私は毎回ではないのですが、大きな声を出そうとしたときに締め付けられるような思いになってしまったり、苦しくなってしまいます。それは、大きな声を出したら誰かを責めてしまっているようで、自分が相手を傷つけてしまうのではないか、と思ってしまうからでしょうか。
【答え】
あのね、50メートル走を全力で走るってみんな意外と難しいんですよ。力を出し切ると、身体がバラバラになってしまうんじゃないか、という感じね。
それと同じように、大きな声を出すと、なんかこう喉が壊れて、ワーッて大きな声で言うと喉仏がゴボって出てきたりね……それはないでしょうけどね。なんか嫌がるものなんです。
で、実際に僕は、大卒、新卒で企業に入ったときに、いくつかの会社の合同の研修会みたいなのを受けたことがあります。
まあまあ、昔、「地獄の特訓」みたいなのがあったり、いろんな研修がありますけど、営業マンとか、新しい新卒の男性社員を鍛えるための、何と言ったら良いのか、合宿みたいなのがあるんですよ。そこでいろんなことをさせられるんですね。
その中にいくつかこういう要素があって、うちでも発声練習でやっていますけど、運動場の両端に向かい合って立って、お互いに大声で叫ぶというプログラムがあった。自分の自己紹介をするとか、大きな声で、怒鳴り合う、ということです。
それで、見てみると、大きな声を出せる人は、10人中、2人くらいですね。もちろん僕は最初から出せましたけど、8人はむせちゃったり、大きな声にならなかったりで、声出せないです。それは、慣れてないからというのもあるでしょうけど、そもそも大声が出せないんです。今の若い人もかなりの人は、そうじゃないでしょうか。大声というのができないんですよ。
男子高校生とかで、応援団ってあるでしょう。「フレー、フレー」みたいな。大学生でもいいですけど。ああいう応援団みたいな、大きな声をすぐに出せる人というのは、わりかし少ないんじゃないでしょうかね。
これが、僕の産まれた大洗町に行くと、僕が子供のとき、大きな声を出せる人というのは、10中10人です。男も女もです。
何でか。風が強いんです、海辺というのは。小さな声で喋ってると、声が風で流されて、わからないんです。だから、大きな声でしゃべる。
それとか、例えば短い言葉、単語なんかは、短すぎると聞き取れないんです。だから、言葉を付け足すんですね。
あの「蚊に刺された」って言うと、蚊という単語が短すぎて、何に刺されたか聞こえないでしょ。それで「蚊んめん畜生に刺された!」って言うんですね。
そこに、食べ物出しっぱなしだと、「ハエめん畜生が飛んでるぞ!!」と言う。それで(ハエが飛んでるのか)ってわかる。「ハエが飛んでる」と言うと、「はえ? 何?」となってしまうからね。
そういうふうに、言葉を付け足してでも、相手に伝わるように大声で話すんですよ。
風で聞き取れないものだからみんな大きな声ですよ。大きな声出すの練習してるから、必要のないときでも、つい大きな声で喋っちゃうんですよね。
で、風呂なんか、みんな銭湯行くんですよ。情報交換の場でもあるのでね。すごくうるさいです。人の声に負けじと大きな声でしゃべるので、ものすごい声でわんわん響いてね。僕はそういう中で育ったので、結構、地声が大きいほうなんですよね。
高校卒業して東京へ行って、間もないときですけど、「こないだ山の手線に乗ってたら、小野瀬が隣の車両に乗ってたんだよ」と言われた。何でわかったかというと、「電車が走っているときでも、小野瀬の声が隣の車両から聞こえてきた」って言う。「はあ?」って。「俺、恥ずかしいから知り合いだと思われたくないから顔見られないようにしてた」っていうんですね。
それからずっと時代が下って、僕に子供ができて、子供の幼稚園のPTAで知り合いができて、その中に農林水産省の役人がいたんですよ。お偉い、キャリア組ですけどね。
