(この記事は、第75回の続きです。
質問の内容や前半の話は、こちらでご覧いただけます)
お母さん、すぐは出てこないだろうけど、なおが来たときにね――来てすぐの頃に、山小屋便りに書いたなおの文章があるんですよ。まゆみちゃんの結婚式の文章です。
「まゆみちゃんの結婚式がありました」……短いんですよ、今はいくらでも馬に食わせるほどなおは原稿を書きますけどね。そのときは20行くらいしか書かないんですよ。山小屋便りに。
あゆ:
2行じゃなかった? あゆが見たのは2行だったよ。
十数行だった。
「私はなのはなで治ってみんなのように希望を持つとは信じられないので、あまり嬉しくありません」
とか書いてあるんだよね。
「私は治っていけるとは思わないので」。はっきり書いてあるんですよ、自分で。
署名で“なお”って書いてね。僕もよくそんな文章をみんなが読む山小屋便りに載せたなと思いました。そんな人しかいないんでね、最初の頃はね。
希望を持ってくれない!
「私は治れると思わないので」。
でも「絶対に治れない」じゃない。「治れるとは思っていない」。
「こんなふうに幸せになるとは信じられません。私とは別の道を歩いてる人です」みたいなね。
ちなみにそのまゆみ。来たときにね、いまだに覚えてますけどね、あの……
今、北海道で小学校の先生してる。
あのね、まゆみの彼から、フィアンセから連絡があってね。「会ってほしい」って言うんですよ。それで、「彼女を連れて行く」と。「今、精神病院に入院してるんで、症状がひどくて直接、外泊の許可をもらって飛行機で連れて行く。ちゃんと連れていけるかどうかわからない」と。
それで、無事に着いたと連絡があってね、美作のホテルのロビーで待ってるからと。お母さんと行ったんだっけね。そしたらね、来てないんですよ。本人と親戚か何かの男の人2人で来てて、本人はどこに居るんだろうな、と。
よくよく聞いてたら。男の人と思ってたもうひとりの人が、まゆみなんですよ。
え、これ女の人だったの、っていうね。顔が真っ黒で、髪の毛が短くて、顔も身体もゴツゴツしていて目がギロギロと光ってた。
「あなた、まゆみさんですか」って聞くに聞けない。雰囲気でね。てっきり男2人と思っていましたから。
この人だ、と思ってね、これ無理なんじゃないかなと思いながら話しを聞いて、なのはなに入りたいようなこと言って、この人でも大丈夫でしょうか、ということで。
その時は帰ったんですよ。外泊だけとって。
それで、いついつ行きますと。彼のフィアンセの方は、もう、駄目だったら駄目でいいです、と。いられるところまで、置いてくださいと。
治らなくても仕方ないかもしれません、と。
でも、本当に、ちょっとでも可能性があるんだったら、その可能性にかけたいんだ、と。
今のままでは精神病院から出られない。症状がひどすぎて。
そしたら入所予定の1週間前に、彼から電話がかかってきました。
「すみません、入所予定はあと1週間後なんですけど、無理です」と。
「すみませんが、お医者さんからも無理と言われたし、自分が面会に行っても状況が悪いので、今回、なのはなに入れるのは諦めます」って電話が来てね。
わかりました、と言いました。
で、電話を切ったんだね。そしたら予定日の前日に。
「小野瀬さん、ちょっと、少し良くなったので、ダメ元で連れてっていいでしょうか」っていうね。
「荷物は本人は荷造りできない状態で、家に連れて行くこともできないので私が箪笥にあるものを適当に詰めてダンボールで送ります」と。「今しかないと思うので病院から直接、空港へ連れて行って飛行機に乗せますから、空港まで迎えに来てくれませんか」そういう状況で来たんですよ。
それが、まゆみちゃんです。
それがね、治って結婚して、学校の先生を今やってるんですよ。
そのまゆみが、卒業してね、就職して、彼と結婚すると言って、一旦戻ってきて、なのはなで結婚式を挙げて、だったかな。
そのときになおが、「私は治れないと思います」と言っていたんですね。
まゆみもどっちこっち変わらない、ある意味なおよりひどいスタートだったんです。
希望の持ち方も「絶対、治って働いて立派な人生を送るんだ」という希望じゃないんですよね。
考えてみると、そういう希望を持ってない人は多いですよね。まちこもそうだった。
「私は過食嘔吐だけ止めてもらえませんか。過食嘔吐のない人生ってどんな人生なのか忘れてしまいました、残り35年の人生を過食嘔吐なしにできないでしょうか。治らなくてもいいです。普通に食べ吐きしないでいられる人生にしてもらうことはできませんか」
って、それだけですからね。
これはすごく大事なことなんですよ。正しい希望の持ち方というのはね。
あまり決めすぎない、自分を。
予定を立てすぎない。人も自分も決めつけすぎないで、緩く持つということは、特に夢、希望を持ってそっちへ向かっていこうとするときに、大事です。
なのはなファミリーで治るかどうかわからない、だけどまあ行けるところまで行ってみよう、くらいの緩い気持ち。
治るかどうか、突き詰めて考えたらね、かなりの確率で「私は絶対治らないわ」っていうふうになるんです。どこに行っても、もう治らなくていいや、とそういう結論になるに決まってるんです。
きちっと考えたら、治らない、という確率が一番高くなってしまうんです。
でも、わからないけど、行けるところまで行ってみよう、そういう希望の持ち方が正しい希望の持ち方じゃないか。そういうことです。
それと、この“マラソンを走り切る”というのは、ものすごく通じるところがありますからね。
謙虚に行く。
なおなんかはその辺りがね、もう超ベテランなんですよ。マラソン練習だって、今回、最長でも3、4キロしか走ってないし、走った回数もみんなの半分程度ですよ。
本番で、最初の5キロ10キロ走って、ペースを決めようと言って、最初の5キロ10キロ走っていたら、これは私が思っていたより体力ないわ、となおは思った。ペースを落とさないとと思ってペースダウンして、ゆっくり3時間ギリギリで折り返し地点を通過しようと、うんと落として。
だから2時間47分くらいで折り返したんですね。それで最後まで持たせようと。そういう計算ができるようになる。
そういうときも、おそらく曖昧なまま、心の片隅には、「もし駄目だったらリタイアしても仕方ないな」と、それもあったはずです。でも、これくらいいけば行けるんじゃないか。ゆるく考えて、自分の身体と相談しながら。
状況が悪くても悲観しない。怖がらない。
今の状況を恐れない。
怖がる人ってね、早く決めたいんです。結論を。怖がりの人はね。
昔はよくいましたよ、
「お父さん、早く決めてください。治らないなら治らないって、はっきり言ってください。それなら私、帰ります。治るならいつ治るんですか、はっきり言ってください!」
そういう感じになっちゃうと、自分に対してもそんなこと言っちゃうと、走っていけないですよ。その辺りの曖昧さと希望の持ち方と、怖がらずにコントロールする力をね。
希望を持ちつつ、結論を下さない。
しかもコントロールしていく。達成したいという希望を持ちながら、欲を出しすぎない、ダメだったときの恐怖を作りすぎない。謙虚に、ゆるい希望に向かって走り続ける。
何かを成し遂げようとする人は、誰も同じようなスタンスで取り組んでいるんじゃないでしょうか。
(2018年4月27日掲載)
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