第126回「向上心を持てないこと」


【質問】

このところ、向上心を持って物事に向かうことができません。
自分が誰かの役に立つ存在になるということを信じて、日々、自分を高めていく、という気持ちを一時期は持てていました。けれど、その気持がプッツリと途切れてしまいました。

今、何のために頑張るのか、何のために自分を高めていくのか、よくわからないという状態になってしまっています。
何をやっても、ぼんやりとしていて気持ちが入っていないと思います。
向上心がぶれてしまうのは、なぜですか。
どうすれば、向上心や意欲を安定して持ち続けることができますか。

 

【答え】 
お父さん:
これね、僕が思うには、……自分が信じられなくなった、ということじゃないかな。
自分の力が、実は無いんじゃないか。誰の役にも立たないんじゃないか、と思えて仕方がない。
どんなに頑張っても、人の役に立つような人間にはなれないんじゃないか。どんなに向上心を持って頑張っても、自分は成長していかないんじゃないか、という考えにどうしてもなってしまう、そんな状態だと思います。
自分は、時期外れのナスと一緒だ、肥料の切れたナスと一緒じゃないか。10月の下旬のナスだ、自分はもうこれ以上育たない、みたいなね。そういうふうに思い込み始めている。
そういう思い込みがあったら、これは希望を持てないですよね。
10月下旬ともなったら、いくら水をやっても肥料やっても、ナスは、いい実をつけないですよね。そういうことを目の当たりにすると、これは自分の姿じゃないかと思う。だったら、向上心を持つだけ空回りして、バカみたいじゃないか。なんかそういう徒労感というか空回り感が出ている。そんな感じかなと思うんだけどね。
どうなんでしょうね。そうなっちゃったらどうしますかということなんだよね。

 

お母さん:
新しい子はまだ傷を癒すミーティングをしてないけど、この質問の人はミーティングをしています。でも、どこまでも摂食障害は親離れ子離れの失敗で、この質問の人は、うまく……親と切れることができていないんだよね。
そのあたりを、もう1回、振り返ってちゃんと整理しないといけないんじゃないかな。

 

お父さん:
切れてないというのは、別の言い方をすると、今でも親の心配をし続けてしまっているということ。

 

お母さん:
お父さんは、「恩は受けた人に返せない」と言うでしょう。
みんなの中には親に恩を返したいと思ってしまう人もいるし、「親に酷いことしてきた」って反省しすぎて、親から気持ちを離せなくなっている人もいます。
でも、親も子供を傷つけたというところが実際にはあって、客観的にミーティングで整理をつけないといけない、と思います。
つまり、親を客観視するということ。産んでくれたっていう、この世に生み出してくれた恩は確かにありますが、でもその親に恩は返せないんですよ、とちゃんと置いておく。
今度は自分が自立して、結婚し、ちゃんと自分の子を育てるということで、恩を返したことになるんです。
それもみんなにとって大事な仕事だと思うし、自分の親がどうかという前に、まずは自分自身がちゃんと大人になって、自立するということが大前提だと思います。
お母さんは、摂食障害は、本当に親離れ子離れの失敗だと思ってます。
食べるとか、食べないとかっていうのは、重要視してません。それも、全て親離れができたならば、解決されることだからです。

 

お父さん:
例えば、「自分のせいで親が不幸になった」と子供のときに思って、それがきっかけで、親に気を使うようになる。
自分が親の関係を修復しなきゃならないとか、自分のせいで親が不幸になったり喧嘩してるという思いですから、親に対して、なんとか幸せになってもらいたい、仲良くなってもらいたい、元気になってもらいたいという、そういう思いをずっと引きずることになります。

それが摂食障害から回復する途上で、まだそういう気持ちがくすぶっているときに、例えば親が不幸な状態になったとします。仕事を失う、など惨めな状態になっちゃったというようなとき、自分がそれを助けられないと思うと、苦しくなりますね。
自分が親を助けようと思っても助けられない。そういう状況は自分を苦しくさせます。親離れできていないと、残念感が抜けない。親は親でなんとかする、と思えないのです。

