自分の限界がわかりません。
疲れているな、と思っていても、動いてしまえば動けます。作業をしているうちに疲れを忘れることもあります。でも、精神的にも肉体的にもストレスや疲れが溜まってくると、何に対してもやる気が出なくて、作業がとても苦痛になってしまいます。
朝目覚めても疲れがとれていません。作業にも集中できません。一息つくと、ボーッとして思考停止状態になります。でも、自分が疲れているときは、だいたい皆も疲れている、とお父さんがおっしゃっていたので、皆も頑張っているのだろう、と思うと、弱音を吐いて甘えることはできません。だいたいは、我慢してやり過ごしてしまうのですが、自分の中では結構追い詰められているので、とても辛いです。
溜め込みすぎても、なかなか解消されず、長引くだけですが、すぐに弱音を吐くのも良くないと思います。バランスが難しいです。摂食障害になってから、疲れも感じられなくて、ずっと限界を超えた境地で生きてきたので、どこまでが自分の限界か、それとも甘えなのか、よくわからないです。今は疲れを感じられるようになりましたが、それが甘えなのではないか、と自分を疑ってしまいます。そのため、相談もできなくて、溜め込まれます。慎んで休むことも優しさで、必要なことですが、それが上手くできません。自立する上で、助け、助けてもらうためにも、自分の限界を正しく判断したいです。そのために、どうすればよいですか?
(自分の答え)
私の場合、相談するのが苦手で、溜め込む傾向があるので、今の自分の感覚に正直になる。自分の考えや感じ方に自信がない場合は、早いうちに、スタッフさんなどに相談してみる。
甘え、と思わず、人の意見を聞き、謙虚に受け入れる。
【お父さんの答え】
これ体力ですかね。疲れている、限界がわからない、ということですね。
あのね、ここの中で興味深いなと思うのは、症状の最中にいると、「摂食障害になってから、疲れも感じられなくて、ずっと限界を超えた境地で生きてきたので」というところです。
これ非常に興味深い。普通の人と違ってしまうのです。摂食障害を経験したほとんどの人は、この人が言う境地をわかってるんじゃないかな。
では、実際にどうなのか。普通の人はどのくらいで疲れて、どのくらいの限界まで頑張るのか。
僕は自分のこと振り返ってみると、ほとんどずっとここまで、常時、限界まで頑張りながら生きてます。夜、眠るときもそうです。
もう、かなり眠くなって、深夜に及んでまだパソコンでメールを書いていたり、みんなの日記を読んでいたりして、お母さんに怒られて初めて寝る。
朝、トイレに起きたりすると、そのままパソコンの前に座ってちょっとだけ、書き物、調べものするつもりがそのままやめられなくて、結局、早朝から起きてしまう。気になることあったり、考えたいことがあったりすると、特にそうです。
若いときに1年間だけ会社勤めをしたことがあるんですけど、今でも覚えてるのは、ある月の残業時間が200時間でした。今だったらあり得ない。200時間の残業。30で割ると、1日約7時間も残業しているわけです。
毎日、深夜12時まで仕事してる。給料よりも残業代のほうが多い。それは主に建築会社で、現場監督をやってて。建設省に出す書類を作ってたからです。そこの現場で働いていた社員は、全部で50、60人ですが、ほとんどはベンチャーの地元企業の人で、本社からの社員は4人しかいかない。ずっとその4人は書類書きや図面引きで残業続き。
考えてみると、その後、ずっとジャーナリストとして物書きをやったわけですが、社員だとしたら、まあまあ残業200時間ペース。起きてる間中、仕事をしていました。
なのはなファミリーになってからは、どこまでが仕事で、どこからが遊びか、ほとんどわからない。生きていることそのものが仕事みたいなもの。
おかしなもんで、今、従業員の労働時間が全国的にものすごく守られるようになった。最近、農業機械のヤンマーから重要書類という封書が届きました。2枚紙。1枚は、従業員の健康のために政府の方針通達もあって、過重労働させては現に厳しく罰するというので、我が社も従業員の休みをきっちり取らせたい、という内容でした。
つきましては別紙のとおり休業日を決めました、というのでもう1枚、カレンダーに赤がたくさんついているのが入っていた。土日は全部休み。その他の旗日も休みでした。
これで、ヤンマーさん、やっていけるのか? と思いましたね。
だって兼業農家で畑作ってる人は、土日に田んぼやってるし、夜だって田んぼのなかでライトをつけてトラクター引きやってるくらいです。
やっぱり兼業農家の人は、土日に夜まで田んぼに出ているから、機械の具合が悪いから来てくれ、というのは土日が多いと思います。でも、もう来ないですよ。これ、ヤンマーさん、大丈夫なのと思ってしまいます。
従業員の健康は労働時間が決められている。
でも、経営者の労働時間は決められていない。
