このところ、向上心を持って物事に向かうことができません。
自分が誰かの役に立つ存在になるということを信じて、日々、自分を高めていく、という気持ちを一時期は持てていました。けれど、その気持がプッツリと途切れてしまいました。
今、何のために頑張るのか、何のために自分を高めていくのか、よくわからないという状態になってしまっています。
何をやっても、ぼんやりとしていて気持ちが入っていないと思います。
向上心がぶれてしまうのは、なぜですか。
どうすれば、向上心や意欲を安定して持ち続けることができますか。
【答え】
これね、僕が思うには、……自分が信じられなくなった、ということじゃないかな。
自分の力が、実は無いんじゃないか。誰の役にも立たないんじゃないか、と思えて仕方がない。
どんなに頑張っても、人の役に立つような人間にはなれないんじゃないか。どんなに向上心を持って頑張っても、自分は成長していかないんじゃないか、という考えにどうしてもなってしまう、そんな状態だと思います。
自分は、時期外れのナスと一緒だ、肥料の切れたナスと一緒じゃないか。10月の下旬のナスだ、自分はもうこれ以上育たない、みたいなね。そういうふうに思い込み始めている。
そういう思い込みがあったら、これは希望を持てないですよね。
10月下旬ともなったら、いくら水をやっても肥料やっても、ナスは、いい実をつけないですよね。そういうことを目の当たりにすると、これは自分の姿じゃないかと思う。だったら、向上心を持つだけ空回りして、バカみたいじゃないか。なんかそういう徒労感というか空回り感が出ている。そんな感じかなと思うんだけどね。
どうなんでしょうね。そうなっちゃったらどうしますかということなんだよね。
新しい子はまだ傷を癒すミーティングをしてないけど、この質問の人はミーティングをしています。でも、どこまでも摂食障害は親離れ子離れの失敗で、この質問の人は、うまく……親と切れることができていないんだよね。
そのあたりを、もう1回、振り返ってちゃんと整理しないといけないんじゃないかな。
切れてないというのは、別の言い方をすると、今でも親の心配をし続けてしまっているということ。
お父さんは、「恩は受けた人に返せない」と言うでしょう。
みんなの中には親に恩を返したいと思ってしまう人もいるし、「親に酷いことしてきた」って反省しすぎて、親から気持ちを離せなくなっている人もいます。
でも、親も子供を傷つけたというところが実際にはあって、客観的にミーティングで整理をつけないといけない、と思います。
つまり、親を客観視するということ。産んでくれたっていう、この世に生み出してくれた恩は確かにありますが、でもその親に恩は返せないんですよ、とちゃんと置いておく。
今度は自分が自立して、結婚し、ちゃんと自分の子を育てるということで、恩を返したことになるんです。
それもみんなにとって大事な仕事だと思うし、自分の親がどうかという前に、まずは自分自身がちゃんと大人になって、自立するということが大前提だと思います。
お母さんは、摂食障害は、本当に親離れ子離れの失敗だと思ってます。
食べるとか、食べないとかっていうのは、重要視してません。それも、全て親離れができたならば、解決されることだからです。
例えば、「自分のせいで親が不幸になった」と子供のときに思って、それがきっかけで、親に気を使うようになる。
自分が親の関係を修復しなきゃならないとか、自分のせいで親が不幸になったり喧嘩してるという思いですから、親に対して、なんとか幸せになってもらいたい、仲良くなってもらいたい、元気になってもらいたいという、そういう思いをずっと引きずることになります。
それが摂食障害から回復する途上で、まだそういう気持ちがくすぶっているときに、例えば親が不幸な状態になったとします。仕事を失う、など惨めな状態になっちゃったというようなとき、自分がそれを助けられないと思うと、苦しくなりますね。
自分が親を助けようと思っても助けられない。そういう状況は自分を苦しくさせます。親離れできていないと、残念感が抜けない。親は親でなんとかする、と思えないのです。
それと同じように、ちょっと似たような例では、親が離婚してしまった場合があります。
仲良くなってほしいという思いが、離婚したら永久に叶えられません。
だけど、仲良くしてほしかったのに、と思い続けたとしたら、いつまで経っても、自分はどれだけ頑張っても無駄なんだ、親は幸せになってくれないんだと思うと、向上心を持てない。