それと同じように、ちょっと似たような例では、親が離婚してしまった場合があります。
仲良くなってほしいという思いが、離婚したら永久に叶えられません。
だけど、仲良くしてほしかったのに、と思い続けたとしたら、いつまで経っても、自分はどれだけ頑張っても無駄なんだ、親は幸せになってくれないんだと思うと、向上心を持てない。
自分なんか死んでしまえばいいな、自分なんか立派にならなくても良いんだ、と自分を否定する方向に走るのを止め難くなることがあります。
もしも親が裕福で満々として、でたらめでも、殺しても死なないような強さを持った親だったら、クソコノヤロウと言って離れることができるかもしれないけど、そうじゃなかったら、心を離しにくくなっちゃうということはありますよね。
自分自身が伸びないというか、自分がどれだけ成長して何かで力をつけても、離婚した両親はもとに戻せないと明らかになると、残念に思ってしまうようなね。これはもう力入らないです。

親が不幸になってる、親が離婚している、という取り返しのつかない状況にあると、自分だけが幸せになっちゃまずいような感じになってしまうことがあります。
それはどうしたらいかというと、切るんですよ、気持ちをね。親は親の人生。自分は自分の人生、というふうに気持ちを切り離すことが大事なんです。
それって、エセヒューマニスト、偽物のヒューマニストからするとね――自分の家族を助けなくて、誰を助けるんですか、みたいなことになる。それはエセヒューマニストですよ。
そういう奴にブッダの教えを言ってやりたいんだ。
僕とお母さんが今、救命ボートに乗ってます。豪華客船が沈んでしまったんです。周囲の海にはたくさんの乗客が海に浮かんでします。しかし、お父さんとお母さんの親戚や子供がちょっと離れた向こうのほうにいるんです。ところが、見知らぬ他人がすぐそばでこういっています。
「私を助けてください、そのボートに引き上げてください」
ブッダは、「一番近い人から助けなさい」と言ってる。
もしも、近くにいる人から助けたら、救命ボートが満杯になっちゃって、自分の子供が近づいたときにはもう1人も乗れない。そんなときは、諦める。
それがブッダの教えですよ。
親だからじゃないんです。子供だからじゃないんですね。
今できることをやりなさいということなんです、要は。

目の前の見知らぬ子を助ける、それは今できます。
自分の子供が向こうにいるからって押しのける、そういうことはやっちゃいけない。
一番近くの子供から助ける。身内であろうとなかろうと。
親離れというのはそういうことなんですよね。子離れというのはそういうことなんですよね。

何ていうのかな。……
そのときに、なんて言うのかな、悲しさとか、寂しさとか、自分の子供をすぐに助けられない悲しさとか、……あるかもしれないし、無いかもしれない。
そうそう、変なこと思い出しました。
子供が幼稚園のときにね、僕は近くの――東京でですよ――お祭りで、神社の境内に上がって、お菓子を撒く係になったんです。
神社の縁側から、集まってきている大人や子供達にお菓子を撒く係なんです。
そのお祭りは、僕の社交ダンスサークル仲間の地元だったんですね。
僕は子供連れて行っていて、社交ダンスサークル仲間のおばちゃんが、「子供を見ててあげるから」と言ってくれました。それで、神社に上がったんです。

ここに(右前方のすぐ近く)に、僕の子供がいたんです、そのおばさんと一緒に。
神社からお菓子を撒く何人かの1人として、僕もお菓子を撒いたんです。
それでお菓子を全部、撒き終わって、階段を降りたら、おばさんから怒られた。
「あんた、馬鹿ね。ほんとに!」って。
「自分の子供がここにいて、あたしがこっち、こっちって手を振ってるのに、遠くの子供ばかりにお菓子を撒いて。なんで自分の子供に真っ先にお菓子を投げてよこさないの?」
って怒られたの。
僕は自分の子供の存在を忘れてるわけ。ただ集まった人たちに対して、均等に撒こうとしていたので、そこに自分の子供がいたことを忘れていたんですね。目に入らなかった。
僕の子供は「何で私に撒いてくれないの。お父さん」って言ってない。
そのおばさんだけが怒ってたんです。「目の前に上がったから、これはもうよかった、お菓子がもらえると思ったら、一向に撒いてこない、何であんたは足元の自分の子に撒かないの」って。
だけど僕はそういう発想はなかったのです。
そうなんだよね、自分の子供だからって撒いてやる気はない。
逆に自分の子供だから我慢しなさいって感じだよね。他の子供幸せにしようって。
僕は怒られたけど、それでいいんじゃないか、って。
子供は、「お父さんはそういう人だから」って言ってるわけですよね。多分、私には撒かないだろうと思った、と。それでいいんじゃないかっていうね。

