私は以前、自分の血を見ると落ち着きました。カッターで自傷して血が溢れ出してくるのを見ると、つらい気持ちや怒りが収まって冷静になります。
そこで質問ですが、なぜ自傷すると落ち着くのでしょうか? 2つ目はなぜ自傷してしまうのでしょうか。育った環境が影響しているのでしょうか? そして3つめは自傷に代わるストレス発散方法を教えてください。
【お父さんの答え】
うーん、確かに、僕はメジマグロとか、大きめの魚を捌くことを、ストレス解消にしていました。料理がしたい、というよりも、刃物を使うというのがストレス解消によかったような気がします。
でも、自傷というのは、同じ血を見るというのでも全く違うことで、どんな理由であれ、自分の身体を傷つけることは絶対にしてはいけません。
1つ目の、なぜ自傷をすると落ち着くのかですが、これは自己否定の一つの形なんですよ。例えば日常的に母親から否定されたり、怒られて育ってしまった子供は、人に怒られることを極端に怖がるようになります。自分が失敗することも嫌です。
だから、いつも怖くてビクビクしています。落ち着かない。何かストレスがあると、怖さが波のように押し寄せてくる。もうその時には、親から叱られた怖さというものからは離れて、その時の傷が元ではあるけれども、理由のない怖さとして感じるようになります。そうそう母親に叱られたと言いましたが、必ずしもそれだけではなく、両親が不仲で家族がバラバラになりそうだ、という不安も成長してから理由のない怖さの原因になります。
そういう人は、なにかトラブル、ストレスがあるたびに、自分は生まれてこなければよかったんじゃないかとか、自分が家族を不幸にしているんじゃないか、と全ての原因が自分にあるように感じて、自分を責めるようになるのです。
客観的に見れば、その人には何の責任もないことなので、何も自分を責めなくていいじゃないのと思いますが、それはもう本能に近いところで責めてしまうので、他人が窺い知れないような状態で自分を責めています。
例えば、野原にうさぎの子が遊んでいたとします。そこに鷹が飛んできて、サッと降りたあと思うと、そのウサギを掴んで持ち去って食べてしまったとします。
子供を捕られたウサギの両親は復讐を企てるかというと、企てないんです。怒らない。食われた子ウサギはどうかっていうと、こちらも怒らないんですね。襲われた、と思ったら、割と簡単に失神して、あまり抵抗もしないで食われていくんです。
つまり、動物の世界では、自分がダーンと強く攻撃されると、自分が攻撃されたことを受け入れるような仕組みができているんです。動物界で弱肉強食の世界に、復讐とか怒りとかがあると、惨劇が繰り返されてしまう。そういうことのないように、食われちゃったら諦める、襲われちゃったら諦める、という仕組みができています。
そういう本能が我々の生命の歴史の中にあるんです。それで、ものすごい強烈な怒りを前にしたり、トラブルを目前に見ると、自分が悪いってなるんです。自分が駄目だったんだ、というふうに自分を責めるようになるのです。
4歳ぐらいの子供が、目の前で両親の大喧嘩を見ると、自分がいけないから両親が喧嘩している、というふうに記憶に刻まれます。そうなると怖さが出てくるたびに、自分を責めるあまりに、自分を痛めつけたいという衝動が出てくるのです。
だから、ストレスでつらい気持ちが高ぶったとき、自分を痛めつける象徴的な形としての自傷をすると、少し安心する。悪い自分を罰してやったから安心だ。もう誰も怒らないだろう、という安心感です。
客観的にみれば、まさか、そんなはずはない、と言いたくなるでしょうが、そういう気持ちの働きが自傷の後ろに必ずあります。
自己否定が先走って、誰かが自分を怒ったり、トラブルが見えるようになる前に自分で自分を罰してしまうわけです。そうすると、胸騒ぎが落ち着きます。出血した鮮血を見ると、はい、もう罰しました、その証拠にこれだけ血が出ています、という落ち着き方です。自己否定感とその傷のひどさが一致して落ち着く、ということでしょうか。
そして2番目の、なぜ自傷してしまうのか、ということもここまでの答えで言っていますが、育った環境が原因で、その心の傷は4歳から6歳の間にできたもの、と言えます。
そして3番目の、自傷に代わるストレス発散方法ですが、それはないです。
これは、私は「依存症」の一種だと思っています。だから、他に代わるストレス発散としっても「自傷依存」から別の依存症になるだけのことなので、危険きわまりないです。依存というのは、ストレスの発散先で、しかも理性でコントロールできない、というのが特徴です。コントロールできないということは、生活が破綻するまで止められないということです。
自傷するような傷を根本的に治して、自己肯定感を高めないと、治せません。
つまり、自傷の元には4歳から6歳の間にできた心の傷があり、その後にずっと抱えてしまった挫折感。空虚感と、人間関係をとることの難しさ、生きにくさなど、それを全部、自分の中でちゃんと説明をつけて、心の傷の解決というか、解消までもっていかないと、治すことはできません。それはちょうど、摂食障害から回復することと同じです。
だからそれはとても難しいことです。難しいけれども決してできないことではありません。なのはなでは卒業生がたくさんいますが、心も身体も回復して卒業し、自立が軌道に乗ったら、いわゆる依存症から抜けられるので、自傷行為のような依存も含めて、あらゆる依存から解放されます。
(2023年7月31日 掲載)
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