第22回「スポーツの勝ち負け」


〈質問者〉

質問

スポーツで勝つこと、負けることをどう思ったら良いのでしょうか?
勝つ、負けるということが、どちらにしても嫌、苦しいという気持ちがあります。
スポーツの勝ち負けを、どう思ったら良いのか教えて頂けたら嬉しいです。

 

〈お父さん〉

答え

スポーツで勝ち負けね。
このごろ、それぞれの家庭の大事な息子、娘を預かる小学校で、勝ち負けで子供が傷つくから、運動会でも勝ち負けをなくしましょうとか、そういうことが出てきているというようなことも聞きます。
いずれにしても、すごく屈辱的ですよね、負けるっていうのはね。

僕はスポーツ大嫌いでした。運動会も大嫌いでした。体育の先生も嫌いでした。
勝ち負けがつくのも嫌でした。
負ける人の屈辱的な気持ちも分かるし、何で勝負をつけるのかと疑問でしたね。勝つ人は気持ちがいいだろうけれど、負ける人の辛さとか、どうしてそういう人を作っていくのか、疑問に思っていました。小学校の頃です。
摂食障害の人のように、心の傷が元になった苦しさが続くと、勝負事に関して、あるいは傷つく人が出てくるようなことに関して、嫌に思ってしまう感じ方から抜けられないんです。

ただ、僕は高校のときからスポーツが大好きになりました。勝ち負けをつけることも。
男子校に通っていて、運動会のとき、100メートル競争だかがありました。何人かがよーい、ドンで走る徒競走です。走るのは同じ学年かクラスの級友です。そしたら、その中の1人が、
「おい、見ている人もいるし、俺ら、本気出さずに走ろうや」
と言ったんです。「揃って横一線に並んで走ろうや」ってことです。
僕は、「嫌だよ」と即座に言いました。
「俺は本気で走るからな」
すると、「え~、マジかよ~」となりましたが、みんな本気で走りました。

負けてもいいじゃないの、負けるなら、徹底的に屈辱的に負けてしまえ、勝とうが負けようが関係ない、という気持に高校ぐらいから変わってきたんですね。
考えてみたら、駆けっこで負けるのが嫌な小学生のころ、どうも全力疾走ができていなかった。全力で走ったら、身体がバラバラになってしまうような恐怖で、全力で走るということができない。だから遅い。その時には、勝ち負けつくのが嫌だったんです。
ところが、全力を出し切ることができるようになってから、負けるのも、勝つのも楽しいという気持になってきましたね。不思議と、その頃から足も速くなりましたね。

それから、高校くらいになると、喧嘩もしますよね。
何か悪いことをして、先生から頭をゴツンと殴られることもありますよね。
すると、殴られる快感みたいなのがあるんです。
殴られて痛くても、別に? って言う感じ。逆に殴られて、気持がしっかりする。殴られて野性味が戻るという感じさえする。
それで、ボクシングなんか、楽しいなって思いました。
殴っても、殴られても、楽しい。勝っても、ボクシングで殴り倒されて負けても楽しいんじゃないか。そんな感じがしてきたんですよね。
その時の、全力を尽くすっていう感じが楽しいんですね。

お互いに、全ての力を出し尽くして、その結果どうだったのかというほうが、やっぱり、相手も死力を尽くす、こっちも死力を尽くして戦う。勝ちと負けがない限り、死力を尽くすまで行かないでしょう。
勝負をかけて、フォークダンスを踊るとか、ないですよね。
ただ、それが社交ダンスだと、全然違うかな。かなりきついです。実際に勝負の基準ははっきりしています、ボクも社交ダンスを習っていたとき、日曜日なんかに、篠竹でもいいので、衣紋掛けのように肩から両肘までまっすぐの棒を肩に入れて過ごしてください、とか先生に言われます。

1日そうやって過ごすと、腕をあげていられるようになる。一曲3分くらいですが、女の人と踊っていると、だんだん肘が下がるんですね。でも、こうやって、肘を上げて、首を長くしていたほうが良く見えるんです。見え方が全然違うけど、本当にきついんです。 大会の前に、1週間、毎日、続けて練習するだけで、両足の親指の爪が、血豆で真っ黒になる。それくらい踏ん張って踊るんですね。正にスポーツでしょう。

知っている人が見れば、良い悪いが分かる。力入ってないな、とか、この人はすごいな、すごい筋力だな。ダンス用の筋肉だなとか。どれだけ努力しているかは、分かります。1時間踊ったら、汗でびしょびしょになります。汗びっしょりになるから、シャツを取り替えながら練習する。
どんなスポーツでも死力を尽くした結果、勝ち負けが決まる。
その中に、ドラマがあるんです。

もの凄いドラマが、小さい試合にもあります。
僕の長男が高校の時に卓球部で、僕が顧問だった。卓球部の生徒を僕が引率して試合に行ったんです。
ある私立高校のエースの生徒と、長男が試合になった。まあ、もの凄く強い学校だった。うちの学校は国立で、スポーツには不熱心で、卓球部員も数人がいるだけで、応援団はまったくいない。
向こうは大人数の応援団がいて、エースだから応援もすごい。

