今年の1月に、ミーティングがありましたが、次のミーティングはいつ頃の予定ですか?
今は畑がとても忙しく、したい作業がたくさんあるのはわかっています。だから、ミーティングををしている時間はないのかもしれません。
畑作業では、作業のことだけでなく、生きていくなかで大切なことを学べたり、自分を成長させてもらっていると感じています。良い野菜を作っていきたいし、野菜づくりも楽しいです。
でも、それとは別に、自分の心や病気と向き合って整理をしたいです。自分がなぜ摂食障害になったのか、何が心の傷なのか、知りたい、理解したい、という気持ちが強くあります。
ミーティングでは、自分の心や病気と向き合って、整理していくと思います。私は、自分のことをちゃんと知りたくて、理解したくて、病気から抜け出したいです。
次のミーティング予定を教えてもらえると嬉しいです。
【お父さんの答え】
「傷を癒やすミーティング」というのは今は基本的に1年に1回、1か月から2か月をかけて春にやっているんですね。
結構、難しいなと思うのはね。来たばかりの人がこのミーティングを受けると、気持ちが整理できていくどころか、逆に後ろ向きになっていってしまって、ミーティングがミーティングにならないので、やりにくい、できないということがあります。
それから、いよいよ本丸のミーティングだとなると一生懸命にやりたがって、畑作業となると、それは余分なこと、回復に関係ないと思う人がいる。これは違うんですね。
なのはなファミリーでやっているミーティングには、いろんな種類があります。いまはちょっと間が遠くなっちゃってるんですけど、DVDをつかったミーティングもあります。その代表的なものでは「カッコーの巣の上で」とか「アイ・アム・サム」とか「楢山節考」といった作品を使ったものがあるんですけど、それはもうぜひ、卒業までに1度は経験してもらいたいと思っています。
で、現実的には、どうなのかなというと、普段の生活の中で、自分を深めていくということができるんです。こういう、「お父さんにきいてみよう」の場もそうですよね。
言えることは、答えは自分の中にあるということなんです。自分の中に答えを持っているんですね。
だから、いくらミーティングをしても、さっぱりいい方向に結びつきにくいなと感じる人もいれば、すぐに成果の出る人がいる。それは、日頃から、どのくらい解決を強く求めて、求めて、求め続けて、探し続けてるかっていう姿勢というか、その度合いによって、成果の出方が全然、違ってくるんですね。
変な話ですけど、答えは内側にあるので、畑で鍬をふるって、畝を作りながらその答えを見つけちゃう人もいる。本当にそう感じる。
僕とお母さんは、ここに、そういう答えがいっぱい吸収できるような環境を、最初から作ってるんですね、なのはなファミリーを作った最初からです。
同じように活動して、同じように動いているのに、その答えを次々見つけていってしまう人と、全く見つけない人とが出てきてしまう。それは内側に答えが、半分、あるいは全部あるんですけど、僕らが何かのきっかけでそれぞれに気付かせてあげる、というそのくらいのことなんです、本当のことを言うとね。
ただその答えはなかなかわかりにくい、自分で見つけようと思ってもなかなか見つけにくいです。
これもまた不思議な話なんですけどね。
アセスメントでよく話すんですが、傷ついた経験のない人の動いているフィールドと、傷ついた人が苦しんだ末に死を免れてぶら下がってやっと立っている場所とでは、まったく違うんです。
たとえばイギリスの南東部の尖った先に、ドーバー海峡がある。そこは崖なんですね。まあ、ものすごい断崖絶壁で、白い切り立った岩が海からそそり立っている。
高さは何メートルくらいあるんでしょうね。100m位あると思うんですけどね。
言ってみれば、そういう絶壁の途中に摂食障害の人はぶら下がってるわけですよ。
崖の上の平原にいる人は、いくら海は見渡せても、よほど崖の際まで行って、下を覗き込まなければ、途中にぶら下がっている人は見えない。崖の途中にぶら下がっている人からすると、この上に何があるか、さっぱり見えない。
お互いに、見ることができないんですね。これが一般的な、治療者と摂食障害の患者の立ち位置なんです。治療者は上の平原にいる。治療して貰う人は崖の途中にぶら下がっている。お互い見えない中で治しましょう、治してください、と言っても繋がりようがないんですね。
ところがドーバー海峡の絶壁の上からお母さんが下を覗き込んでみると、あら、途中でぶら下がっている人がいるよ、と見える。
なのはなファミリーのいる場所はね、丁度、崖の真上、下が見える場所なんです。