 

お母さん:
お母さんも、そうだった。なっちゃんが障害があって、なっちゃんの訓練が終った後、他の子が自分にも手をかけてほしくて、お母さんのところに来て膝へ座ったりとか。
運動会なんかでも「おばちゃん、おばちゃん」って他の子がたくさん寄ってきて、なつは放ったらかしになっていた。
今のお父さんの話じゃないけど、なつや、あゆは「お母さんはそういう人だから」って思っていたし、自分が、自分が、って言わなかったし、放っておかれているとは思っていなかった。

お母さんもよそのお母さんに怒られたのね。なっちゃんが歩けもしないのに、何で自分の子を放ったらかして、他の子を見るの、って。
でもそういう人は、なつを見てくれるのね。「かわいそうだよ」って。あゆを見てくれたり。
お母さんは見る必要ないの。みんなが大事にしてくれて。だから、お母さんは他の子を大事にする。
意図あってそういうふうにもっていったわけじゃないけど、今のお父さんの話しにあったおばさんも、自分の子に撒きなさいよって言って、こんなお父さんじゃねと言いながら子供をかわいがってくれてるのね。
だから子供は寂しくないの。自分の親に猫可愛がりされるより、ずっと気分がいいの。「なっちゃん、なっちゃん」「あゆちゃん、あゆちゃん」って他のお母さん方に言ってもらうほうが。
それで、他の子に、おばちゃんおばちゃんってお母さんが寄ってもらったら、すごい誇らし気なの。この子達は。
そういう育ち方をしてきたので、誰のことも妬まないし、羨ましいと思わない。ものに対しても、人に対しても。

 

お父さん:
自分が、実は実力無いんじゃないか、向上心持ってやっても自分は駄目なんじゃないか、人よりも秀でたところは作れないんじゃないか、っていう、だから頑張る気力がどんどん無くなっていくというのは、今の話とちょっと近いところが、あるんですよ。
というのは、お菓子を実力としてご覧。
自分に実力がつかない。自分に力が無くて人のところにばかり行っちゃう。人はどんどんいっぱいお菓子を貯め込む、実力をつける。自分は無い。
じゃあ無くてどうなのかっていう話ですよね。無かったら不幸なのかという話。
実力つかなくて、じゃあ頑張れない、頑張らない。本当にそれって欲が深いんじゃないかなって僕は思うんですよ。

意外に、自分のことって評価しにくいですけど、僕は物書きになったとき、僕は物書きの才能があるからなった、とあまり思っていないんですよ。僕はなんとしても物書きになると思って、そうじゃないと生きられないと思って、なんとか、物書きになった。なれた。
才能があるとは正直思えなかった。
だけど、物書きの世界で生きていこうと思った。
そのとき何を考えたか。人の3倍の時間をかけて取材をして、3倍か5倍の時間をかけて、なんとか人並みの文章が書けたら、それでいい、と思ったんです。
自分は、休みを無くして、睡眠時間を削って、それで人並みの収入が得られたらいい、と思いました。
その思いは、何年も、何年も、消えなかったです。
だから人一倍、努力しました。努力って、当たり前のことしてただけですよ。

何回か話してるけど、古い人は聞いただろうけど、僕の一番最初の週刊誌の仕事は、本当につまらない仕事でした。一般のライターからすると。
いろんな職業の人について、何を考えてその職業やっていて、仕事中にどんなことがあるか、どんな面白いこと、嫌なこと、つまらないことがあるかというのを記事にするシリーズでした。
「靴磨きの取材をしてきて」っていうのが最初の仕事でした。
靴磨きの人の話で、2ページを作る。靴磨きに関するあれこれ、よもやま話を靴磨きの人から聞く。たった2ページですよ。