試合はフルセットになって、最後のゲームで中盤にぐっと離されたんですね。
それで僕は(ああ、息子は負けるだろうな、これは無理だろうな)と思いました。
(負けてもいいから、さっさと負けて、このプレッシャーから解放してくれ)
と思いました。このドキドキ感、プレッシャ-から解放してほしい、と弱気になってみていたら、終盤で長男が頑張って、頑張って、追いつき、とうとうジュースになった。

そこから、点を取っては取られ、取られては取り、となって、1球1球ごとに大声援が向こうの選手に飛ぶ。もうダメだ、と何度も思いました。
(お前はもう充分、戦ったよ。相手をここまで追い込んだだけでも大金星だ。もう終わっていい)
そんな気持ちで、見守っていました。

卓球は、守りの返しと、攻めのスマッシュがあります。相手がスマッシュを打ってきたら、とにかく守って返す。相手の打ちづらいところに入れたり、スマッシュが打ちにくいようにカットボールにして返したりします。
向こうがたまたま打ち損なったら、今度はこっちからスマッシュで逆襲する。
それで、取ったり取られたりのシーソーゲームが延々と続いたんです。

そんなゲームの最中に、相手の打ってきたスマッシュを、息子は守るのをやめて、思い切りスマッシュで打ち返したんです。普通は入らない。
入らなくても、そこでスマッシュを打ち返すか? と驚いて、この敵方の大声援の中で思い切って攻めるその勇気に、涙が出そうになりました。
ところが、そのスマッシュが決まらなかった。相手もまた打ってくる。それを逆サイドにまたスマッシュで強打して点を取った。
それが決め手となって2本続けて取って、勝った。

そういう、勇気を試されるような場面で、あえて攻撃を、失敗を恐れずに行く気持ち、実践する気持ち。信じられない思いでした。
息子が勝った瞬間、相手の大応援団がシーンとなった。黙らせるっていうかね。
なんかこう、こっちは応援のないまま、たった1人で戦って立派だなと思ったし、子供は子供で、やり切ったという達成感とか、勝利を噛み締めていた。

僕は、嬉しいというより、嬉しいんだけど、嬉しさを通り越してしまって、ただ凄かったねとか、よくやったっていうことを震えるような気持ちで思っていた。
そういう感情の高ぶりは、勝ち負けがつかない中では得られないものだと思います。

長男が行っていた学校は名前だけは有名な国立ですけど、実際にはみんな勉強しない人ばかりで、ろくでもない学校です。
向こうの応援団の空気は、国立の学校のすました奴を木っ端微塵にしてやれ、みたいな雰囲気が漂ってたんですね。それが、小人数できた弱小チームと思っていたのが、エースを打ち負かした。相手の学校の応援団も、あの試合を見てこの選手はすごいなって精神力を見直したと思う。あんな粘り強くて、勇気のある奴に負けるんならしょうがないな、と。

そういう勝ち負けのつく勝負の中で、勝ったり、負けたり、時には悔しい思いをしたりしながら、いろんなことを吸収していくことができるのだと思います。人というのは、心構えをこう持たないといけないんだなとか、勇気はこういうものなのかとか。

それが体験できたり、見ることができるのがスポーツであって、勝負があることが素晴らしいと思います。
そう思って、勝負事は、僕は好きです。
その面白さ、良さがスポーツの面白さだと思います。

人間は、経済活動でも同じように勝ち、負けを競っているんですよ。
共産圏の国は、無駄な競争をやめて、例えば、自動車会社だったら、いくつもの会社で競争するんじゃなくて、1つの会社で良い車を作ったらいいんじゃないかとやっていた。共産主義は、理想ですよ。勝ち負けなんかなくても、一生懸命、研究開発してやればいいじゃないか、共産主義の元々の発想です。

でも、残念ながら、上から下まで、人間というのは堕落する。
競争がないと、みんな働かなくなる。
企業の競争があるから、いろんな技術が開発されたり、新製品が次々に出てきて、発展したり、進化したりできるのだと思います。

 

〈質問者〉

*同じ人の質問2*

私たちは何のために勝つのでしょうか? スポーツには何のために勝ち負けがあるのでしょうか?

