私は嘘をうまくつけないし、言えたとしても隠し通せません。これはアスペルガーだからですか? どうしたら必要な嘘がつけるようになりますか?
【答え】
そうね、必要な嘘。
僕は基本的に嘘はつかなくて良いような気がしますね。時々、優しい嘘というのは必要……かなと思いますけど、本当に嘘が必要な場面というのは、そんなにないですね。
嘘が必要な場面として、僕が一番、印象的な話はね、これは、お母さんから聞いたと思うんですけど……。
お母さんも今、お父さんが言おうとしてることを言おうと思ってた。
じゃあ言って。嫁の話だよね。
そう。お母さんが本当にすごく心に残っている嘘なんだけど。優しい嘘、って思ってるのよね。どうぞ。お父さんが話して。
あ、そう?
ある男の人がね、お嫁さんをもらって、暮らしていたのね。男の人のお姑さんと一緒に、二世代同居でね。
それで、そのお嫁さんが、すごくできたいいお嫁さんだったんです。
気が利いて、掃除もできるし、料理もうまいし、申し分のない嫁さんだった。賢くて、美人でね。本当に申し分のない嫁さんで、もう夫婦仲も良くて、それで、夫婦円満だった。
姑にとっても、本当に申し分のない嫁だった。
ところが。そのお嫁さんが、それほどの歳にもならないのに、つまり若いうちに、病気になって、あっけなく、死んでしまったんですよね。
夫は、嘆き悲しんでね。そりゃそうです。本当に大好きなお嫁さんでしたからね。
でも、まあ、いつまでも悲しんでいられないからね。
再婚したほうが良いんじゃないかという話になってね。<
まだ若かったからね。
若かったからね。見合い話しを持ってくる人がいて、この人なら、という女性と再婚したんです。
だけど、何をとっても、前の奥さんのほうが良かった。何をとっても、です。
だけど、そんなこと言えないよね。
誰にもね。
でも、その、あとから来た奥さんは、うっすらわかるのね。夫が心から喜んではいない、と。
その、前のお嫁さんのほうが好きだったんじゃないか、みたいなことを感じるわけです。自分よりも、亡き妻が好きなんじゃないか。忘れられないんじゃないか、みたいなことをなんとなく思ってね。
それでも、そんなこと口に出すわけにいかないので、まあ夫婦円満に仲良くやっていた。
でも、ある日思い余って奥さんが、姑に聞いたんだ。旦那のいないところでね。
あの人は、前の奥さんのことが忘れられないんだと思いますが、前の奥さんはそんなにいい方だったんですか? と聞いてみたんだね。
そしたら、それを聞いた姑が、即答したんだね。
「何言ってんの。前の奥さんはもう悪妻で、どうしようもない嫁さんで、夫婦仲も悪くて、話にならなかった」
そのひと言を聞いて、パッと顔を明るくして「そうなんですか?」と今の嫁さんが安心した。
具体的に、こう、こうって、悪いところを並べたんだって。
「亡くなっちゃったから、どうこうって言えないんだけど、いやもう、話にならない。あんたのほうがよっぽど良いよ。それはうちの息子もわかってると思うよ。もし何か、気にそまないことを言っていたら他のことが原因で、前の奥さんのことが原因じゃないと思うよ」
それならよかった、となった。
そんな茨城弁のお姑さんじゃないで、もっと上品やで。
そうか……。でも、嫁さんは、ほっとするわね。
それからね、あとから来たお嫁さんは、もう、(ああそうだったのか、そんなに苦労したのか)って。じゃあもっと旦那さんを良くしてやらないといけないわって思い直してね。喜んで尽くして、また、本当に、周りの人が、どうしたんだろうと思うくらい、家の中が明るくなって、本当に幸せに過ごしたの。
お姑さんはその後、前の奥さんのお墓に行って深く頭を垂れて「嘘をついてごめんよ。お前のほうがずっといい嫁だった。私はお前が大好きだった。かりそめの嘘とは言え、お前のことを悪く言って済まなかったね。ごめんよ」と泣きながら謝ったそうなの。
というね、嘘だよね。こういう嘘はついたほうがいいだろうね。
それに関して言うと、生き別れというのと、死に別れというのがあるんですね。
死に別れというのは死んで別れる。生き別れというのは生きて別れるね。
死に別れというのはあまり良くないと言うんだね。というのは美化しちゃうから。生きてるとボロが出るけど、死んでるからもうボロが出ない。死に別れをした人のことは、どんどん良くなっちゃうという話ですよね。