自分なんか死んでしまえばいいな、自分なんか立派にならなくても良いんだ、と自分を否定する方向に走るのを止め難くなることがあります。
もしも親が裕福で満々として、でたらめでも、殺しても死なないような強さを持った親だったら、クソコノヤロウと言って離れることができるかもしれないけど、そうじゃなかったら、心を離しにくくなっちゃうということはありますよね。
自分自身が伸びないというか、自分がどれだけ成長して何かで力をつけても、離婚した両親はもとに戻せないと明らかになると、残念に思ってしまうようなね。これはもう力入らないです。
親が不幸になってる、親が離婚している、という取り返しのつかない状況にあると、自分だけが幸せになっちゃまずいような感じになってしまうことがあります。
それはどうしたらいかというと、切るんですよ、気持ちをね。親は親の人生。自分は自分の人生、というふうに気持ちを切り離すことが大事なんです。
それって、エセヒューマニスト、偽物のヒューマニストからするとね――自分の家族を助けなくて、誰を助けるんですか、みたいなことになる。それはエセヒューマニストですよ。
そういう奴にブッダの教えを言ってやりたいんだ。
僕とお母さんが今、救命ボートに乗ってます。豪華客船が沈んでしまったんです。周囲の海にはたくさんの乗客が海に浮かんでします。しかし、お父さんとお母さんの親戚や子供がちょっと離れた向こうのほうにいるんです。ところが、見知らぬ他人がすぐそばでこういっています。
「私を助けてください、そのボートに引き上げてください」
ブッダは、「一番近い人から助けなさい」と言ってる。
もしも、近くにいる人から助けたら、救命ボートが満杯になっちゃって、自分の子供が近づいたときにはもう1人も乗れない。そんなときは、諦める。
それがブッダの教えですよ。
親だからじゃないんです。子供だからじゃないんですね。
今できることをやりなさいということなんです、要は。
目の前の見知らぬ子を助ける、それは今できます。
自分の子供が向こうにいるからって押しのける、そういうことはやっちゃいけない。
一番近くの子供から助ける。身内であろうとなかろうと。
親離れというのはそういうことなんですよね。子離れというのはそういうことなんですよね。
何ていうのかな。……
そのときに、なんて言うのかな、悲しさとか、寂しさとか、自分の子供をすぐに助けられない悲しさとか、……あるかもしれないし、無いかもしれない。
そうそう、変なこと思い出しました。
子供が幼稚園のときにね、僕は近くの――東京でですよ――お祭りで、神社の境内に上がって、お菓子を撒く係になったんです。
神社の縁側から、集まってきている大人や子供達にお菓子を撒く係なんです。
そのお祭りは、僕の社交ダンスサークル仲間の地元だったんですね。
僕は子供連れて行っていて、社交ダンスサークル仲間のおばちゃんが、「子供を見ててあげるから」と言ってくれました。それで、神社に上がったんです。
ここに(右前方のすぐ近く)に、僕の子供がいたんです、そのおばさんと一緒に。
神社からお菓子を撒く何人かの1人として、僕もお菓子を撒いたんです。
それでお菓子を全部、撒き終わって、階段を降りたら、おばさんから怒られた。
「あんた、馬鹿ね。ほんとに!」って。
「自分の子供がここにいて、あたしがこっち、こっちって手を振ってるのに、遠くの子供ばかりにお菓子を撒いて。なんで自分の子供に真っ先にお菓子を投げてよこさないの?」
って怒られたの。
僕は自分の子供の存在を忘れてるわけ。ただ集まった人たちに対して、均等に撒こうとしていたので、そこに自分の子供がいたことを忘れていたんですね。目に入らなかった。
僕の子供は「何で私に撒いてくれないの。お父さん」って言ってない。
そのおばさんだけが怒ってたんです。「目の前に上がったから、これはもうよかった、お菓子がもらえると思ったら、一向に撒いてこない、何であんたは足元の自分の子に撒かないの」って。
だけど僕はそういう発想はなかったのです。
そうなんだよね、自分の子供だからって撒いてやる気はない。
逆に自分の子供だから我慢しなさいって感じだよね。他の子供幸せにしようって。
僕は怒られたけど、それでいいんじゃないか、って。
子供は、「お父さんはそういう人だから」って言ってるわけですよね。多分、私には撒かないだろうと思った、と。それでいいんじゃないかっていうね。