僕は新宿の東口西口、南口で靴磨きをしていた全員に話を聞きました。池袋駅の靴磨き全員、上野駅の靴磨き、丸の内の靴磨き、渋谷の靴磨き。もの凄い数の靴磨きの人から話しを聞いて歩きました。
それで、面白いことがわかりました。
新宿の靴磨き、あれは個人でやってます。
いい場所は、駅のすぐ出た正面です。悪い場所は端っこの方です。
いい場所をとるのにみんな早く行っていたそうです。競争になって負けた人が端っこだと、お互いに早く行こうとして、無駄な時間、お客の居ない時間にも行かなきゃいけないから、新宿西口の人たちで話し合って決めて、1日1箇所ずつ、靴磨きの場所をずれていくことにしてるんです。組合なんて無いんですよ、フリーですから。でも話し合って決まったそうです。
1日ずつずれていくそうです。へえっていう感じですよね。まあつまらない話ですけどね。
そういう話しをデータ原稿として、全部書いていきました。

でも、何でそんなにたくさんの人に話しを聞いたかというと、ほとんどの人は面白い話がないんです。あまり、考えていないというか。記事になりそうな話しが出てこない。
でも、東京駅の丸の内口の靴磨きの人は、子供を大学に出したそうです。その方はいまどこにお勤めですか、と聞いたら、ほらそこで靴磨きしているのが俺の息子だよ、と。大学を出て、靴磨き。儲かるからだそうです。こういう話しばかりじゃ、記事にならないだろうと思って、一生懸命聞いて、書いて持って行きました。
それが僕の一番最初の原稿。

うまい原稿にならないなと思いながらもっていって編集者に見せたら、どれどれと編集者がそれをこうやって読んでる。へえ……ほお、ふーん……。
つまらなさそうに読んでいるのを見て、(あ、つまらないよな)と。
そしたら、編集者がひとこと言いました。
「取材したんだね」
ああ、取材したかしないか、わからないような原稿なのかな、と。

「一応取材したつもりなんですけど。……」
「本当に取材したんだよね。取材したかしてないか、読んだらわかるよ」
「誰も、取材して持ってくるんでしょう」
「小野瀬くんね、こうやって取材する人ってほとんど今はいないんだよ。たった2ページの記事でしかもデータ原稿だったら、1人か2人に話しを聞くか聞かないかでみんな持ってくる。あとは原稿を自分で作ってしまう人が多いんだよ。君は全部取材してきたね」
って言ってね。君は伸びるよ、って言われた。本当に取材してるから。
それが最初の週刊誌の仕事でね。
才能のある人、実力のある人は、そんなつまらない取材しないんです。バカバカしくてできないんですよ。才能があるからいくらでも作り話ができちゃう。僕は作り話は書かない。

そのときにね、僕はこの世界でやっていけるかもしれないな、と思いましたね。
地道に、人の2倍も3倍も取材をして、多分、靴磨きの最初の取材は、よその人の10倍くらいやったと思います。普通の人よりも必要にして十分どころか、十分以上のデータを持っていってたんですね。なんでもそうだと思うんです。才能なんてものよりも、本当にひたむきに努力しようという気持ちをどれだけ持つかという、それに尽きるんですよ。

だから、努力して、実らないことなんか、何一つないです。努力して無駄になることなんか、何一つないです。
向上心を持って、無駄になることなんか、何一つないです。
僕は今までの半生で、生きてきた中で、本当に実感してます。
絶対に努力は無駄にならない。向上心を持って無駄になることは何一つない。

それよりか、怠け心を持って大きく損することは山ほどある。怠け心をもって得することは何一つない。一時的に、身体が楽をした、何かで得をした、何かで儲けた、ということが、一時的に瞬間的にはあるかもしれないけど、長い人生においては損するだけです。
怠け者で良いことなんて何一つないし、怠け者には怠け者の、落ちていく先があります。ゴミ箱みたいな袋小路があります。
向上心を持った人に、たまたま運が無くてとか才能が無くて、努力したけど結局、無駄だったなんていうことは何一つないです。絶対にね。

 

お母さん:
絶対にない。言い切るから。お父さんもお母さんも。努力して無駄なことは、絶対にない。

 