最近、ナイフの話してないけどね。
これは僕が読んだ教科書の話……、何の教科書に載ってるんだろうと、今思うと疑問ですけどね。
ある羊飼いの少年が、いたんですよね。
で、その羊飼いの少年は毎日、毎日、それこそアルプスの少女ハイジじゃないけど、学校も行かずに、羊を追って暮らしてる、そういう村の少年だったんですね。
で、ある時、親戚のおじさんが、都会からやってきて、「君に良いナイフをやろう、特別いいナイフだ」と言って、ナイフをもらったんだね。
そしたら、それがもう、見たこともないような素晴らしいナイフでね。
これから山に行ってなにか切るときでも、蔦を切るときでも、すごい便利に使えるだろうと思って、この少年はすごく喜ぶわけですよ。これは一生の宝にしようと言って、大事に大事に持ってたんです、そのナイフをね。
ところが、そうこうしてるうちに、羊を追って歩いてる生活ですからずいぶんと歩き回る。腰に結わえ付けてたそのナイフを、どこかに落としちゃったらしいんです。
もうその少年は、泡食って、探しましたよ。
今日、どこを歩いたっけ。もう歩いたところ、休んだところ、何度も、何度も探し回るんです。どこで、失くしちゃったんだろうってね。
もう、必死になって探したんですよ、何日も。羊を追うどころか――羊追いながらも、ナイフばっかり探していた。
それが、出てこないんですよ。とうとう出てこなかった。
少年は、またいつか、あんなナイフを手に入れたいなと夢見るようになった。もう、星空を見上げると、星の星座がナイフの形に見えるくらい、そのナイフに焦がれていた。
それからずいぶん時間が経った後のことです。
そうこうしてるうちに、少年にチャンスがやってくる。
街に降りるという、チャンスがやってくる。
少し小遣いをやろう、ということでお金も余分にもらってね。
それで、街のナイフ屋さんに自分でナイフを買いに行ったんです。ところが、思うようなナイフがない。僕のナイフはこんなんじゃなかった。どのナイフを見ても、どうということのないナイフばかりで、本当に残念な思いしか出てこない。
しょうがなくて、
(まあ良いや、この際、たいしたナイフは買えなくてもしょうがない。あんな良いナイフはもう二度と手に入らないかもしれないな)
と、半分あきらめて、そこそこ良さげなナイフを、お小遣いで買ったんですね。
あーあ、こんなナイフか、と思いながら、自分のものにして使っていました。
しょうがないな、あの落としてしまったナイフはどれだけ素晴らしかったろうかと何度も思いながら、過ごしていたんですよ。
そうやってしばらく時間が経ったある日、いつものように岩場で休憩して、ふと足元を見たら、何か落ちてる。
細長いもの。
なんだろうと思って拾い上げたら、岩と岩の間に挟まっていたものを拾い上げてみたら、ナイフだったんですね、それが。
これは僕のナイフだ、あの落としたナイフだ、とびっくりした。見れば見るほど、あのときの素晴らしいナイフ、と思ったものなんですよ。
それが、いま自分が持ってる、大したことないと思ってるものよりも、よほどチープな、つまんないナイフなんですね。
ええ? これがそうだったの? あんときのナイフには違いない……。自分はこのナイフをあんな素晴らしい、この世にこれより素晴らしいものはないと思っていたのか。
そんなふうに気がつくんですね。複雑ですよね。出てきたんだけど、いつのまにか自分の中で、空想の中で、素晴らしいナイフに仕立て上げていたんだな、っていうことを思う訳です。
というお話なんですよ。
だからね、死に別れた女房をあんまり美化するものじゃないです。
なくしたもの。
もう二度と手に入らなくなった生活。
二度と手に入らなくなったものに対して、どうしても必要以上に美化してしまう。そういう、美化しすぎるというのは、良くないんじゃないでしょうか。
で、今あるもの、いま手に入るものが、今の自分にとって一番、適切なものと信じる気持ちが大切だよね。
で、嘘の話しから、ずいぶん逸れましたけど、そんなところで。
(2018年11月23日掲載)
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