お母さんも、そうだった。なっちゃんが障害があって、なっちゃんの訓練が終った後、他の子が自分にも手をかけてほしくて、お母さんのところに来て膝へ座ったりとか。
運動会なんかでも「おばちゃん、おばちゃん」って他の子がたくさん寄ってきて、なつは放ったらかしになっていた。
今のお父さんの話じゃないけど、なつや、あゆは「お母さんはそういう人だから」って思っていたし、自分が、自分が、って言わなかったし、放っておかれているとは思っていなかった。
お母さんもよそのお母さんに怒られたのね。なっちゃんが歩けもしないのに、何で自分の子を放ったらかして、他の子を見るの、って。
でもそういう人は、なつを見てくれるのね。「かわいそうだよ」って。あゆを見てくれたり。
お母さんは見る必要ないの。みんなが大事にしてくれて。だから、お母さんは他の子を大事にする。
意図あってそういうふうにもっていったわけじゃないけど、今のお父さんの話しにあったおばさんも、自分の子に撒きなさいよって言って、こんなお父さんじゃねと言いながら子供をかわいがってくれてるのね。
だから子供は寂しくないの。自分の親に猫可愛がりされるより、ずっと気分がいいの。「なっちゃん、なっちゃん」「あゆちゃん、あゆちゃん」って他のお母さん方に言ってもらうほうが。
それで、他の子に、おばちゃんおばちゃんってお母さんが寄ってもらったら、すごい誇らし気なの。この子達は。
そういう育ち方をしてきたので、誰のことも妬まないし、羨ましいと思わない。ものに対しても、人に対しても。
自分が、実は実力無いんじゃないか、向上心持ってやっても自分は駄目なんじゃないか、人よりも秀でたところは作れないんじゃないか、っていう、だから頑張る気力がどんどん無くなっていくというのは、今の話とちょっと近いところが、あるんですよ。
というのは、お菓子を実力としてご覧。
自分に実力がつかない。自分に力が無くて人のところにばかり行っちゃう。人はどんどんいっぱいお菓子を貯め込む、実力をつける。自分は無い。
じゃあ無くてどうなのかっていう話ですよね。無かったら不幸なのかという話。
実力つかなくて、じゃあ頑張れない、頑張らない。本当にそれって欲が深いんじゃないかなって僕は思うんですよ。
意外に、自分のことって評価しにくいですけど、僕は物書きになったとき、僕は物書きの才能があるからなった、とあまり思っていないんですよ。僕はなんとしても物書きになると思って、そうじゃないと生きられないと思って、なんとか、物書きになった。なれた。
才能があるとは正直思えなかった。
だけど、物書きの世界で生きていこうと思った。
そのとき何を考えたか。人の3倍の時間をかけて取材をして、3倍か5倍の時間をかけて、なんとか人並みの文章が書けたら、それでいい、と思ったんです。
自分は、休みを無くして、睡眠時間を削って、それで人並みの収入が得られたらいい、と思いました。
その思いは、何年も、何年も、消えなかったです。
だから人一倍、努力しました。努力って、当たり前のことしてただけですよ。
何回か話してるけど、古い人は聞いただろうけど、僕の一番最初の週刊誌の仕事は、本当につまらない仕事でした。一般のライターからすると。
いろんな職業の人について、何を考えてその職業やっていて、仕事中にどんなことがあるか、どんな面白いこと、嫌なこと、つまらないことがあるかというのを記事にするシリーズでした。
「靴磨きの取材をしてきて」っていうのが最初の仕事でした。
靴磨きの人の話で、2ページを作る。靴磨きに関するあれこれ、よもやま話を靴磨きの人から聞く。たった2ページですよ。
僕は新宿の東口西口、南口で靴磨きをしていた全員に話を聞きました。池袋駅の靴磨き全員、上野駅の靴磨き、丸の内の靴磨き、渋谷の靴磨き。もの凄い数の靴磨きの人から話しを聞いて歩きました。
それで、面白いことがわかりました。
新宿の靴磨き、あれは個人でやってます。
いい場所は、駅のすぐ出た正面です。悪い場所は端っこの方です。
いい場所をとるのにみんな早く行っていたそうです。競争になって負けた人が端っこだと、お互いに早く行こうとして、無駄な時間、お客の居ない時間にも行かなきゃいけないから、新宿西口の人たちで話し合って決めて、1日1箇所ずつ、靴磨きの場所をずれていくことにしてるんです。組合なんて無いんですよ、フリーですから。でも話し合って決まったそうです。