お父さん:
本当に、人の気持ちって、見えます。
それから、それまで溜めてきた人の気持ちも、わかります。
溜めてきたものも、出ます。だから、絶対に損はないです。
というか、本当に誰でも、気持ちさえ持てば、どんな人でも良い人生は作れます。人生を素晴らしいショーにすることができます。
それを信じて、やる気がないと言ってる時間を、極力、短くしたほうがいい。
親から気持ちを切り離して、何か得するようなことは全部、人にくれてやって、自分は苦労だけ溜める、それでいい。
それでずっとためて、それでも明るく希望を持って生きていたら、誰かが自分を高みに連れて行ってくれます。それは間違いないです。
喜んで下積みしてください、才能がなかったとしても喜んで努力を続けてください。その代わり愚痴は言わない。喜んでやる。そのことがすごく大事だと思います。

 

(2018年10月19日掲載)









第1回~第100回(クリックすると一覧を表示します) 第1回「縦軸と横軸について」
第2回「神様は何をしようとしているのか」
第3回「本で涙を流すことについて」
第4回「本を読んでも内容を忘れてしまうことについて」
第5回「時間をうまく使えるようになるには」
第6回「太宰治について」
第7回「摂食障害の人が片付けが苦手だったり、約束の時間に遅れてしまうのは何故ですか?」
第8回「自分のことを『僕』『おいら』と言うのをやめられなかったのは、なぜか」
第9回「おいしいカレーと、おいしくないカレーの違い」
第10回「楽しんで走る」
第11回「死ぬことへの考え」
第12回「『聞く』と『教えてもらう』」
第13回「頑張るフルマラソン」
第14回「他人の成功」
第15回「『今』という時間」
第16回「不安の先取り」
第17回「良い協力関係」
第18回「急に悲しくなる」
第19回「夢の持ち方について」
第20回「心の許容範囲」
第21回「疲れるのが怖い」
第22回「スポーツの勝ち負け」
第23回「人といること」
第24回「“好き”という気持ち」
第25回「何でも知っている」
第26回「舞台鑑賞が怖かったこと」
第27回「生まれ変わるとしたら」
第28回「一番感動した景色、美しい国はどこですか?」
第29回「好きな時代はいつですか」
第30回「体型について」
第31回「行きたいところ」
第32回「悲しくなったら、動く」
第33回「意志を持てないこと」
第34回「心を動かす」
第35回「恋愛できますか」
第36回「日記の重要性」
第37回「心配されたい」
第38回「ONとOFF」
第39回「いつも同じ態度で」
第40回「涙腺が弱い」
第41回「子供が苦手」
第42回「正しいことを通そうとして」
第43回「流されて生きる」
第44回「才能について」
第45回「身長は伸びますか」
第46回「否定感が強い」
第47回「ぐっすり眠れない」
第48回「見え方、感じ方」
第49回「強さについて」
第50回「自分の出し方」
第51回「身体の調子と気持ち」
第52回「何のために変わるか」
第53回「痛みを知る」/a>
第54回「投げやりな気持ち」
第55回「未完成」
第56回「相手を許す」
第57回「書けないとき」
第58回「甘いと甘え」
第59回「イライラしない」
第60回「落ち込んだ時」
第61回「生きているなら」
第62回「わからない問題は」
第63回「眠ること」
第64回「子育てについて」
第65回「夫婦で大切なこと」
第66回「自己否定について」
第67回「友達が欲しい人、そうでない人」
第68回「未来を信じる」
第69回「山を登ると」
第70回「リーダーをすると苦しくさせる」
第71回「自分から人を好きになる」
第72回「小さいころからの恐怖心」
第73回「お姉さんのような存在を」
第74回「作業に対して気持ちの落差が激しい」
第75回「大きな希望を持つとき①」
第76回「大きな希望を持つとき②」
第77回「夢について・集中力について」
第78回「やるべきことをできていなくて苦しい」
第79回「やるべきことをできていなくて苦しい②」
第80回「真面目さは何のために」
第81回「高いプライドをつくるには」
第82回「番外編:そうだ、お母さんにきいてみよう!」
第83回「相談、確認が多いことについて」
第84回「自信を持つ」
第85回「間の良さ、間の悪さ」
第86回「過去を美化してしまう」
第87回「統合力を高めるには」
第88回「見張られているような不安」
第89回「どうして人間だけに気持ちが必要なのか」
第90回「休日になるとやる気がなくなってしまう」
第91回「低気圧」
第92回「どうして動物を飼うの?」
第93回「自分を褒める話をするには」
第94回「眠れない」
第95回「ふいに恥ずかしくなる」
第96回「躾について」
第97回「壁をなくしてオープンになるには」
第98回「自分がオーラのある人になるには」
第99回「私のストレスは何?」
第100回「社会性を身につける」
 
