今、自分の体型のことで悩んでいます。
太った自分の身体を受け入れられません。「太った」と言っても、元の普通の体型に戻っただけなので、本当は喜ぶべきことなのですが、体型コンプレックスを強く持っていたので、その体型に戻るとやはり嫌な気持ちになってしまいます。
ずっと自分の身体をわざと見ないようにしてきました。特に、みんなと同じ食事量にしてからは、自分の身体の変化を見て、食べることへの恐怖が再発するのは避けたいと思い、意識をそらしていました。でも今年の1月、ふと鏡に映った自分の姿が、コンプレックスを持っていた身体になっていて、愕然としました。体型のことはどうでもいいと思えるようになっていたはずなのに、いざ元の体型に戻ると受け入れられませんでした。急に太ったように感じました。それから自分の身体を見るたびに、カッコ悪くて、惨めで、醜く見えて絶望してしまいます。どんどん太っていくのではないかと不安です。容姿なんて全く重要ではなくて、どうでも良いことに自分がとらわれていることは分かっているつもりでも、頭から離れません。
同じ食事量で同じ活動をしているのにスマートの子を見ると羨ましくなります。今更こんなこと悩むのは情けなくて、お父さんお母さんにも申しわけないのですが、どうしても抜け出せません。
教えてほしいのは次の3点です。
1,こんな気持ちになるのは普通のことですか? 原因はありますか。
2,この気持ちをどう処理して、正しい価値観を持つためにどうすれば良いですか。
3,同じように生活してるのに一人一人体型が違うのはなぜですか。
自分の答え
1についての自分の答え
拒食で長年細い体に慣れてきてしまったため、急にもとのコンプレックスを抱いていた身体ににもどったら驚いて、複雑になるのはあり得ること。でもずっと引きずって受け入れられないのはまだ自分に自信がなくて、細い事でせめて自分に価値を見出そうとする気持ちが残っていて、自分から離れていないから。不安な気持ちがある。
2についての自分の答え
何か一つでも自信になるもの夢中になるものを探す。親の枠組みから抜け出せば、自然となくなっていく。
3についての自分の答え
人はそれぞれその人にあった体型、体質があって正しい生活をしてたら自然とその身体になるから、今の自分の体型を受け入れる。
【お父さんの答え】
この、体重が増えたのが受け入れ難い、というのは、なのはなでも何割かの人が通過するところかなと思います。
こんな気持ちになるのは普通のことなのか、原因は何なのかということですが、細くなってた人が普通の体型に戻ったときに、太っていやだなと思うことは普通にあります。
その原因は、ここに自分の答えとして書いてあるけれど、まだ親の価値観や、親の枠組みにこだわる気持ちが残っているからです。端的に言うと、親の枠組みから抜け出せたら、平気で普通の体重を受け入れられるようになります。
それと、2つめの自分の答えに書いてあることですが、この気持ちを処理して正しい価値観を持つために、何か1つでも自信になるものを探すとか、夢中になるものをお探すというのは気持ちを逸らすだけのことですから、あまり効果はないです。それは正しい向き合い方とは言えません。
親の枠組みから抜け出せたら、自然と体型に対するこだわりがなくなっていくというのは、ほんとうにその通りです。
そして、同じように生活してるのに一人一人体型が違うのはなぜですか、という質問がありますが、質問をつなぎ合わせると、すでに自分で答えがわかってるみたいですよね。
1人ひとり体型が違うということに関していうと、体型はその人の職業、そして人生観によって決まってきます。
体重が何キロと決められている職業もありますよね。たとえばボクサー。体重をきっちり管理しなければなりません。だけど筋肉を落としたら試合に負けるのでムキムキでいなければならない。フライ級、モスキート級の選手でも、計量が終った日の夜にはもう体重が6kg増えてるということもあるようです。半日で6kg増える。びっくりしますよね。
ともかく、肉体労働の関係で働いている人は筋力、スタミナがなかったら仕事にならない。職業によって、仕事のしやすい体型が決まってくると思います。
それともう1つは、人生観の違い。人生観の違いで、自分が生きやすい体型になっていく。ものすごく神経質な人はどうしたって身体までギスギスしてしまい、太ることができません。逆に身体が大柄で体力のある人は、わりとゆったりした人生観を持っていることが多く、寛容度も大きい。
僕なんかも、お腹が空いているときと、眠いときは不機嫌になります。ま、赤ん坊もそうですけど。誰でもそういうところあるでしょ。体力がないときとか、気持ちまでいっぱいいっぱいにすぐなってしまう。
体力が十分、気力も十分だと、いろんな耐久力がある。忍耐力とか包容力が上がる、というところがあります。
自分を振り返ってみても、体重が増えてるときのほうが円満な人格でいられます。若い時はもっと細かったですが、非常に戦闘的な性格で、いろんな人に迷惑をかけてきたんじゃないかと思います。
そんなふうに体型と人生観、体型と職業の関係は深いわけです。
そういうことを考えあわせていくと、この身体が一番、使いやすいなとか、この体型が居心地いいな、と思ったらもう変えたくないと思うんじゃないでしょうか。
要は、居心地の良い身体、使いやすい身体でいることが、だれにとっても一番大事なんじゃないですか。
同じ身長でも、細めの人、普通の人、太めの人がいるというのは、それぞれが使いやすい身体をしているからと考えるべきでしょうね。
大事だなと思う事は、その人が精神的にも職業的にも使いやすい身体でいることで、それが一番気に入った体型だということです。
親の枠組みから外れることができたら、親に自分の辛さを訴えるための体型は必要なくなり、ただ自分が使いやすい身体が欲しくなります。
スポーツをやっても、何をしても、十分に楽しめる体力とスタミナのある身体が使いやすいでしょうね。
そんな身体だったら、人を楽しませることができます。結婚したら、家族を楽しませるだけの体力が必要になります。
細い体がいいなんていって、赤ん坊を抱っこできなくて落としてしまったら、とんでもないです。
なのはなのお母さんはずっとなっちゃんの訓練をしてたので、毎日バーベル上げ下げしているようなものです。かなり筋肉質で、腕相撲しましょうか、と言われました。
それは子供を育てたり訓練するために、どうしたって力をつけなければならなかったから。職業っていうか生活全般含めて、使いやすい身体を求めると強い身体が欲しくなると思うんです。
ここにいる人は、一度はやせ細ることへの依存で気持ちの苦しさを身体で表現したことがある人が多いですが、これから自立するための身体を作っている途上です。
まだ職業が決まってない人も多いし、精神的な強さの面でも発展途上の人もいます。そんな途中の段階では、自分の身体を100%受け入れられないというのは、あり得ることだとは思います。
ここでは、きちんと自立して生きていくために体力も気力も作っていくわけですが、気持ちを先に作ってから身体を作るとなると、それだけ時間がかかるので、先に身体を作りながら、必ず気持ちも作って、自立に結びつけましょうとしています。
だから、身体が先にできてしまうと、それに見合った気持ちができあがるまで、少しタイムラグがあるかもしれません。いまはそんな段階と捉えてください。
もう一度整理すると、親の枠組みから離れて自立しようというとき、自立できる職業に就くためにはそれに耐えられる身体や持久力を作らなければならない。
そして親への拘りや依存がなくなり、その身体を使って自分の思う自立をしようという気持ちが出来上がると、力のある身体が使いやすいので、その身体を受け入れられないという気持ちは自然に消えてなくなります、ということです。
(2019年5月28日掲載)
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