平原も見える、崖の途中も見える。両方が見えるから、こっちに上がっておいで、ということができる。なのはなファミリーには、卒業生も時々、帰ってきたりしますけど。今夜も1人、帰ってきますけど、そういう人を見れば、もう崖にぶら下がっていない人がどう活躍しているか、みんなも実感することができる。症状を消して自立できたらどうなるかというのが、手に取るようにわかるんです。症状から抜け出した人はどうか、という自分の未来像を重ね合わせることが、日常的にできる場所なんですね、ここは。
ここに来る前に、症状を消すためのいろんな方法を試してきた人は多いです。
例えば、自分の歩いてきた道を反省する方法とかもあります。
でも、道標がないところではいくら自分の中を内省しても、反省しても、ダメなんですね。その中でぐるぐるめんど回りするだけで、いわば壮大なジャグリングをするだけになってしまう。
でも、そこから出る答えというのがちゃんとあるんです。
その答えに自分1人で辿り着こうにも、極めて難しいので、こっちに答えがあるよという道標に、なのはなファミリーがなっているわけです。
極端な言い方をすれば、ここでの全ての活動をしていくとき、いつも、自分はちゃんと治りたいということを自分で考えて、考えて、答えを欲しいと思いながら向き合っていたら、少しずつヒントが見つかるんです。ここで活動していくなかで、少しずつ答えに近づいていけるようにしている。
だから、極めて症状の深い人が、ここに来て時間が経過していくうちに、特に治療というかカウンセリングとかをしないのに、少しずつ症状が浅くなっていくというのを、ここにいる誰もが目にすることができますよね。今現在も、それはすぐわかるでしょ。
それを、総合的に理屈で改めてつないで見せるのがミーティングというわけで、日々の生活の集大成というわけなんです。
だからミーティングだけ受ければいいや、という気持ちでいたら、何の集大成なのかとてもわかりにくくなってしまう。日々の生活を密度高くしていると、それだけで内側でどんどん答えに近づいているということになるんです。
ミーティングがないときは待ち時間だというのはちょっと考えが違うので、そこを勘違いしないでほしいと思うんですよね。
僕は、今でも欲しい答えがいくつかあります。普通に活動してるぶんには何も疑問はないんですけど、僕もまだまだ求めています。もっと上の世界というのを求めています。もっともっと上の答えというのを求めています。それは、病気じゃない人でも、同じだと思うんですよね。
例えば、芸術家、画家でもそうです。画家で上手な絵を描く人というのは、どんな資質を持った人でしょうか。手先の器用な人、それだけじゃだめなんですね、画家になれないです。いちばん大事なのは、心の深い人であること。で、その心の深い人が何を描くかというと、もっと上の境地、もっと上の境地、もっと上の境地というのを求めていって、どんど深めていく。そして辿り着いた世界観、人生観を色と形にしていくのが画家です。
例えば日本画の世界でいったら東山魁夷は、戦前の生まれですけど、父親の会社が倒産して大借金を負ってしまう。戦争に応召して帰ってきたら母親が死に、弟が死に、天涯孤独になるんですね。戦争が終わって平和が来たのに家族は誰もいない、残っているのは大借金。そういう中で、ものすごい虚しさを感じるわけです。生きているのも嫌になる、生きてていて何になるのか、と。自分だけ生きていて。父親とか母親、弟は死んでどんな世界に行ったんだろうと思うわけですよね。
で、自分が、絵を描いていて、こんな絵が何になるのかと、生きる意味、絵を描く意味を深く考えざるを得なかった。
あるとき、そういう思いを胸にして風景を見た。山に登って――まあ、それでも絵を志していましたから、山へ登って、景色を見たときに、いくつもの山並みが重なって遠くに見えたんですね。そのときに、……あ、こういう境地で生きればいいのかなって、気付いた。その風景に癒されたというか、教えられたものがある。
もう、欲しいものは何もない。ただ、ただ、悲しさがある。でも、生きていかなきゃならない、自分はどういうふうにして生きていったらいいのかといったときに、その、山並の重なる中に、死んだ自分の家族の世界と、自分の今生きている世界がつながっているような感覚を覚えて、それを描きたいなと思った。で、そういう気持ちを絵にして描いてみたら、それが帝展の特選になって、ものすごい高い評価を受けた。それから、自分はこの世界を描いていこうと思うようになった。
言ってみたら、自分が生きていく世界の、むなしさですよね。ただ、むなしさをおどろおどろしく描くんじゃなくて、全ての欲を捨てて、全ての愛情も何もかも、もういいんだと、だけど、なげやりにならないで、透明な感じで、全力を尽くして生きる、ということが虚しい気持ちの中に掴めたんですね。
