私は、なのはなに来る前は度々、音楽を作っていました。必ずしも能動的に作っていたというわけではなくて、何かをしなければいけないっていう気持ちがすごく強くて、その延長で作っていました。
それで音楽だけではなくて、頭の中でこういう映像を作りたいなって思ったときに、そのとき映像関係の知り合いがいなくても、なんでもかんでも絶対にこの映像を作らなきゃってなって、知り合いとかツテを総動員させてその映像を作ったこともあります。
こういう絵本が自分は欲しいなと思ったら、自分は絵があまり上手じゃないので、自分好みの絵を描いてくれる人を探して作って欲しいと言ったり、とにかく自分が頭で思ったのを形にしなきゃいけないっていう気持ちがすごく強かったです。
そういう強い気持ちは、なのはなに来てからなくなったと思います。
それで質問なんですが、あの頃はどういう気持ちの働きで、あれほど憑かれたように表現をしなきゃいけないってなったのでしょうか。
【お父さんの答え】
それは、ある種の逃げだというふうに思います。辛さから逃げるための手段ですね。
何か作るというときは、音楽を作るでも何でも、本来はその落としどころというか目的があるはずなんです。
誰に向けて、どんなふうにそれを表現して、どういう効果を得たいのか、その目的があって、初めて制作するものなんです。
それが、その頃に表現したものというのは、ただ作るために作る、ということに終始していますよね。目的がないです。表現というのは、誰か受け止める人を想定しての表現なのですが、受け止める人はどうでもよくて、作りたい、という気持ちだけしかないように思います。
音楽であれ、映像であれ、絵本であれ、憑かれたように何か作ったといっても、その熱意みたいなものには、実はほとんど意味はないです。誰が見るとか、どういう効果を期待するというのもなくて、ただ作る時間を自分が消費しただけです。作ったものを誰かが鑑賞して消費する前提はないし、そこに目的を見ていないのです。
ただそのときの摂食障害の苦しさから逃げるために、何かやるべきことがほしくて、頭に浮かんだものに向かって、夢中で製作しているその間だけ、苦しさを一時的に忘れられるという程度のものなのかなという感じがします。そうすると、こう言っては申し訳ないけど、芸術的な意味でのレベルは低いんじゃないかと思いますよ。
もしかしたら、頭に浮かんだものを形にしたら、自分の苦しさの理由がわかるのではないか、というような気持ちの働きはあったかもしれません。でも、それで解決することは、まず考えられません。摂食障害の衝動を、別の衝動で表現しても、少しも解決には近づかないからです。
一般的な芸術家の活動のように、自分が真理を追求していき、あるべき形を求めて、そして自分がその答えを得るために作っていくというのとは、ちょっと違うと思います。印象で悪いけど、今の話だけからすると、そういう印象を受けますね。
僕は物書きとして20年以上やってきましたが、その間、書きたい気持ちが高まって、ダーッと一気に書きたいものを書くということはなかったし、するつもりもありませんでした。依頼があった原稿を次々にこなしていくだけで、すべて発表の場所が決まった原稿でした。
先輩の物書きもそうですが、職業人としての物書きは、書く仕事が来ると、どういうスタンスで書いて、媒体はどれで、原稿用紙何枚分なのか、そして締め切りはいつか、それが決まらないと、絶対に物書きは書き出しません、といっていました。逆にいうと、「物書きに遠慮して、枚数と締切日を言わなかったら、永久に原稿は書かないよ。物書きは締切があるから書く」と著名作家から聞いたことがあります。媒体が週刊誌なのか、月刊誌なのか、あるいは単行本か、決まっているということは、およその読者層も決まっているということです
何か書きたい衝動にかられて書き出すということは、職業人の物書きほどあり得ないし、画家でも目的のはっきりしない絵を描く画家はいないと思います。
日本を代表するアーティストの村上隆も、芸術作品には時代の流れがあって、その流れに沿った作品でなければ評価されるはずがないし、制作する意味がないと言っています
そうでなくて制作するものは、自分のやりきれない気持ちを消費するために音楽や映像を作っていたということだけだと思います。そういう動機ではどんなに精力的に作ったとしても、人に聞いてもらったり、見てもらえるものは作れないし、鑑賞に堪えないものばかりだと思います。
なのはなファミリーに来てからそういう衝動がなくなったというのも、苦しさがとれて楽になったから制作に気持ちを逃がす必要がなくなったから、ということではないでしょうか。
(2023年6月19日 掲載)
Copyright © なのはなファミリー 2025 | WordPress Theme by MH Themes