1日ずつずれていくそうです。へえっていう感じですよね。まあつまらない話ですけどね。
そういう話しをデータ原稿として、全部書いていきました。
でも、何でそんなにたくさんの人に話しを聞いたかというと、ほとんどの人は面白い話がないんです。あまり、考えていないというか。記事になりそうな話しが出てこない。
でも、東京駅の丸の内口の靴磨きの人は、子供を大学に出したそうです。その方はいまどこにお勤めですか、と聞いたら、ほらそこで靴磨きしているのが俺の息子だよ、と。大学を出て、靴磨き。儲かるからだそうです。こういう話しばかりじゃ、記事にならないだろうと思って、一生懸命聞いて、書いて持って行きました。
それが僕の一番最初の原稿。
うまい原稿にならないなと思いながらもっていって編集者に見せたら、どれどれと編集者がそれをこうやって読んでる。へえ……ほお、ふーん……。
つまらなさそうに読んでいるのを見て、(あ、つまらないよな)と。
そしたら、編集者がひとこと言いました。
「取材したんだね」
ああ、取材したかしないか、わからないような原稿なのかな、と。
「一応取材したつもりなんですけど。……」
「本当に取材したんだよね。取材したかしてないか、読んだらわかるよ」
「誰も、取材して持ってくるんでしょう」
「小野瀬くんね、こうやって取材する人ってほとんど今はいないんだよ。たった2ページの記事でしかもデータ原稿だったら、1人か2人に話しを聞くか聞かないかでみんな持ってくる。あとは原稿を自分で作ってしまう人が多いんだよ。君は全部取材してきたね」
って言ってね。君は伸びるよ、って言われた。本当に取材してるから。
それが最初の週刊誌の仕事でね。
才能のある人、実力のある人は、そんなつまらない取材しないんです。バカバカしくてできないんですよ。才能があるからいくらでも作り話ができちゃう。僕は作り話は書かない。
そのときにね、僕はこの世界でやっていけるかもしれないな、と思いましたね。
地道に、人の2倍も3倍も取材をして、多分、靴磨きの最初の取材は、よその人の10倍くらいやったと思います。普通の人よりも必要にして十分どころか、十分以上のデータを持っていってたんですね。なんでもそうだと思うんです。才能なんてものよりも、本当にひたむきに努力しようという気持ちをどれだけ持つかという、それに尽きるんですよ。
だから、努力して、実らないことなんか、何一つないです。努力して無駄になることなんか、何一つないです。
向上心を持って、無駄になることなんか、何一つないです。
僕は今までの半生で、生きてきた中で、本当に実感してます。
絶対に努力は無駄にならない。向上心を持って無駄になることは何一つない。
それよりか、怠け心を持って大きく損することは山ほどある。怠け心をもって得することは何一つない。一時的に、身体が楽をした、何かで得をした、何かで儲けた、ということが、一時的に瞬間的にはあるかもしれないけど、長い人生においては損するだけです。
怠け者で良いことなんて何一つないし、怠け者には怠け者の、落ちていく先があります。ゴミ箱みたいな袋小路があります。
向上心を持った人に、たまたま運が無くてとか才能が無くて、努力したけど結局、無駄だったなんていうことは何一つないです。絶対にね。
絶対にない。言い切るから。お父さんもお母さんも。努力して無駄なことは、絶対にない。
本当に、人の気持ちって、見えます。
それから、それまで溜めてきた人の気持ちも、わかります。
溜めてきたものも、出ます。だから、絶対に損はないです。
というか、本当に誰でも、気持ちさえ持てば、どんな人でも良い人生は作れます。人生を素晴らしいショーにすることができます。
それを信じて、やる気がないと言ってる時間を、極力、短くしたほうがいい。
親から気持ちを切り離して、何か得するようなことは全部、人にくれてやって、自分は苦労だけ溜める、それでいい。
それでずっとためて、それでも明るく希望を持って生きていたら、誰かが自分を高みに連れて行ってくれます。それは間違いないです。
喜んで下積みしてください、才能がなかったとしても喜んで努力を続けてください。その代わり愚痴は言わない。喜んでやる。そのことがすごく大事だと思います。
(2018年10月19日掲載)
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