 

〈お父さん〉

答え

勝つことを前提にやることで、目標ができる。相手に勝つという目標があるからこそ、もっと上手になろうとしますよね。
卓球なら、もっと強い打球を打とう、と練習する。
野球なら、もっと速い球を投げないといけない、と練習する。
それが、速くなくても、どうでもいいよ、怪我しないようにねってやっているのと、速くやろうとするのでは求められるものが違いますよね。

スポーツをやると、統合力がついていくと先日言いました。俊敏になると、頭の回転も上がる。
それが、ゆっくりのピンポンでいいよ、楽しければ何でもいい、勝たなくてもいいよってやっていたらすごく楽です。
楽にできるけれど、何の進歩もない。身体の進歩もない。感動もない。
統合力もついていかない。

勝つっていうのは、1つの大きな目標です。
自分に対しての目標の持ち方の1つが相手に勝つことなんです。
目標のないまま、前よりもちょっと伸びました、じゃ負けの怖さがない分、切実じゃないから一所懸命にならない。伸びても勝ちという結果がないと、達成感がない。おもしろくないですよ。

相手に勝つためにやるとなると、うんと伸びる。
そして負けたとしても、いいんです。
勝つために努力して伸びている。伸びているということは、それだけ成長しているということで、勝ち負けを抜きにして、伸びた分だけ大いに得をしているんです。
勝負があることで、楽しさも増えますよね。









第1回~第100回(クリックすると一覧を表示します) 第1回「縦軸と横軸について」
第2回「神様は何をしようとしているのか」
第3回「本で涙を流すことについて」
第4回「本を読んでも内容を忘れてしまうことについて」
第5回「時間をうまく使えるようになるには」
第6回「太宰治について」
第7回「摂食障害の人が片付けが苦手だったり、約束の時間に遅れてしまうのは何故ですか?」
第8回「自分のことを『僕』『おいら』と言うのをやめられなかったのは、なぜか」
第9回「おいしいカレーと、おいしくないカレーの違い」
第10回「楽しんで走る」
第11回「死ぬことへの考え」
第12回「『聞く』と『教えてもらう』」
第13回「頑張るフルマラソン」
第14回「他人の成功」
第15回「『今』という時間」
第16回「不安の先取り」
第17回「良い協力関係」
第18回「急に悲しくなる」
第19回「夢の持ち方について」
第20回「心の許容範囲」
第21回「疲れるのが怖い」
第22回「スポーツの勝ち負け」
第23回「人といること」
第24回「“好き”という気持ち」
第25回「何でも知っている」
第26回「舞台鑑賞が怖かったこと」
第27回「生まれ変わるとしたら」
第28回「一番感動した景色、美しい国はどこですか?」
第29回「好きな時代はいつですか」
第30回「体型について」
第31回「行きたいところ」
第32回「悲しくなったら、動く」
第33回「意志を持てないこと」
第34回「心を動かす」
第35回「恋愛できますか」
第36回「日記の重要性」
第37回「心配されたい」
第38回「ONとOFF」
第39回「いつも同じ態度で」
第40回「涙腺が弱い」
第41回「子供が苦手」
第42回「正しいことを通そうとして」
第43回「流されて生きる」
第44回「才能について」
第45回「身長は伸びますか」
第46回「否定感が強い」
第47回「ぐっすり眠れない」
第48回「見え方、感じ方」
第49回「強さについて」
第50回「自分の出し方」
第51回「身体の調子と気持ち」
第52回「何のために変わるか」
第53回「痛みを知る」/a>
第54回「投げやりな気持ち」
第55回「未完成」
第56回「相手を許す」
第57回「書けないとき」
第58回「甘いと甘え」
第59回「イライラしない」
第60回「落ち込んだ時」
第61回「生きているなら」
第62回「わからない問題は」
第63回「眠ること」
第64回「子育てについて」
第65回「夫婦で大切なこと」
第66回「自己否定について」
第67回「友達が欲しい人、そうでない人」
第68回「未来を信じる」
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第70回「リーダーをすると苦しくさせる」
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第73回「お姉さんのような存在を」
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第81回「高いプライドをつくるには」
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第133回「楽観主義者と悲観主義者の境界線」
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第245回「友達について その②」
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第247回「根拠のない自信」
第248回「先生になること」
第249回「演じること、正直になること」
第250回「怒りと感謝の気持ちは共存しない」
 
▶第251回~
第251回「アメリカンドリーム」
第252回「悲しむこと」
第253回「限界までやってみる」
第254回「リーダーの向き不向きについて」
第255回「悲しくならない求め方」
第256回「人前に立つ緊張」
第257回「野菜の見方」
第258回「プライバシーについて」
第259回「寝相について(前半)」
第260回「寝相について(後半)」
第261回「変わっていくことについていけない恐ろしさ」
第262回「速く書く事」
第263回「利他心について」
第264回「集中力について」
第265回「読書について 解釈と鑑賞」
第266回「年齢、役割に見合った振る舞いについて」
第267回「相手に喜んでもらいたい気持ちと、自分が幸せを感じることの怖さ」
第268回「相手を幸せにするということについて」
第269回「シンプルであること」
第270回「人のために動くとき」
第271回「周囲の人や家族のなかで浮いている感覚があったことと、個性について」
第272回「楽しませる人、発信する人になりたい」
第273回「目の前のことに集中できない・利他心と利己心について」
第274回「仕事への心配と、自分が空っぽの人間だと感じることについて」
第275回「理解されたいという欲求が強かったこと」