私は未熟な自分を受け入れられません。人にも受け入れられないだろうし、理解されないだろうと思ってしまいます。しかし、その一方で、お父さんやお母さんやみんなは、自分のこれまでのバックグラウンドを理解してくれているはずだとも思います。
いまの自分に必要なのは、自分のどこができていないのかを知って、埋めていこうという前向きな気持ちを持つことだと思っていいでしょうか。
【お父さんの答え】
やっぱり、利己的な気持ちがあるから揺れるのだと思います。
利己的というのは、自分をかわいがる心というのでもないんです。利己的な気持ちが行き過ぎると、自分をかわいがることさえできなくなるんです。自分の勝手な思い込み、これが正しいという思い込みに身を任せて、自分を全否定したり簡単にできるんですね。
それに対して、利他的な人は、自分の身体も頭も、心さえも、自分のものではないと思うので全否定はしないのです。自分の身体でも、半分ぐらいしか自分のものじゃないという意識が必要です。
自分の身体は、借りているものという認識がいいでしょうね。神様からの借りものだと思ったら、身体も心も頭も全否定するのはおこがましい、となります。
未熟な自分を受け入れるべきは、まずは自分でしょうね。
まずは自分が受け入れて、ありがたく思って。自分を肯定して、それで自分をもっと成長させよう、自分を育てようという姿勢が誰にも必要なことです。受け入れられないっていうけど、じゃあもっとレベルが高かったら受け入れるんですか、ということになってしまう。
誰々ちゃんみたいに楽器ができて、誰々ちゃんみたいにダンスがうまくて、誰々ちゃんみたいに器用で、誰々ちゃんみたいにみんなから褒められたり、そういう人だったら受け入れられるんだけどなって。そういう思いって、ちょっと間違ってますよね。
いいところが何もないから受け入れられない、そういう考え方は、独善的というか、利己的だと思います。
それぞれの身体は借り物で、それぞれに育て合っていくという気持ちを持った途端に、未熟だから受け入れられないという発想がなくなるはずです。
自分のことを認められない人は、人のことも認められないと思います。自分のことを好きになれない人は、人のことも好きになれない。だから自分のことをまず好きになることです。100%じゃなくても、半分ぐらいは好きになることですよね。
おそらく、本当に理想的な社会とか理想的な人間からすると、いまは誰をとってもみな同じように未熟だと思います。
未熟な自分も含めて、未熟な他の人も愛していく、そんなイメージですかね。自分のことも、人のことも、落としすぎちゃいけませんよ、受け入れていきましょうということです。
(2023年10月2日 掲載)
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