質問
みかちゃんのように、誰に対しても、どんなときでも同じ態度で優しくなるには、どうすればいいですか?
人によって態度を変えたり、イライラしてしまうのは、偉そうだからですか?
教えていただけると嬉しいです。
答え
誰に対しても、どんなときでも、同じ態度で優しいのがみかちゃん。僕からもそんなふうに見えますね。
まずね、みかは、人を見てないと思うんです。仕事を見てるんだと思うんですよ。
このメンバーで、この畑を耕そう、自分も一緒に耕そうというときに、人を見ていないで仕事を見てる。何人いるからこのぐらいできるかな、どうしようかな、と。
この質問をした人は、人を見てる。
この人、私は苦手だなとか、この人はあまり働きそうにないな、と無意識のうちに人を評価してる。
あるいは、この仕事はラクでいい仕事かな、それとも大変な仕事かな、と仕事の質を評価している。この仕事をどうやろうかと考える前に、自分が疲れるか疲れないか、やりやすいか、やりにくいか、一緒に動く人は自分と相性が良いか悪いか、そんなことを考えて、人を評価してる。
みかは仕事を見てるから、邪念がない。人を無視してるというわけじゃなくて、いかにこのメンバーでこの仕事を早く、効率良く、面白くやろうか、と考えている。
それにはどうしたらいいかなって、すぐそっちに気が向く。
体力がない人がいれば、あなたはこっちの土の柔らかいところをやればいいんじゃないかな、私はこっちをやるよ、というふうに仕事を見る。
だから、いつでも態度を変える必要がないのだと思います。
別の言い方をすると、目標を見ている。目的を見ている。
そこが一番大事であって、手段とか、誰がどうしたっていうのはあまり考えない。
いつでも、その時、その場にいる人がベストメンバーだと考えて、取り組む。
みかは、いつもそういう気持ちを持ってるからなのかな、と僕は思いますね。
人によって態度を変えたり、イライラしてしまう、っていうのは、
「あんたがそう出てくるなら、私はこう出るよ」
という、被害妄想的な考えだったり、人を評価していたり、自分がどう評価されるかと考えていたりするからなんです。
どんな評価もしない、どんな評価をされることも気にしない、ということであれば、態度を変える必要がありません。
あるいは、私、この人苦手なんだ、とか思うから、人によって態度を変えるわけです。
目標をしっかり見ていれば、態度は変わりません。
人って映し鏡でね、自分がいつも人を評価している人は、自分が評価されてると思っちゃうんだね。
だから、私はどう思われてるんだろうかとか、気になる。よく思われてるんだろうか?
と心配になる人は、いつもすぐそばに被害感情がある。
みかにとっては、良いメンバーも、悪いメンバーもない。
みんなそれぞれだから、体力がある人ばっかりはいない。時には体力がない人が多いチームかもしれない。
それはそれのときでかまわないから、いつでも頑張りましょうって思ってる。
自分がどうとか思わない。
自分に対する拘りもない。人に対する拘りもない。
自分に対する拘りを抜くことは大事だと思います。
ただ、心を痛めて生きてきた人は、あまりにも一生懸命、人によかれという気持ちでいっぱいになって生きているので、それを逆手に取られたりすることが何度も重なると、被害感情をもってしまったり、人の顔色を窺いすぎたりして、人によって態度が変わってしまうということはあるでしょうね。自分がどう思われてるか、気にしすぎるようにもなるでしょうね。
自分がどう思われてるかっていう気持ちが、自分に対する拘りとなって、だんだん癖のようになってしまう。
最近の若者には、いい加減大人になってるんだから、自分を捨ててくれよと言いたくなるような人がけっこういます。
みかは、自分に対する拘りがないです。僕とかお母さんからどう評価されるかなとか、みんなからどう思われるかなっていう気持ちがゼロです。
だからいつも透明感があって変わらない。
ちょうど、この間、オンとオフの使い分けのことを話しましたけど、それにもちょっと似てるよね。
みかは、目的を見るから、人を見ない。誰の前だろうと、目的を見てすべきことを淡々とするから、態度が変わらない。態度を変える必要もない。
まわりの人によって態度が変わったり、イライラしたりするのは、自分が本来の目的を忘れて、評価したり、評価を気にしたりするからです。
人を見ないで、目的を見る、いつでもそういうふうにしたらどうでしょうか。
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