僕は、取材は割と10時からとか、午後1時半からとか入れるので、朝の電車に乗って行かないんですけど、その日は何かで、朝どこかの取材が早い時間で入ってて、通勤時間帯に地下鉄の丸ノ内線に乗ったんです。そしたら目の前に、知り合いがいたんです。満員電車なのに。目の前の知り合いと――まあ女性だったんですけど――喋ってて、……まあ混んでる、朝の通勤電車で喋ってね。どこか、四谷、……赤坂見附か何かで降りたらば、あの、ゾロゾロって降りた中にそのキャリア組の男性が来て。
「ああ、何だ乗ってたのか。何で声かけてくれなかったんだ」と言ったら、
「小野瀬さん、みんな黙ってた車内で、小野瀬さんの声だけが車内中に聞こえてたよ」って言うわけ。
「車内中が全部聞いてて、俺、恥ずかしいから、俺が答えなきゃならなくなったら大変なことになるから、俺向こう向いて見つからないようにしてたんだよ」
って言われて、また同じこと言われた、と思ってね。そんな大きい声だった? と。
これ直らない。直らないけど、良いんじゃないでしょうかね。
で、その頃ですかね、その後ですかね、あるとき取材していてね、だいたいあらかた取材が終わって、言われたんですよ。
「あんた、得だね。得してるね」
って言われて。何の話しだ、何を得してるんですかって言うと、
「あんたと喋って取材受けてるとね、あの……あんたが悪い人に見えないよ」
って言うわけ。
「そんな喋り方してて、なまっててね、自分のこと知らないんでしょ」
って。僕はもう、「標準語喋ってましたよ」と言うと、「十分なまってる、なまってるから悪い人に見えないよ」って言われてね。それで得してるのか、そうなのかって思いました。
大きな声でも、ちょっと訛りがあっても、悪いことは無いんじゃないでしょうか。普段からはっきり喋ってると、気持ちがはっきりしてきますから、いざ怒鳴るというときも怒鳴れるようになってくる。
怒鳴るって、あまり必要ないと思いますけどね。本当は怒鳴らないのが良いんですけどね、僕も未熟なので、時々大きな声しちゃいますけど。
僕はね、割と子供の頃とか中学校くらいまでは、喧嘩はしても口喧嘩くらいで、相手を叩くというのが嫌で、できなかったんですよね。悪い気がしてね。それが、高校くらいからは人を殴れるようになってきました。だけど、本当に殴り合いしたら、これは骨折するのが当たり前くらいにお互いにダメージが大きくてね。殴り合いというのは大怪我するな、とわかったので、生半可じゃやっちゃいけないぞと思いました。
で、一番最後に殴り合いの喧嘩したのは42歳の時ですね。いくつになっても僕は人生に慣れるということがないな、大人になることができないな、と思ったら、42歳を最後に殴り合いの喧嘩はしてないです。不思議なことにいつの間にか、少し大人になったかもしれないですね。もう20年以上もしていない。
で、実際、人と喧嘩するときでもそうで、自分は大きな声しちゃいますけど、本当は大きな声とかする前に、気迫で、相手を圧倒するということが大事なんじゃないかな。人に向かって、相手を、威嚇するため、威圧するために大きい声を出すというのは、ほんとうに人間ができてきたら、あまり必要なくなる。
ただし、山の向こうに人がいるとか、畑の向こうにいる人に話すとか、川の向こうにいる人に何かを伝えるというとき、大きな声を必要なときに出すというのは、これは必要かなというふうに思いますね。必要なことを伝える。そのとき、大きな声じゃないと聞こえない。ときに、ちゃんと大きな声を出せることが大事だよね。あるいは大きな物音がしてる機械の横で、相手になにか正確に伝えるために大きな声で話す。
いつでも大声が出せる、というのがいい。必要な大きさで、コントロールしながら出す、それくらいのことができて良いんじゃないでしょうか。
大きな声が出せないというのは、それはやっぱり気持ちが作れていないということで、情けないんじゃないでしょうか。なんか、全然、答えになってない、という気もしますけどね。
(2018年12月29日掲載)
Copyright © なのはなファミリー 2025 | WordPress Theme by MH Themes