(第178回からの続きです。)
楽器以外でどうなのかというと、畑仕事でも何でもそうで、「自分がこの畑を作るんだ」って意志を持って手入れをしてくれる、というのと、ただ言われたからやってますというのとでは全然中身が違うような気がするんですよね。やっぱり意図を持って意欲を持って、自分がこのキャベツ、白菜の、あるいはレタスの母親だという気持ちで世話をしてくれたらレタスも喜ぶでしょうし、いいレタスができると思うんです。
やっぱりそれは欲じゃないんです。いい意味で自分が自分がという意志を普段から持っていく。
自分を消すなんて美徳じゃないですよ。自分を思い切りだして。だから自分は神様だと思えばいいんですね。私がやってることは神様がやってることと同じですっていうね。我欲じゃないでしょ。神様の欲望ですって、それくらい思って自分を出してほしいな、と。ほとんどの場合は、そのほうが気持ちがいいです。僕なんかはわりと、そうですね、自分が言ってるんじゃない、神様が言ってるんだくらいの気持ちでいるしね。
ただ、怒るときだけは気をつけなきゃいけないですね。神様はあまり怒らないんじゃないかと思う。僕は個人的に怒っちゃう。怒るときは、後で失敗したと思うことが結構多いので、怒ることだけは避けたいです。なかなか人間ができてないので怒るときは困っちゃいますね。怒る以外の感情はどんどん出していいんじゃないでしょうか。
このごろ思うんですけど、この質問と離れちゃいますけどね、やっぱり自分が楽しむというか、自分がやるんだ、これを成功させようと思って臨んだ作業なんかで成功すると、「やった、楽しかった」っていう楽しい思いを強く感じますね。強く楽しいと思うと、その楽しさというのが次の意欲になるんですよね。
それが、なんとなく自分を消しながらやって楽しくないと、楽しいというのを実感しないと、次の意欲につながらないんですよね。
だから、楽しさというのを強く感じようと思ったら、やっぱり「自分が」というのをみんながそれぞれ持ってやっていく。その楽しさというのを強く感じる。それが、自分の気持ちを高める一つのコツなんじゃないかなというふうに思うんですね。
ありとあらゆる作業が、楽しいです。
実はありとあらゆる労働が、労働と思ったら辛いですけど、楽しみと思ったら楽しいんですよ。色んな仕事というのは、実は、楽しみのための趣味とわりと一緒ということが結構多いんです。
農業と言ったら、仕事ですが、家庭菜園と言ったら趣味です。やってること一緒ですよね。だから、本当に、同じなんですよね。農業も楽しもうと思ったらすごい楽しめる。ということですしね。もうありとあらゆることが。
ソフトボール、今日やっていた。これがプロ野球選手と言ったら仕事です。みんながテレビでプロ野球選手を見てるとき、プロ野球選手は労働をしているんですよね。だけど結構、楽しんでいたりするでしょ。みんなも楽しんでいる。どこまでが趣味で、どこからが労働って境目はないんじゃないか。その気になればありとあらゆる行動、行為を自分の楽しみにすることができる。それには自分が主体となって、ある程度「自分が、自分が」でいいと思います。自分を消す必要はそんなにない。そんなふうに思いますね。
(2019年5月7日掲載)
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