第101回~第150回(クリックすると一覧を表示します)
第101回「依存を切り離す期間は? その後はどう変わる?」
第102回「依存を切り離すことについて②」
第103回「会話が理解できない・生きる意味」
第104回「何者にもなれないのでは、という不安」
第105回「一緒に長時間いられない」
第106回「人の気持ちを汲めない」
第107回「リーダーとしてちゃんと動くには」
第108回「仕事への情熱と、興味があること」
第109回「日々の習慣を持つ」
第110回「自分のアスペルガー的な要素について」
第111回「外見について」
第112回「芸術、情緒、愛情 心の深さ」
第113回「なぜ風俗業は禁止にされないのか」
第114回「生き難さを抱えていなかったら、どんな将来の夢を」
第115回「健全な家庭なら自我は育つのか」
第116回「自我を育てる」
第117回「説明が理解できない」
第118回「好きな花①」
第119回「好きな花②」
第120回「血を連想させる単語を聞くと」
第121回「社会性と、基本的な姿勢」
第122回「深い関係をとって生きる」
第123回「ノルマ感、義務感が強い」
第124回「野菜の収穫基準がわからなくなる」
第125回「自分を楽しませること、幸せに過ごさせることが難しい」
第126回「向上心を持てないこと」
第127回「アーティスティックな心」
第128回「野性味を取り戻す」
第129回「個人プレイからチームプレイへ」
第130回「すべてのことを高いレベルでやりたい」
第131回「なぜ、痩せているほうが良いと思われるのですか?」
第132回「予定が変わると、気持ちがもやもやする」
第133回「楽観主義者と悲観主義者の境界線」
第134回「上品に、笑顔で、美しく」
第135回「続『上品に、笑顔で、美しく』」
第136回「嘘をつけない」
第137回「お父さんが怖い 前編」
第138回「お父さんが怖い 後編」
第139回「見事やで」
第140回「頼まれごとが不安・時間に遅れる①」
第141回「頼まれごとが不安・時間に遅れる②」
第142回「頼まれごとが不安・時間に遅れる③」
第143回「大きな声を出すこと」
第144回「時間の使い方」
第145回「お腹がすく」
第146回「本を読む時、第三者の視点になってしまう」
第147回「罰ゲームの答えとユーモア」
第148回「アイデアが出ないこと」
第149回「気持ちと身体の助走」
第150回「花や動物を可愛いと思えない」
 
第151回~第200回(クリックすると一覧を表示します)
第151回「美味しいセロリ」
第152回「尊敬している人といると、あがってしまう」
第153回「考え事がやめられない」
第154回「認めてもらいたい気持ち」
第155回「寝汗をかかなくなった」
第156回「時間の不安について」
第157回「楽器を練習したい、本を読みたい」
第158回「疲れを認めたくない」
第159回「アトピーと蕁麻疹」
第160回「はっきりした人になりたい」
第161回「会話と、興味の深さについて」
第162回「思春期の不安定」
第163回「潔癖症について」
第164回「自尊心」
第165回「自分の身体のサイズ感をとらえるのが苦手」
第166回「兄弟を心配する気持ち」
第167回「自分の声への違和感」
第168回「野菜の調子が悪いと、自己否定してしまう」
第169回「好きな気持ちと、誤解をされることへの不安について」
第170回「トイレが近いことについて」
第171回「競争意識について①」
第172回「競争意識について②」
第173回「コンディションによって態度が変わる人、変わらない人」
第174回「恐がりなことについて」
第175回「テンション」
第176回「目を見ること、見られること」
第177回「よいお母さんになる10か条」
第178回「音楽と我欲①」
第179回「音楽と我欲②」
第180回「時間の使い方と焦りの気持ち」
第181回「自分に疑心暗鬼になって、不安に陥ってしまうのはなぜ」
第182回「有志の募集に手を挙げづらい」
第183回「緻密に」
第184回「いつも怖い」
第185回「体型に対するこだわり」
第186回「気持ちの切り替えが、うまくできない」
第187回「米ぬかぼかし作り」
第188回「評価すること」
第189回「堂々とした人に怯えてしまう ①」
第190回「堂々とした人に怯えてしまう ②」
第191回「耳が良くないこと」
第192回「限界」
第193回「物を簡単に捨てることができてしまう」
第194回「整理整頓、片付けができない」
第195回「次のミーティングは、いつですか?」
第196回「整理が過ぎるのは症状ですか」
第197回「人をもっと理解したいということについて」
第198回「体育の授業が怖くて、さぼっていたことについて」
第199回「完璧が怖い」
第200回「やるべきことに追われてしまいがちな気持ちについて」
 
