評価についての質問です。以前、お父さんから自分のことは自分で評価しないと教えてもらいました。でも、私はそれができていないと思います。
失敗したり、困ったりすると、自分で自分を追い込んでしまいます。自分が悪いんだと一人で勝手に落ちてしまうことが多いのですが、自己肯定感を保つにはどうするのがいいと思いますか。
【お父さんの答え】
なるほど。僕はもし自分で自分を評価するとしたら、100点としか評価しないですね。何か失敗したときは、それは駄目だと認めるけど、評価のための評価というのは、意味がない、ということなんです。
評価するというのは、次の行動を決めるための評価であったら必要だと思います。
この間も、田植えのとき、田んぼの横で軽トラから田植え機を下ろしているとき、ブリッジが外れて、田植え機が軽トラから落ちかけて、お父さんは落ちるというアクシデントがありました。
そのとき一緒にいた子が、あとでお父さんにこう言いました。
お父さんは、よくあれで怪我しなかったなと思うくらい頭から落ちたのに、その後、すぐに淡々とジャッキを持ってきてとか、大きめの石を持ってきてと指示をして、傾いた田植え機をジャッキで立て直し、タイヤの下にブリッジを入れてフロートが壊れないように態勢を整えて、それからスタッフに電話して人力で下ろすための応援を呼んだ、ということをしていたのを見て目からウロコでした、とーー。
なんで動揺せずに、淡々とできていたのですか、と言うのでこう答えました。落ちてしまったことを評価しても意味がないので、落ちたことは考えない。誰も怪我をしていないので、怪我をしなくてよかったとか悪かったみたいな話しもどうでもいい。必要なことは、落ちかけた田植え機が壊れないように、その状態から機械に負荷をかけないで下ろすにはどうしたらいいか、ということを考えること。
しかも、田んぼの横では道具が限られているので、すぐにできる方法は何か、そのための評価というか、状況判断をすることだけが大事なことで、そういう意味で評価すれば、この状態で無理に田植え機を引っ張り下ろしたら、一番うしろのフロート部分を破損することになるから、破損しないようにするにはどうしたらいいかと考えて対策をした。
それがうまくいったので、4人ほど応援に来てもらったら、すぐに下ろすことができて、問題なく田植えに入れた、ということだったんですね。要は、田植えをすることが目的で田んぼまで行ったので、トラブルはあったけれども、問題なく田植えができたらいいだけで、それ以上のことは考えないということだと思うよと言ったんですが、評価というのはそういうものだと思います。
そのとき、もう一つ目からウロコだったことがあるとその子が言いました。
僕が田植え機を使って植えていると、スタッフのあゆちゃんが田植え機を追いながら見ていて、お父さんちょっと待って、もっと深く植えたほうがいいよ、とか普通に言っていて、お父さんもあ、そうかな、とか言って機械を操作してそんなふうにしていました、それも目からウロコでした、という。
お父さんがやっていることに、平気でこうしたほうがいい、とか言っていいんんだ、というのが驚きだったというんですね。つまり、お父さんの植え方だと浅い、と評価してそれをお父さんにストレートに話している、それはいいの? という驚きがあった。
そして、それをお父さんもストレートに受け止めて、じゃあ深くしよう、とすぐに深くしたというのも驚きだったという。
なんであんなに普通にモノを言っていいのか。
実際にお父さんは田植え機を操作しているとき、前を向いています。後ろも見るけれども、横からずっと苗の状態を見ていたほうがよく見えるということがあります。田んぼの水は抜いてあるけれども、ちょっと水が深めに残っているところがあったりすると、苗がうまく植えられてないよ、というのを見て、これは浅過ぎると評価して、その評価をもとに深く植える設定に変えるということをする。
そういうふうに、より適切な作業にするための評価というのは、お父さんもスタッフも対等にしてよくて、対等にやりとりをして、よりよい結果に結びつけようとするわけです。そういう時には、立場が上も下も関係がないです。
つまり、作業の評価はするけれども、それを人格の評価には結びつけないということ。
それを社会人はお互いの共通認識として持っていると思います。
田植え作業を上手くやって、できるだけロスを少なくすること、それがお父さんとみんなの共通の目的だから、もうちょっとこうしたほうがいいとわかったら、ストレートにパンとモノを言って、ロスの少ないようにする、ということは当然のことです。
その時に、お父さんの田植えが上手いとか、下手とか、そういう評価はお互いにしていない。よりよい作業、より収量が増えるような作業、そのためにそこに居合わせたスタッフ全員が細心の注意を払ってみていて、オペレーターに即座に伝える、ということで、決して上手か下手かなど問題にしない。たまたまその時のオペレーターがお父さんだったというだけで、誰が操作をしていても同じようにストレートにモノをいうのが当然のことだと思います。
評価というのは、どこまでもそういうものであって、評価のための評価はせず、よりよく目的を達成するために途中、途中で、適切に評価していくことが必要でしょうね。
だから、評価と、自分の感情を、結びつけないことです。
評価というのは、全部、目的を達成するための評価であって、自分の人格の評価というのは誰もしていないので、自分で評価して自分の感情と結びつけて落ち込む、というのはまったく意味のないことだと思います。それを理解すれば、落ち込まなくなるでしょう。
(2023年6月21日 掲載)
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