見回りをしているときに悲観的になりがちなこと。
担当でキュウリを見ているのですが、黄色い葉っぱばかり見える。必要な手入れ以外はし過ぎないと思っているが、何かしなければと思ってしまいます。見回りの時に、悲観的にならないポイントはありますか。
【お父さんの答え】
なるほど。物事を見る時や、人を評価するとき、悲観的な見方と楽観的な見方の両方があると思います。
まず野菜を見る時には、全体の印象を何となく感じることが大事。どこが良いとか悪いじゃなくて、勢いがあるかな、元気があるかな、艶があるかな、張りがあるかな、そういうことを「なんとなく」感じるのが大事です。なんとなくの全体の印象をまず大事にして、何か違和感があるか、ないのかを決める。
悲観主義者というのは何か悪いところはないかと探す傾向があり、何かしら悲観的なことを探し出してしまうから、全体的な印象で元気なのか、そうでないのかをはっきりさせることが大事なのです。
一部に病変を見つけても、それを過大に捉えて悲観にいかないで、全体的には元気なんだな、とわかることが凄く大事なことと思うね。
悲観的なことと通じることで、何か薬をかけるところがないかなとか、何か必要な肥料がないかな、水をやらなくていいかな、と行き過ぎた行為を探して歩くのが野菜にとっては非常に迷惑なんだよね。
誰のための世話か。世話のための世話だったら、野菜の為じゃないんです。
自分のため。自分の心配を無くすために、何かしらの世話をいつも大量にやりたがる。これって、子育てと同じです。
子供を塾に行かせる、習い事たくさんさせる。自分の安心のためにやる母親が多いです。それと通じるものがある。子供の為じゃない。自分が安心したいだけなんです。
野菜に肥料をやるにしても、凄く薄い方が吸収しやすい。濃いと毒になったりする。
浸透圧の関係でね。2つの濃度の違う溶液を、半透膜で仕切った時に、薄い溶液から濃い溶液に吸い取られていく。浸透圧の問題で。濃い肥料をやっちゃうと、逆に栄養が流れ出しちゃうことになりかねない。薄い栄養が吸いやすい。
自分がいかに気持ちをセーブして野菜と接するか。それが凄く大事なことになってくるかと思うんだよね。
1番肝心なことはね、己を知ることかもしれない。
自分は悲観的になり過ぎる人だ、自分はやり過ぎる人だ、と思うのか、それとも自分は大事な病変を見落としがちで杜撰だ、と思うのか。 そのどちらかを自覚した上で、杜撰な人は「丁寧に見よう」と思えばいいし、悲観的で心配性な人は、意識的に「もうちょっと突き放してみよう、というふうに最初に思ってから畑に行くといいでしょうね。
あと、生き物を育てているわけですから、植えた作物の100%を全部元気に収獲すると思わないほうがいい。1、2割は駄目になったり、虫に食べられてしまうのがあってもいいと思いながら見る。そうじゃないと悲しくなっちゃう。あまりに感情移入をしすぎると、1、2株枯れたくらいで後を追って死のうーーとなったら困ります。1割くらいは何かの理由で駄目になっても良いと思いましょう。
(2020年6月26日掲載)
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