僕で言えば、僕がお兄さんみたいな存在を見つけることが難しいか、という質問ですね。村田先生、どうなんですかね。
今まで、やっぱり、自分の人生の師匠を1人見つけたり、人生のお姉さん――人生の中での慕えるお姉さん、そういう存在の人を近くに見つけるということは、どうでしょうか。あの……そういう人、見つかったらいいなと思ったことはありますか。
村田先生:
そうですね、今のところ師匠と呼んでる人は2人いるので、うーんどうなんですか、見つけようとして見つかったのかな、ちょっとわかんないですけどね。
お父さん:
師匠、ということは、お兄さん的な人ではないですよね。
でも師匠と、お兄さん的存在と、というふうにそんなに何種類も作る必要はないでしょうね。
うーん……お姉さんのような存在を見つける、か……。
やっぱり僕はね、お姉さんのような存在というのは、難しい気がするんですよね。
さっき、この質問を読む前に、野球の大谷選手の話が出ましたけどね、大谷選手がお兄さんのような人を求めるでしょうか。自分に野球をちゃんと指導してくれるお兄さんのような存在を求めてるかと言うと、求めてないと思うんですよね。つまり、大谷選手のほかに大谷選手みたいな人はいないです。だから、ああいう活躍ができるんだと思うんですよね。
才能がある人というのは、自分で自分を律することができてしまうのでしょうね。大谷は、軽く打ってるとさっき言いましたけど、多分、ごくごく当たり前のように、ちゃんとした練習をしているからでしょうね。
「これ当たり前でしょ」っていう涼しい顔をしながら、普通の人が耐えられないような厳しい練習をしてるんじゃないのかなという気がするんですよね。
体格に恵まれてるというところはあるんですけど、それだけじゃなくて、恵まれた体格の筋力をさらに強くするようなことを、わりとさりげなく簡単にやってるんじゃないかという気がするんですよね。
つまりは、1人で立つ厳しさというのを、もうごくごく当たり前のように背負ってるんじゃないかという気がするんですよ。
だから、いつの間にか、大谷を、みんな――若いんですけど――お兄さんのように慕うようになっていっちゃうというかね。
昔、イチロー選手の、足の裏の話を聞いたことがあるんですけどね。
“土踏まず”ってみんなあるでしょ。足の裏の真ん中が凹んでいますよね。ところが、イチロー選手は土踏まずのところが膨らんでるんですよ。一部の相撲取りがそうだというんですが、普通は凹んでいる部分がべた足の人のように筋肉で膨らんでる。だから足跡が、ぞうさんのようにベタ足で、ぺったりとつくんです。
じゃあ、足の土踏まずがポコッと膨らむくらいの筋肉がつくまで練習するって、どんな練習なのよっていうね。それは普通は真似ができないようなハードな練習でしょうね。
人一倍、練習しているんですよね。イチロー選手はちょっと小柄な印象がありますけどね。
そういうハードな練習は、誰かを頼りにしたり、お兄さんみたいな人を求めている人はきっとやらないんじゃないかなと、そんなふうに思うんです。
師匠もなく、前例もないようななかで、練習を続ける――。あのね、僕、思うんですけど人類ってまだ歴史が作られてから3千年くらいです。恐竜は何千万年も生き延びたんですよ。恐竜は巣を作って、卵産んで温めて雛を孵したりしている。恐竜でさえ、知恵がつくんですよ。人間は子供くらいは産んで育てていますけど、知恵がまだまだついていない段階ですよ。
ほら、いまの世の中じゃインターネットで何でも調べがつくように思うけど、桃を守る霜対策をするために、長時間燃える資材の配合を調べようったって、どこにも載っていないです。そんなに、やってる人は多くないですからね。ほんとはどれがいいのかなんて、まだ誰も確立できていないんです。うちもようやく何年かかけて、あんなたちが、色んな人から聞いたり、試したりして、ようやく独自に確立してきた霜対策の手法です。ようやくうまくいくようになったばかりです。
要するに、自分の手で道を切り拓かなきゃならない、そんなことばっかりなんですよ。人類はまだ未熟すぎるから。
摂食障害の治り方だってそうでしょ。なにもないところから道を拓かなきゃならないところって、本当にたくさんあるんですよ。
みんながこれから生きていって、何屋さんになるにしても、誰かの後をついて、誰かのしっぽに掴まりながら導いてもらおうということじゃ、つまらない仕事にしかなりません。自分が新しい分野を、どんな世界に入ってどんな仕事をするにしても、どう生きるにしても、自分が道を新たに伐り拓くというような、そういう志を持って欲しいです。
どんな仕事をするにしてもですよ。
……ただね「ああ、お姉さんのような存在がいたらどんなに楽だろう、いろんな事を教えてもらって、暖かく見守ってもらって悩みも聞いてくれて、迷ったことがあればすぐ解決法を教えてくれて」ということは、それは思いますよ。
だけどちゃんと生きていれば、必ずそういう思いーー、これも知りたい、あれも知りたいという悩みを抱えることになるんですね。
逆を言うと、自分がそういうのを全部解決していって道を伐り拓き、いつの間にか、自分の後をついてきて、自分を姉のように慕ってくれる人たちがたくさんいる、となったらその人達は助かりますよね。
自分が欲しいなと思ってるお姉さんのような存在に、自分自身がなっていくことを、そこを目指したらいいんじゃないでしょうかね。
ーーという気がします。