自信についての質問で、自分を信じる気持ちが少しでも持てるときと、全く持てないときがあり、かなりぐらつきがあると思っています。
でも、何でそうなるのかと考えたとき、何かができる、できないで、自分は人の価値を判断してしまったり、あとは目の前の人の評価が高ければ自分を落とし、低ければ自分を上げるということをしているのでグラグラするのかなって思いました。
お父さんを思うと、常に本来の自信とか自分を信じる気持ちを持っているなと思うし、人の評価とかを気にせず、いつも自分の気持ちを自由に持っていると感じました。
自分の場合は、まず人からの評価を恐れる気持ちをなくすことが一番だと思うんですけど、自分を信じたり、自信を常に安定して持つには、経験をたくさん積むということ以外に、気持ちの持ち方をどう変えたらいいのか、教えてください。
【お父さんの答え】
なるほど。その自信を持った状態が、なんでいい状態だと思うか、不思議な気もするけどね。
人の生き方っていろいろあると思うんだけど、もう摂食障害になってしまった人は、普通の人みたいに、手抜きの生き方もできれば、手を抜かない生き方もできる、というふうにはならないと思ったほうがいいんじゃないかな。摂食障害になったことがある人は、回復したあと、手を抜かない生き方しかできないんです。
そんなふうに手を抜かない生き方をしている人はたくさんいるので、例を挙げてみましょう。
次のパリ・オリンピックに出場予定の競歩の選手がいます。すでに25キロ競歩で2連覇していて、3連覇するんじゃないかといわれている27歳ぐらいの男性です。
この人は京都大学の工学部を出て、大手自動車会社で電子部品の研究開発をするセクションで昼間働いています。そういうセミプロ級の人で本当に仕事してる人ってのは珍しいんだけど、形ばかり働いているのではなくて、戦力としてフルタイムで仕事をしています。
その男性が言っていることは、練習時間は普通の選手より圧倒的に少ないので、仕事の時間、練習の時間、それで残ったは時間をいかに使うかで自分の成績が決まる、と思っているのです。
家に夜、帰ってから何をしてるかっていうと、自分の過去の競歩のビデオとか、人のフォームのビデオとかをね、ずっと見ていて、いまのフォームに改善する余地があるとしたらどこなのか、ずっと考え続けています。その人は、空き時間の全てを、競歩でどう歩くかを考えたり、調べるのに費やしている、という。
いま持っている全ての時間をそれに使っているんですね。仕事、練習。競歩の研究、それが全てなんです。
余暇の時間とか、趣味の時間とか、そういうものはないのです。
それから、お父さんの好きな藤井聡太名人は、「最近、贅沢をしたな、と思ったのは、どんな買い物をしたときですか?」と聞かれて、「自動販売機で飲み物を買ってしまったとき、あ、贅沢してしまったなと思います」と答えていました。藤井名人は、将棋のことしか考えていないんです。
それからメジャーリーガーの大谷翔平選手も同じです。いま持てる時間の全てを野球のために使っている。
普通のピッチャーは1試合を投げると興奮して、夜に眠れないといいます。投げた次の日はもう腕がパンパンに腫れて、夜中でもブルブル震えるぐらい筋肉が興奮状態になっているといいます。
だから、ピッチャーで投げて、翌日も打者としてバッターボックスに立って、というのは有り得ないと言われているのだけど、彼は毎日、野球をやっている。6月の打率はほぼ4割近い打率で、16本ホームランを打っている。6月中に、27回試合にでている。
アメリカのほうが試合数が多くて、それをずっと休みなく出ています。だから、その成績だけでなく、タフさもそうだし、自分を管理する能力の高さも含めて尊敬されている。
夜はどんな人に誘われても食事に行くことはなく、自宅で寝て、疲れをとることに専念している。そういう寝る技術もあると思います。
だから人生をそういうふうに構成しているわけです。
質問者がいう自信があるときと、自信がないときがあるというのは、お父さんからすると、どういう意味だろうと思ってしまいます。
自信があるとかないとか関係なくて、人が懸命に充実した人生を生きるときは誰でもそうだけど、全部の時間を目の前のやるべきことに集約しているんです。
プロの人は当然だと思うかもしれないけど、プロじゃなくても同じで、お父さんも同じです。友人、知人と飲みに行ってる時間は作っていない。自信があろうがなかろうが、もし空き時間があったら溜まっている本を読みたいとか、やるべきことがたくさんある。というか、やるべきことが追いついていない。
そして僕は、自信があるとあんまり思ったことないけど、もし思い上がってしまったら、もう絶対に足元をすくわれることは目に見えているから、いつも本当に自分は間違ってないだろうかって考えたり、何度も何度も常に反省していますよ。本当にどうなんだろうか、とそういうことばかり考えている。
だから、一生懸命に誠実を尽くしてやることが大事だと思っていて、そうやっていて、もし何か自分の間違いを指摘されたとしても、自分が精一杯にやってれば戦えるよね。
そういうことですよ。余裕を持ってなんか、僕は生きてないです。
何事かを責任を持ってやろうと思ったら、自信があるとかっていう言葉は使えない。
いま桃のシーズンで、甘い桃が穫れ始めたところだけど、その担当のあんなに、自分が担当している桃の甘さに自信ありますかって聞いてみな。あんな、どう?
「桃については、いつも、いつも、心配という言葉しかないですね、去年は甘かったかもしれないけど、今年も甘いという保証はないので」
ほらそうだよね。雨予報があれば、雨を吸わせないようにシートを引いたらいいのか、病気が出ていないか、害虫が出ていないのか、そういう心配や迷いが次々に襲ってくるなかで懸命に世話をしている。だから、自信があるとか、自信がないとか聞くと、何で自信を持つ必要があるのかな、と逆に不思議になってしまう。むしろ、自信を持つんじゃないよ、慢心しないでいつも注意深く生きろ、って言いたくなってしまうよね。
謙虚になりなさい、と言いたい。ちゃんとした人ほどあぐらかいて生きていないと思うよ。ちゃんとした人ほど、まだまだ、まだまだ、と懸命にもがき続けているはずです。
(2023年7月15日 掲載)
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