勇志国際高校で、人は幸せになるために生まれてきたと学びました。
幸せになるには他の人を幸せにすることと、教えて頂きました。
「幸せ」という言葉をつかってしまうときがあるのですが、自分が幸せという感覚がわかっていないことに気がつきました。人にありがとうと言ってもらうと、うれしくなるけれど、それが幸せなのかわかりません。
まゆちゃんは「幸せ」と言っていて、本当に幸せそうに見えます。幸せになりたいです。
① 幸せを感じ取れないのは何か欠落しているところがあるからでしょうか。
② 幸せとは超最高という感覚でしょうか。
【お父さんの答え】
「幸せ」と言う感覚が解っていない、ということだね。
幸せを感じ取れないのは何か欠落しているところがあるからなのか、というと、その通りでしょう。まだ欠落しているところがあるということでしょうね。
幸せか、幸せでないかは、みんなの歳になっていたら欠落がなければ解ることですね。
幸せというのは、「超最高」ということではないですね。
浮遊状態にあるような、最高! そういうものじゃない。
幸せってね、難しいんですよ、幸せは行き止まりが無いから。
ともすると、幸せというのは条件だと思ってしまう人が多い。
お金持ちだったら幸せだ、とか。
公認会計士になったら、弁護士になったらーー。
そういう肩書も資格も、幸せとは関係ないんですね。
幸せは、目標とか条件に到達したら得られる、といういうものではなく、幸せは日々、その辺に転がっているものなんですね。幸せの大きさはみんな同じです。
いくらでもあるんですね、幸せというのは。
好きな人からラブレターをもらった。好きな人と両想いになった。好きな人と付き合えることになった。好きな人と結婚できることになった。結婚したら子供ができた。その子供がおならをした、つかまり立ちをした、独り歩きをした。よかった。そういうのを全部、幸せといいます。普通に転がっています。
(しあわせの質問続き)
③人は幸せとなることを目的として生まれてきたということは、私たちの役割は今の世の中で幸せになる(人を幸せにする)ということなのでしょうか。
(答え)
人を幸せにする、自分も幸せになる。できれば、自分が生まれてきた意味が欲しいですね、自分でなければ果たせない役割を果たしていく、というものが欲しい。
お母さんの場合は、お父さんのお守です。
僕でしかできないこと、お母さんを幸せにする。僕にしかできないでしょう、35億人の男、みんなお母さんを幸せにできない、お父さんだけ。ま、冗談はともかくとして。
ノーベルみたいにダイナマイトを発明するとか、大きな仕事でしたね。ノーベルはずっと反省していたみたいですけど。いいことにも、悪いことにも使われたから。
自分が世の中の中で役に立つ、自分が良いことをしたっていうのがあったらいいですね。それぞれ自分にしかできないことができたらいいでしょうね。
周りの人を1人でも2人でも、そしてまだ見ぬ誰か、を幸せにできたらいい。
人の役に立って嬉しいな、そういう喜びを感じるために生まれてきた、ということじゃないでしょうか。
(2020年1月31日掲載)
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