私は摂食障害の症状があったとき、普通の人になりたいとか、早く人間になりたいという気持ちがありました。
ところが、そう思えば思うほど、苦しくなってしまいました。その苦しみはどこからくるものだったのかと考えると、自分の中には優しくありたい、真面目にありたいという気持ちがあるけど、普通になりたいと思ったらそこから外れるような気持ちになりました。はずれた気持ちになってしまうから、苦しさが出ていたのでしょうか。
【お父さんの答え】
その答えは2つあります。
1つめは、人はちゃんとした人間として生きたいと思ったとき、何が摂食障害から離れたいという強い動機になるかということです。
「普通の人のようになりたい」という動機だったら、ちゃんと生きようと思ったときには、そこから力のあるやる気は出てきません。頑張ってうまくいっても結果は「普通」ですから、力が出てこないのです。
摂食障害の状態は普通ではないので、普通に症状のない人になる、というのだけでも高い壁はあるのですが、でも結果が「普通」というのはやっぱり動機になり得ないのです。
動機というのは、自分でなければできないこと、自分だけしかできないこと、そういう自分だから生きる意味がある、というものだけがエネルギーになります。だから普通はモチベーションとしてダメで、自分でしかできない◎◎をしよう、という自分だけの生きる意味を動機にすべきです。
2つめは、普通の人っていうとき、誰をみて普通なの? っていうことです。
卒業生の学生が8人のグループで実習に出たとき、そのうち7人が不真面目だったといいました。うちの卒業生だけが真面目。そして、真面目であることを、冷やかされたり、からかわれてしまったと言います。とても残念なことではありますが、いまの世の中の普通は「不真面目」だということです。
ところが、摂食障害から回復した人は、不真面目には生きられないのです。もう利他的に生きることが宿命づけられていて、不真面目とか利己的になってしまったら、途端に症状に逆戻りしていきます。
今の世の中にまかり通っている、損得勘定をして楽したり得する人が勝ちという価値観に沿って生きようというのは、苦しく生きている人が前向きに生きる動機にはならないし、逆にもっと苦しくなるだけです。
摂食障害とか生きる苦しさを持っている人は損得勘定では苦しくなるといいましたが、苦しく生きていない人は損得勘定になったからといって症状が出たりとかはないのでやっていられるわけです。全く別の価値観とか、生き方をしなければならない人が、いまの世の中には混在しているということですね。
世の中の普通からは外れるかもしれませんが、摂食障害の回復者は堂々と真面目を貫いて生きていくべきです。
(2023年9月6日 掲載)
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