欲を捨てて全力で生きるという、そこに見えてくる、透明な、しかし清潔感がある、くっきりとしたきれいな世界。それを描くことで、だれもがそれを見ると心が洗われる世界を表現することができた。そういう境地になっていったわけですよね。だからこそ高い評価を受ける。おそらく高い評価を受けても東山魁夷は、まあ嬉しいでしょうけど、それで、「やった」という感じはないんですよね。まだまだっていう、もっともっと上の世界って言うことしか思っていなかったでしょうね。
唐招提寺の障壁画を頼まれて、10年かけて描いた「濤声」という絵があります。磯の上の松が風になびいていて、そこに波が押し寄せる壮大な絵ですけど、ものすごいスケール感の中に、透明感、大迫力があって、それは彼が考えて、考えて、自分の人生と向き合い続けて突き詰めた、そういう哲学をもった人にしか描けないような絵ですよね。
じゃあ、僕は、画家とか芸術家じゃなければ、そういう境地になる必要がないのかというと、そうじゃないと思う。誰でもそういう境地になるべきだと思うんですよね。そういう境地で生きていくべきだと思うんです。
深く傷ついて、生きる、死ぬ、の瀬戸際まで行ったんだったら、ましてやこれから生きようというとき、どうせだから欲とか一切捨てちゃって、本当に透明な、本当に生きる意味というのを自分の人生で示そうとするくらいの、そういう気持ち、そういう心境というのを実現してもらいたいなと思うんです。治るというのはそういうことですよ。治るというのはそういうことです。自分の傷を癒やすというのはそういうことですよ。
だって、嫌な思いをした、親から傷つけられた、そんな恨みを持ってて治れますか、治れないですよ。それはね、なんか弁償してほしい、心の傷を自分が負ったぶん、返してほしいみたいな、それは欲ですよ。それも捨てる。本当に色んな人に対する恨みも捨てる。それでいて自分の生きる目標というのも、海外で活躍したい、うまいものが食いたい、そういうのも欲でしかないですよ。
本当に自分が何者かになれるんだったら、なにか人のためにできるんだったら何でもしてみよう、自分の身体、人生を使ってどこまでも何でもする、純粋にそういう気持ちに近づけば近づくほど、それは治りはいいですよ、おそらくね。回復もいいですよ。
なおかつ、ぼうっとしてるんじゃなくて、とことんまで自分を追い込んで、とことんまで自分を鍛えて、鍛えて、鍛え抜いて、自分の最高の力を出して、欲を持たない。
欲を持たないから寝ています、じゃないんですよ。周囲にちゃんと気働きもして、自分を追い込むんだけど、ただ、首を絞めるような追い込み方じゃなくて、誰かのために、なにかこの世に返すような追い込み方、自分を高めるような追い込み方で、もっと上、もっと上と目指していくような生き方です。
どこまでやっても、恨みつらみもなく清らかで欲も得もなく、自分という存在そのものを、クリアな、透明な、きれいな、一つの、なんていうのかな、魂にして、なおかつもっとよく生きたい、もっと上の答えはないかと求める気持ちだけを、それだけを求め続けてということですよね。
何かの宗教に依存するわけじゃないけど、修行僧のような気持ちで自分の人生に向き合っていく、そういう気持ちですよ。
その中で、ミーティングをしたら、それは意味があるものになる。みんなに与えてやれるヒントみたいなのは、ほんのちょっとです、どこまで日々の生活の中で、こんなふうな心境に自分を作っていけるかどうか、ということがものすごく大きいんじゃないか。ミーティングの前に、それぞれの自覚がどこまで突き詰められているかということなんです。
なのはなの生活は、僕はゆるいと思うんですけど、普通から見れば忙しい。日々、畑に出て、ギターを弾かされて、ダンスを踊らされて、バレーボールをやらされて、と見ようによっちゃそうなんですけど、そうやりながら、どんどん自分を鍛えていく、それぞれの活動を一つの材料にしていく、そういうふうに捉えてもらったら、毎日がミーティングの材料であり、自分を高める材料に幾らでもしていけるんじゃないか、僕はそう思っているので、あまりミーティング、ミーティングってこだわらないでもらいたいなという気持ちですよ、ということですね。
……ちょっとおまけで言うとね、ホントの修行僧になったらだめですよ。
今をある程度楽しむのも大事ですよ。今を楽しむんだけど、今に甘んじないで、未来に重点を置いて生きていく、そういう姿勢が大事だと思いますよ。
村田先生はよく「メジャラブルに」と言うので、それを数字にすれば、今を楽しむというのが3割か4割で、未来にかける気持ち6割か7割くらい持つのがいいんじゃないかな。
(2019年7月5日掲載)
Copyright © なのはなファミリー 2025 | WordPress Theme by MH Themes