完璧になることが怖いことについて
私は整理するとき、わざとファイル一つだけかたづけない、筆箱を机にわざと残しておくということが無意識下にあると思いました。
全部片付けてしまうこと、完璧になってしまうことがどこか怖くて、わざと完璧にしない、どこか一部分だけ不完全にしておく、という不可解な行動があります。
このおかしな気持ちはどこからくるものでしょうか?
【お父さんの答え】
わざと残しておくことがある、全部片付けると完璧になってしまう。うん、それはね、完璧にした途端に世界の終わりが来る、というイメージからですね。
完璧にするとね、あと完璧にしてやることがなくなった途端に次のやることを探さなきゃいけない。
一つ残しておくとやることが残っているので。自分に対する言い訳ですよね。完璧にしない、片付けない。連続性を持たせる。
人生に連続性を持たせたいという気持ちはあるでしょうね。
終わってしまうと宙ぶらりんになって自分がどっか飛んでってしまう。終わってないと続く。「To be Continued…」字幕で最後に、「続く」みたいなね。自分の人生も。
これも追い詰められてきているということの表れですよね。終わったよ、ってしない。フリーになった途端、母親から言われるんじゃないか。「これやりなさい、あれやりなさい」「終わってない。ほら、まだ机に残ってる」
自分の嫌なものから逃れられる。まだ続いてますっていうね。そういう、やっぱり強迫観念が非常に強く残っているという感じじゃないでしょうかね。
本当に、ぽかんとできない。ぽかんとしちゃだめというね。それは、この中にも結構いるんじゃないかと思うんですよね。自由にぽかんとしてフリーに、あっぱらぱーのパーでいいよというところに自分を置いちゃまずい、っていう、そういう気持ちというのは、あるんでしょうね。
やっぱり自分の存在がちゃんとは認知されてない、認められていない、喜ばれていない、満足されていない、とーーもっぱら親ですけど、親に対してね。そういう不安な自分を中途半端にさせるということかなと思う。今もそれが続いているというかね。
変な話、親はここにいないのに、僕とかお母さんを怖がっているというよりかは、無意識に、見えない誰かに見張られているという気分が抜けない。今もね。そういうことから来ている感じがしますね。
僕だったらあえて、全部完璧に終わらせちゃう。あえて終わり。じゃんじゃんって効果音か何か入れてね、少しずつ楽になって開放されていく。それを無意識にじゃなくて意識的にやって、解放されてしまう、終わりにしてしまう。そうしたほうがいいんじゃないかなと思いますね。
(2019年7月19日掲載)
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