良い仕事も、良い生き方も、大事にすべきこと、やることは、凄くシンプルで、求められていることは、1つなのではないかと思いました。
今までは、そのような核がないままに、能力とか、知識とか、技術ばかりを詰め込まれて、だからやることがあり過ぎてこなせなくて、いつも0からのスタートで、不安で恐ろしくて、ただ焦って、劣等感を感じて、否定するだけだったのではないかと思いました。
1つの精神、核が入ったら、それに適ったことをしたら良いだけで、だからどんなことが待ち受けていても、形は違っても、応用問題なだけで、同じ1つのことを、シンプルにやれば良いのではないか、必要なのはそれだけなのではないかと思いました。
そう思えたら、漠然とした不安や、いっぱいいっぱい、やりこなせない、期待に応えられないという強迫的なプレッシャーが消え去り、雲が晴れるように、視界が開けたように感じました。また、人や、音楽や、小説など、何かを好きな気持ちが、自分を支えてくれるのだと感じました。
このような感じ方は、間違っていないでしょうか。
【お父さんの答え】
「1つの精神、核が入ったら、それに適ったことをしたら良いだけで、だからどんなことが待ち受けていても、形は違っても、応用問題なだけで、同じ1つのことを、シンプルにやれば良いのではないか、必要なのはそれだけなのではないかと思いました」
そうですね。間違ってないですよね。
「良い仕事も、良い生き方も、大事にすべきこと、やることは、凄くシンプルで、求められていることは、1つなのではないかと思いました」
そうです、1つだと思いますね。
そう、本当に簡単で。ただどうなんでしょうかね。どんな物事も、難しいことも、シンプルにできる人、できる力というのは、凄く能力が高くないと、シンプルに捉えられないんですよ。能力の高い人はわりとシンプルに捉えて、シンプルにまとめる。簡略化してまとめることができて、そしてそれを咀嚼することができる。
これは言ってみれば、凄く簡単なことですけど、実際にやるのはすごく難しいことなのかもしれませんね。
実際には難しいんです。シンプルにすることは難しい。
気持ちが狭かったり、気持ちが小さいと、いろんな雑用めいた仕事が全部大事に思えてきて、優先順位がつけられないので、山のように積み上がっていくように見えるんです。
それは大変だ、もう大変だ、ワーッ、もうダメかも、というプレッシャーに押しつぶされそうになって、ますます能率が悪くなる。
本当に必要な事は限られています。ハッキリ、優先順位の順番をつけると非常にシンプルになっていくんです。
例えば、僕がみんなを相手に5人一度に相撲をとったとします。いくら女性でも、本気で5人一度にかかってこられたら、僕は簡単に負けちゃうと思う。でも同じ5人でも、その5人を1列にしてしまえば、先頭の人と戦うだけだから、1人ずつ倒していけばいい。それなら負けることはない。5人を1列にしてしまえば、とても戦いがシンプルになって、簡単に対処できる。そういうことなんだね。これがバラっと同時に来たら、小さいことでもプレッシャーに押しつぶされる。順番をつけて1つにしたらシンプルになる。
そういうことなんですね。
ていうことで、意外と世の中って、自分の力ってあんまり発揮できていないんじゃないかと思います。
1日、1時間の時間で何ができるかといったら、ほんとに簡単なことを簡単にやっていることの積み重ねで、しかも1日かかっても、ちょっとしかできない。だから簡単にやることにしないと駄目なんですよね。
日本電産の会長とか、すごいと思います。最初は小さい町工場からスタートして、いまや世界でも有数の大企業にしました。
いまや売り上げ高が1兆5千5百億円です。この人の人生を1日1日、何を毎日言ったのか、やったのか、見て行けたらとても面白いと思います。
町工場の親父だったわけですが、断片的に1日か2日間だけ追って、1日をどう使って動き、どう考えて、どう話したのか。その小さな積み重ねだけで、あっという間に大企業にしていくわけです。どうやったら、どんな働き方をしたら大企業に育てられるのか。決してスーパーマン的な動きをしていたわけじゃないと思います。
ちょっとした動き、判断、が積み重なると、わずか数十年で小さな町工場が、売上げ1兆円以上の大企業になるんです。同じ時期を生きたほかの町工場の経営者と、毎日、できることにそれほどの差はない。だけど大きな仕事を成し得る人と、何も生み出さない人に分かれてしまう。その違いは何か。ちょびっとした違いですよ。毎日の行動でいったら、ちょっとした違いでしかないと思います。それこそ、1日の動きで見たら違いがわからないくらい。それが数年、十数年もたてば、もの凄く大きな違いになってしまいます。
心持ちのような気もしますね。あと、流れを見る力。自分の意思、能力だけでなんともならない。流れがあるんですね。もしかしたらね、ちょっとした心がけの違いと、流れを持って来る力、流れが来た時にそれをつかむ判断ができる力。それがあるかもしれませんね。
やっぱり流れがあったり、すこし時期が経ったりすると、同じことをしているようでも規模がまるで違うことになることがあります。
だから、今の自分に囚われないことです。囚われ過ぎると、次の展開が読めなくなる。次の展開が受け入れられなくなる。緩く自分を持つ。希望だけはある程度大きくもって、希望の上に先を見て、今に囚われないでやっていると、何か展開があった時にすっすっと新しい展開に乗っていける。
だけど、どれだけ伸びるといっても、やはり自分の能力のところまでですよ。あんまり、こうしようああしようと思ってると、流れが来た時に乗れないですね。自分の我の強い人、自分が自分がっていう主観が先に立つ人、自分が自分の人生を作る、自分の力ですべてやっていくんだと、そう思わないことですね。
四国のお遍路さんは、1人で歩いていても2人連れと言います。お大師様と2人連れです。目には見えないお大師様と2人連れで歩くといいます。まさに人生はそうだと思います。
半分は神様が決めてくれる。全て自分が決めるんじゃない。自分が、自分が、とやってると囚われる。欲が行き過ぎると判断を間違える。だから自分を離れてシンプルに考える。自分の能力を活かしたいと思ったら、自分の能力をわかってほしい、と思うのではなくて、神様に能力を活かしてもらうくらいの気分でいいんです。そうじゃないとやっていけないと思いますね。
(2021年4月1日 掲載)
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