
だから作業で間違いが多いので、わかるまで聞いて、わかるまでは見ることにしました。
何度も説明させることが、申し訳なくて恥ずかしいです。
このことについてどう考えたら良いですか。
自分の答え
今直さなくては、迷惑をかけ続けることになってしまう。
説明させたり迷惑をかけてしまうけれど、その分、言われたことを絶対に守る。
自分でも、認識力と統合力を上げる努力をして、現状に甘えない。
【答え】
この原因はね、なんていうのかな、誰かが説明してると……、例えばですよ、
「ああ、この人は今、説明してるな。なかなか声の調子も良くて、言葉がハッキリ聞こえるし、これだったらみんなわかりやすいんじゃないかな」
というふうに思って聞いてたら頭に入ると思います? 入らないんだよね。
どこか評論家になりながら聞いちゃってる。
「そうかあ。みんなよく聞いている。今のは何について説明したんだっけ。そうだ、トマトの撤去だな。なんて言ってたんだろう」
って、わからなくなっちゃうんですね。
つまり、喋ってる人との距離感がすごく遠いんですよ。
僕なんかもパソコンでなんかやってるときにお母さんが、「こうでしょ?」と言ったとして、「ああ」「そうでしょ?」「うん」「聞いてるの?」あ、しまった、聞いてない。簡単な話だったら「うん」って生返事で、わかるんですけど、ところが別のことに集中しちゃうと、聞けてない。
つまりちゃんと向き合ってないんですよね。
で、この人の場合には、不真面目で向き合っていないのかと言うと、そうじゃないんですね。評論家っぽい人だからそうかというと、そうじゃない。
怖さなんですよね。怖いんですね。
ちゃんと聞きたいんだけど――例えば、みんなも経験あると思うんですよ。
そうね、今の若い人は先生を恐がらないから違うかもしれないけれど、小学校のとき、ものすごい怒りっぽくて拳骨を振るう、ビンタをする、恐い体育の先生がいるとしますよ。
その体育の先生が、年がら年中怒ってる。
ところが下校時間に自分が帰ろうとしたらばったり校舎の角で出くわしてしまって、「ちょっと来い!」とか言われて、何か怒られてるけど怖さが先に立って、何を怒られてるかちょっとわからない、とかね。
そういうことってあるでしょ。
「うわ、こわい、大変だ」と思った途端に、大変だというのが頭にあって、怒られるわけですから、うわあ、どつかれるのかな、頭を叩かれるのかな、ほっぺたビンタかな。その恐怖心で、どうしようと思ってるうちに何を言われてるかわからなくなっちゃう。
実はそんな恐ろしい体育の先生じゃなくても自分のお母さんに、3歳4歳のころ、顔見ただけでお母さんにきつく叱られた経験がある人は、特にこんなふうになりやすいんです。
そのとき、暴力行為が伴っていたりすると、うわ、こわい! と思ったら、なんでも良いから「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝って、「叱ってないでしょ」ってまた怒られて、どうあっても叱られちゃう。そういうことを経験した人は、人の話を聞くのが怖いですよ。
まあ、殴られたり、蹴飛ばされたりしなくても、言葉の暴力もありますね、自尊心をペキペキにへし折られて……、そういうことを経験しちゃった人は、人が何を言うのも恐いんですよ、最初から。
恐いから聞けない。防御しちゃう。もしかしたら腕の骨の1つもへし折られるかもしれない。
人と、向き合えない。
この人はそれが原因だと思いますよ。
だから怖がらないで人間関係がとれるまで、ちゃんと理解しようと思わないで、怖くない心を作って、それから向き合う、ということにしましょう。
勉強も一緒なんですよね。理解できるかできないか。心が遠いと、その科目は理解できない。気持ちが近いと、すぐ理解できる。
自分の心をその科目の心に近付けるというのがすごく大事。
興味を持って大好きで、知りたくて知りたくてたまらないという感じで勉強したら、すうっと染み込むように入ってきます。
数学を、何でこんな記号、誰が作ったんだろう、まったく面倒なことをしてくれたものだという構えで行くと、全然頭に入らない。そういうことです。
【質問2】
よっぽどの聖人君子でも、言ったことをなかなか理解しなかったら怒って当然だと思います。
私はこれからしばらく、同じことを二度説明させてしまうことになりますが、できるだけ相手のストレスを少なくしたいです。
二度説明すること自体ストレスを与えてしまうと思うのですが、できるだけ相手のストレスを少なくする聞き方はありますか。
自分の答え
一番は、一回で理解する努力をする。
同じことを聞くのを、自分に許さない。
ちゃんとメモをする。
【答え】
これも同じ人ですけど、そうですね、2回説明しなくてもいいように、メモをしながら聞くというのは1つ、手ですかね。
それと、だいたいでやる。細かに聞かない。およそで聞いておいて、だいたいこんな感じかなとやってみる。しかし、自分は最初に動かないで、二番手、三番手でほかの人を見ながら動く。
「これをやってください」ああ、わからなかったなと。一応メモするけどわからない。
一番手の人がやりはじめる。見る。二番手の人がやる。ああ、だいたいこういうことかなとわかって、それから3番手、4番手でやる。そうすると、聞かなくてもわかるということですよね。
僕は一番最初に自動車の運転免許を取りに試験場に行ったときに、自動車教習に行ったことがなかった。家のフロアシフトのマニュアル車は乗ったことあるんです、ところが試験場のはチェンジレバーがハンドルの付け根についているコラムシフトの車だったんですよね。
それで、まずいなと思いました。運転したことないですからね、そういう車は。
どこがローかセカンドかバックかわからないと運転できないでしょ。
後ろのほうに並んだ。始まってから前の人に、
「すみません、ここのコラムシフトってどこがローですかね」
「え、そんなことも忘れちゃったの?」
「ちょっと忘れちゃった」
「引いてから、下だよ」
「わかりました。…………すみません。セカンドってどこになりますかね」
「セカンド? 押して上だよ」
「わかりました。……サードはどこでしょう」
「ここだよ。お前、よくそれで試験受けに来たな!」
「そうですよね。………最後にバックギアの位置を教えてください」
それで受かるんですよ。
そうか、って思えばね。そんな感じで言うと、ストレスが無いでしょうね。
わかるように教えてください! じゃなくて、ひとつずつ。
自分が運転する順番までに、聞き出せば良いわけですから。
そんな感じで、人のあとについてやる、人と同じことをやる。それで良いんじゃないでしょうか。
(2018年9月18日掲載)
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