最近、お父さんと話したとき、自分が今まで考えてきたことが、すごく薄っぺらいと思いました。本当に自分は今、変わらなければいけないと思います。
でも目標を持たないと、場当たり的というか、刹那的な考え方から抜け出せないとわかり、いま壁にぶち当たっています。
普段の生活の中でも、みんなのことが大好きな気持ちがある反面、自分の薄っぺらい気持ちで感じただけでここまで喜ぶのはちょっとおかしいんじゃないかと自分を疑う気持ちも出てきて、どう感じたらいいかわからなくなることもあります。
それを乗り越えるためには、深く考えたり、深く感じる力が必要だと切実に思っています。薄っぺらい部分を捨てて、深い人間になるためには、まず一歩を踏みどこに踏み出したらいいか、今できることがあったら教えてもらったら嬉しいです。
【お父さんの答え】
僕は中学生から高校生ぐらいの時に、すごく生き方に迷うことばかりだったけれども、やっぱり考える方法がわからないという壁がありました。
そのときに、先人がどう考えたのかまず学んだほうがいいと思い、最初に小林秀雄の『考えるヒント』という本を読みました。
小林秀雄というのは評論家ですね。これを読んでみると、自分にとっては目からウロコということばかりが書かれてあり、「考える」ときには考える順序があり、うまく結論を出す考え方があるのだということがわかりました。
それと、絵画に関する評論などもあって、絵の見方を教えてもらいました。いい絵画の前に立つとき、その絵のもつ真実味と、自分自身を戦わせるようなものだとあって、本当にいい絵の前に立ったら自分の軽薄さが恥ずかしくて身動きできなくなる、というようなことが書いてあった。
小説もいろいろ教えられるところが多いけれども、評論家とか文芸評論家というのは、読み手のプロで、その小説をどう読むかということを詳しく延々と解説してくれている。上手に小説を読むということ、その小説から何を考えればいいかということ、そういうことを教えてくれるのが文芸評論であって、そこから深く考えるというのはどういうことか、というのを教えてもらうことができます。
日本で行なわれている国語教育は大きくはき違えている教師が多くて、「小説を読んで、何をどう受け取ってもそれは読み手の自由です」という教え方は、大間違いです。
やっぱり正しい読み方があって、その正しい読み方を詳しく教えてくれるのが文芸評論です。正しく汲み取った上で、どう鑑賞するかは自由ということは言えますが、間違った受け取り方をしたら、間違った鑑賞しかできません。
そんなふうに、深く理解し、深く鑑賞した上で、初めて自分がどう思うかということになると思います。最初から間違った解釈とか、浅い解釈しかしていなかったら、深い考えには至りません。
別の言い方をすれば、自分で物事を深く考えよう、と思ってもそんなに深くなるものではないので、深く考えた人の跡を辿って、深く考える方法を学ぶということです。
その1つが評論文だったりするわけで、まずは小林秀雄の本を読んでみてください。たくさん著作がありますから、どこから読んでもいいです。面白く読めるはずです。
絵の見方、本の読み方、物事の考え方、それが深くできる人から学ぶというのが一番いい方法だと思います。
(2023年7月14日 掲載)
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