僕の労働時間とか睡眠時間を厳しく取り締まるのは、お母さんだけ。誰も取り締まらない。経営者はそもそもタイムカードがない。でも、僕は若いときから、従業員でやってきてなくて、ずっとジャーナリストの一匹狼だったから、労働時間も何もない。
経営者の健康を守りましょう、とは誰も言わない。
この近辺には専業農家が多いですが、畑田んぼで働く時間を厳しく守りなさいという人は、誰もいない。
農家の人、朝早くから働いてますよ。労働時間、誰も守ってはいない。
小村さんに至っては、なのはなファミリーの開墾まで手伝ってくれる。お礼に何も出ないのに、やってくれる。
もともと労働って何なのか、自分の限界って何なのか。
農業が労働とは限らない。だったら家庭菜園の人、自分で労働の場を作っているということになってしまいますからね。
労働と趣味。この間に、実は境界がないんです。
魚を釣る。それを仕事にしてる人は仕事、休みの日に遊びでやっている人は趣味。
人間が動いて生きてやってることすべて、労働と遊びの境目はないんです。
目を開けて起きて動いてるとき、これは全部、同じと思います。
限界まで動くとか、限界じゃないところまで動くとか、あんまり考える必要がないのかなと、僕自身は思っています。
僕自身、なんでそんなふうに動いてきたのかなといえば、楽しいからですよね。
ひところの僕の週末は、昼間に原稿書いたり取材して、金曜の夜は必ず徹夜で原稿を書いていました。雑誌の締め切りの都合で、毎週、朝の6時まで書き続けていました。
そのあと家に帰ってご飯食べて、PTA役員をしてたので学校へ行きます。土曜の午前中はPTAの会議。土曜の午後から、高校の卓球部の顧問として、子供達の練習指導をしていました。夕方までコーチ。
そのあと家に帰ってシャワー浴びて、ご飯を軽く食べてから、次は社交ダンス教室へ出かける。9時半まで社交ダンスをやって、そのあと同じメンバーで夜12時か1時まで飲みに出る。飲み会もダンスとセットなので、行かないわけにはいかない。
だから毎週、金曜から土曜の深夜までずっと連続して動いている。それが毎週でした。
そのころ自分が限界かどうかなんて考えてない。だから人って、どこら辺が限界なんだろうってあんまり思わないで、むしろその中身をどうかと考えればいい気がする。
どういう気持ちでやってるのか。たとえば今日は、ここになおちゃんは居ないでしょ。なおちゃんの限界はあるんですか。5月のなおは、税理士として決算の書類まとめるのでほとんど休みがなくて、朝も早く、夜も深夜12時、1時まで働いている。それが毎日でした。なおの動き方は、あれはサラリーマンじゃなくて経営者的な動きですよね。
限界だ、と本人は言っていない。
お父さんお母さんスタッフが「少しは休んだほうがいいよ」と何度も言った。
ある日は、帰ってきたのが朝4時だった。
限界を超えたところまで働いている。
限界超えてるくらいまでやってるのに。私は限界ですと聞いたことがない。心配して声をかけると決まっていう言葉が、「私は元気です」。
そういう中でも、お父さんお母さんはなおちゃんに頼みごとをしてしまう。この2月だったか、忙しい時期にどっかのイベントに出て、役をやってくれ、と頼んだ。去年の12月もそう。前編後編で3時間半の音楽劇の主人公で長台詞がたくさんあるのを覚えてもらった。そして、見事に演じてくれた。
なおちゃんは、面白くてやってる、意味を感じて、楽しくてやってる。もうやりたくてやってるので限界かどうかは、どうでもいい。限界を越えたら、寝たらいい。
症状が出ている人は、何かに追われるように死ぬか生きるかでも、挑戦的にわざと自分を虐めてやってる。それも面白いけど、そういうのとは違うわけです。
自分の限界を試すことに意味を見出してやってるのと、仕事に面白さや、やる意味を見出して、面白くてやってるのとは全然違う。限界かどうかじゃない。楽しくてやってる。
この人の質問を読むと、楽しさをあまり感じてないような、印象を受けます。
意味を感じてたり、楽しさを感じてたり、自分の成長を感じていたりすると、限界であっても疲れはあまり感じないものです。
あんなちゃんも、桃から離れたくないと思って、自分で桃を植えて、自分で桃の責任者になってしまうと、もうずっと桃のことばかり考えて、それでいて幸せになってる。
もう桃の世話を、やりたくてやりたくてたまらない。
その意欲が、すごく大事だと思います。
意欲の前には、仕事かどうか、趣味かどうかも、全部どうでもいい。
意欲があり、面白さがあり、自分の力を思いっきり出して、深めていくような生き方をしていたら、限界かどうかを考える意味さえなくなる。
自分の体力、気力、精神力の限界値を試すために生きているんじゃなくて、好きな事をやるために、意味のあることをやるために、精一杯にやっていけばいいと思います。限界かどうかとか、まるで関係ないです。
まあ、好きな生き方をしていたら、いつのまにか、常に限界まで頑張っていると思いますよ。
(2019年6月21日掲載)
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