私は野菜を作ることが好きです。それは、みんなのためになることだからです。
私は野菜が病気になったり、自分の判断の失敗で、野菜が弱っていると、心の中で、自己否定の感情、憂鬱な考えがとれません。
また、私は野菜のコンディションが悪いとき、野菜をチームの人に見せること、その野菜の手入れを一緒にしてもらうことに、申し訳ない気持ちになります。1人でやりたいと思います。
みんなが弱っている野菜を見て、気持ちを落とさないかが心配だからです。
またこれが、自分だけの野菜だったら全くそういう気持ちにならないと思います。みんなが食べる野菜と思うと、とても責任を感じます。
野菜の調子が悪いと、自分のせいでそうなっていると自己否定する気持ちが出てきて、1日中、野菜のことが気がかりで、自分も少し気持ちが落ちやすくなります。野菜の調子が悪いことをどう考えるべきですか? 教えていただけると嬉しいです。
自分の答え
野菜のコンディションに、全てではないが自分の調子がリンクしがちなのは間違っている。
自己否定をしても何にもならないので、自分のせいだと思う気持ちは持つべきでない。
その野菜にできることを考えて、対策を打っていくしかない。
【答え】
まあ、ここにある自分の考えのとおりでいいと思います。
「私は野菜を作ることが好きです」と1行目にあります。「それはみんなのためになることだからです」というけど、僕は一番に「私は野菜が好きだからです」とか、野菜を育てることが楽しいからですっていうのが来てほしかったね。みんなのためになるという理由は2番目か3番目でいい。僕はみんなに、野菜に愛着を持ってほしい、好きでいてほしい、育てることが楽しいと思ってくれたら良いなというふうに思っています。
野菜のコンディションが悪くなるというのは、ある種、良いことですよね。なんていうのかな、例えば水耕栽培で、人工的に万全の環境を整えて、すくすくと問題なく育つ、これじゃ面白くもなんともないと思いますよね。
人間と、土の中のバクテリアと、野菜の持ってる生命力、この三者が力を合わせて大きくしていくというのが楽しいんですね。
だから土のバクテリアのコンディションがすごく大事であって――「人間が元気になるためには、腸内細菌を元気にすることだ」なんてこの頃、言われたりするでしょ。腸内の細菌か? って感じですが、まあまあそんなふうに、人間も細菌やいろんなものの助けを借りてコンディションを整えているということなんです。野菜はもっと土の中のバクテリア、細菌、そういうものの力を大きく借りて育っていると思うんです。
野菜を大きくするのは、単に肥料と水と太陽の光だけじゃないですよ。
そういうことを思ったら、「自分の判断の失敗」とか、自分を一番に置かないで、土の中のバクテリアを思って、「私の判断は間違ってないけどバクテリアが失敗しました」くらい言ってほしい。バクテリアさんお願いしますという気持ちをもっと持ってほしい。
野菜しか見てなくて、野菜と自分しかいなかったら見落とすものが大きいです。
土のコンディションとか、pHどうかというのもあるんですけどpH以前に、栄養素以前に、バクテリアです。いま、どのくらいバクテリアが元気なんだろうというのを一番に考えてほしいですよね。それと、害虫。いま害虫はどれくらい元気だろうか。どこにいるだろうか。
そうですよね、それを考えたら良いふうに行くのかなと思いますが、みんなはバクテリアのことを考えるのが苦手なんじゃないかな。
バクテリアのことを最優先に考えて、バクテリアの状態を最高に持って行けたら、野菜はひとりでに良くなると思いますよ。病気はこなくなるし、害虫にも強くなる。
あと自己否定の気持ちは、どうなんだろうね。たまには自己否定もいいですよ。だけど憂鬱な感じが取れない、というのはちょっと勘違いですよね。責任感をそれだけ感じるということなんでしょうけど、本当に「自分の野菜」ですかね。「自分が」って、あまり自分のものにしないほうが良いんじゃないか。それこそ、みんなの野菜にしたほうがいい。みんなと一緒に、喜びも、楽しみも、大変さも、味わう。
みんなに楽しみだけ味わってもらって苦しみは自分が全部引き受けます、というのはフェアじゃない気がする。
野菜と畑のバクテリアと太陽と水とみんなと一緒に作る、そんな意識で野菜を作っていきましょう。
(2019年3月26日掲載)
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