第201回~第250回(クリックすると一覧を表示します)

第201回「正面から受け取りすぎることについて」
第202回「手持ち無沙汰にさせることが怖い」
第203回「生き物が好きで触りたくなる気持ちについて」
第204回「魚の食べ方について」
第205回「ステージで間違いがあったときは」
第206回「作業で焦ってしまう」
第207回「調理されて食べられる魚はかわいそう?」
第208回「頑張ろうとすることに疲れた」
第209回「自己愛性パーソナリティ」
第210回「期待について その①」
第211回「期待について その②」
第212回「アウトプットで生きる」
第213回「キャパシティを大きくしたい」
第214回「コミュニケーション」
第215回「秋が寂しい」
第216回「我欲と、自分を大切にすることの違い」
第217回「声を前に出して歌うには」
第218回「できる気がしない、と感じてしまう」
第219回「苦手なことをしている時間を苦痛に感じてしまう」
第220回「握力について」
第221回「喜び合うための全力」
第222回「リモコンの操作と、ゴミの分別が覚えられなかったこと」
第223回「相談をしたり、買ってもらったりすることが怖い」
第224回「ケアレスミスが多い」
第225回「恥ずかしさにどう対処するか」
第226回「きつく締められないこと」
第227回「豆掴みと羽根つきが、うまくできるようになっていた」
第228回「プライドを守り合える関係」
第229回「人間味を学ぶために」
第230回「リーダーをするときの不安と罪悪感」
第231回「幸せについて」
第232回「不思議ちゃんと言われていたのはなぜか」
第233回「話の絶えない人になるには」
第234回「サービスをする人になる」
第235回「ソフトボール部に入らなくてはいけない気がする」
第236回「ディストピアと野蛮人の村」
第237回「好きと言ってみる」
第238回「質問がまとまらない」
第239回「ソフトクリーム」
第240回「謙虚について」
第241回「人との間にしか幸せはないこと」
第242回「思いっ切り遊んだことがない」
第243回「癇癪について」
第244回「友達について その①」
第245回「友達について その②」
第246回「センスよく生きる」
第247回「根拠のない自信」
第248回「先生になること」
第249回「演じること、正直になること」
第250回「怒りと感謝の気持ちは共存しない」
 
▶第251回~
第251回「アメリカンドリーム」
第252回「悲しむこと」
第253回「限界までやってみる」
第254回「リーダーの向き不向きについて」
第255回「悲しくならない求め方」
第256回「人前に立つ緊張」
第257回「野菜の見方」
第258回「プライバシーについて」
第259回「寝相について(前半)」
第260回「寝相について(後半)」
第261回「変わっていくことについていけない恐ろしさ」
第262回「速く書く事」
第263回「利他心について」
第264回「集中力について」
第265回「読書について 解釈と鑑賞」
第266回「年齢、役割に見合った振る舞いについて」
第267回「相手に喜んでもらいたい気持ちと、自分が幸せを感じることの怖さ」
第268回「相手を幸せにするということについて」
第269回「シンプルであること」
第270回「人のために動くとき」
第271回「周囲の人や家族のなかで浮いている感覚があったことと、個性について」
第272回「楽しませる人、発信する人になりたい」
第273回「目の前のことに集中できない・利他心と利己心について」