質問
人に心配されたいという甘えた気持ちは、何故おこるのですか?
元気な時は平気なのに、弱気になると、人に心配させてしまうようなことをしがちで、
後から後悔することが多いです。
人に心配させない自分でいよう、といつも決心すると、変わっていくものですか?
答え
あのね、一生懸命に自分が生きている時は、人に心配させたいなんて、思わないんですよね。
やっぱり弱気になってくると、人に共感を求める、自分を肯定してもらいたい。それも、全部自分に対する評価が欲しい、ということなんですよ。
たとえば冒険家が、一生懸命山登りして、まさに今、エベレストを登れるかどうか、って時に、誰かに甘えたいなあ、なんて思わない。
何かに向かって進んでいる時には、そんな暇は無いです。共感を求めたりするのは暇だからで、余分なことばっかり考えてる。
それでいて、誰かに共感してもらいたい、認めてもらいたい。守られてる感じ、ぬくぬくと、保護されている感じ、そういうのを味わいたいなあ、と思っているのです。弱気になっている時はね。
だから、人に心配させない自分でいよう、というのは、大した決心にならないです。
そんな決心は、しようがない。
するとしたら、何か、目の前のことにいつも一生懸命取り組む自分でいよう、と思うだけでいいですよ。
目の前のことを何かやってるうちは、雑念を思う余地がないですからね。
あと、A・B・Cの3つの目的を持つといいんですね。
僕は、電車や飛行機で移動する時、1人で移動する時は、ABC、3種類の本を持って行きますね。
一つは長編小説。一つは短編小説。一つはエッセイです。
で、取材のために移動している時は、取材先のことや、プランを考えないといけませんけど、顔合わせの会議とか友人に会いに行くとか、ただの移動の時に、時間をムダにしないために、何か読んで新しいことを仕入れたいなと思っています。
気持ちが充実している時は、長編小説はずっしりと読み応えがあります。
だけど、ちょっと苛々してて長編小説を読む気にならないときは、短編小説を読む。
いや今ひとつ短編小説には、気分的に入りこめないなあって時は、エッセイを読む。
短いし、次々と話が変わっていくから、集中力のないときも読めます。
本を読んでいれば、自分の時間を無駄にしないし、いろんなことを知って嬉しいなって、楽しい。そんなふうに過ごすと寂しいとか、余計な感情は無いでしょ。
それと一緒ですよ。
暇でやることがないから、余計なことを考える。
何かに向かっている時には忙しいわけですから、いつも何かやるべきことを用意しておくのです。
例えば、自分の担当の野菜について、というのがある。昼間は一生懸命、畑を見に行ったりして世話をして、夜はネットとか本で調べてたりする。
暇な時も、あの野菜どうしているかなあ、どうしたら良くなるかな、今度こういうふうにしてみよう、とかプランを考える。
そうしていたら、甘えるもへったくれもない。
ただ、それだけだと飽きちゃうから、楽器にも趣味をもっておく。
それもやる気にならないときは、ちょっと簿記の勉強をしちゃおうなんてね。
そんなふうに3種類くらい、自分がやりたいことを持ってると、どれかしらやろうっていう気持ちになるものなんです。
たとえば自分の楽器を磨いて一生懸命になってると、あまり寂しいとか余計な気持ちは入って来ないです。
自分がやるべきこと、自分の目標、それもちっちゃいことを一杯持っとくと良い。
その時々の集中力に応じて、今、その時にできることをやっていけば、いつも休みなく前進できる、ということです。
甘えた気持ちは、人生にまったく必要ないと思います。
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