私は、野菜の世話とか人間関係とかで、野菜の状態が汲めていなかったなとか、人の気持ちが汲めてなくて気遣いができてなかったなとか思うことが多いです。
野菜のミーティングでも野菜の状態や野菜の気持ちが汲めなくて失敗したということが私は多くて、NHKのチコちゃんの言葉で「ボーッと生きてんじゃねえよ」という言葉通りで、まさしく私はボーッと生きてる人で、ちゃんと生きるって私には難しい課題だなと思ったんですけど、お父さんはどう思われますか。
【お父さんの答え】
そうだね、ボーッと生きているのと、考えながら生きているというのは違うけど、考えながら生きるといっても、簡単そうで難しいですね。
そのボーッと生きている人というのは、いつも人の後を追うだけになっていて、無意識なのだと思いますが隠れ蓑に隠れて生きていたいと願っているのです。
人を怒らせないように、人の気持ちを乱さないように、人の機嫌をとりながら生きて、ただ自分は目立たなければいいというのが、人生のテーマになっているんです。
だから、何も覚えようとはしていないわけです。ただ怒られないで時間が過ぎればいいだけになってしまう。それをしていると、人の気分を害したり、怒られたりすることはないようだけれども、役に立つことは何もできていないわけです。自分だったら、これはこうするな、というものがまるで何もない。
どれだけやっても、上達するとかもなければ、気の効いたこともできるようになりません。結局、畑に行っていても、野菜に対して的確なことをしようとは思っていないので、デタラメな世話だったり、怒られないようにやっているふりをしているだけで終ってしまうのです。
これは、幼児期に自分が傷ついたことの裏返しで、その当事は親を怒らせないようにしなければならない、という強い思いがあったわけですが、心の傷が解決しないまま成長してしまうと、今度は誰に対しても「怒らせたくない」というのがテーマになってしまうので、見るもの聞くもの全てに対して身が入らないのです。
そういう囚われた感情がなくなると、目の前の興味深いことに集中できます。
例えば、船を作ってる人がいたら、船はこうすれば作れるのかとか、家を作っているところを見れば、ああこんなふうにして基礎を作るんだなとか、壁はこうするのか、自分もこんなふうに家を作ってみようかなという気持ちになるし、見るだけで覚えることがたくさんあります。まあ、あんまり船を作ってる現場に立ち会うことはないけどね。
でもね、僕も船も作りたいし、家も作りたいしっていうのはずっと前からあって、そういうことで、ずいぶん前にみんなと一緒に山小屋を作ったりしました。
そうだよね、山小屋だって、どっちかというと僕が作ったんじゃなくて、みんなが作っちゃったという感じでした。家でさえ、自分たちで作れてしまうわけです。
だから何に向かうときでも、自分はいい仕事ができると思う、という気持ちで向かうということが大事で、怒られるのを怖がっていたり、目立つのを怖がっていたりしたら、人の目ばかり気にして、自分の仕事として手についていないということになってしまいます。
ダンスを踊るときも、歌を歌うときも、同じです。ただやってるというのと、どうやったらもっとキレのある動きができるか考えながら練習するのとでは、上達度が全然違ってきます。どんなふうに声を出したらいいかと考えるのと、ただ言われた通りに声を出しているだけというのでは歌の上達度も違う。
もう一度、自分は怒られないことをテーマにして生きてきているのではないか、と振り返ってみて、そうなっていたら、それをやめようと意識することです。そして、心の中を自分が見るべきものでいっぱいにして見たり、自分がやるべきことでいっぱいにして、興味をもって接して、より効果的な方法を考えながら取り組むという姿勢でやるようにしてください。
そんなふうにできるようになったら、楽しさとか、喜びが、1つひとつにより深く感じられるようになると思います。
(2023年8月24日 掲載)
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