ChatGPTというオープンAIのアプリケーションが普及してきています。探し物をするときネットサーフィンするように、これは質問したことに対して極めて人間っぽい言葉で返事をしっかり返してくれます。
それが大脳が拡張していくように高度になっていくと言われていて、AIが今度は人間からじゃなくて、AIがAIから学んでいくので、はるかに人間を超えるようなことさえ言う人もいます。1人で寂しい人がAIに話しかけてみると、本当にそれっぽい返事が返ってきます。
AIがどんどん人間に代わってすることが増えていったら、この先、人間はどうするんだ、というのを話してる人たちが結構、多いんですけど、お父さんはこういうAIの進化をどう考えていますか。
【お父さんの答え】
お父さんとしては、AIが人間の代わりすることは、将来的にもまずないでしょう、と思いますね。ゲーム的な分野とか、ビジュアル処理、音声処理等の分野では、かなり能力が高くて、面白いものをどんどんAIが自動生成してくれます。
しかし、そういうものは過去にできているものを参考にして、短時間で完成度の高いものを作っているだけで、それだけ、ですね。
人間の素晴らしいところは、アイディアがひらめくことです。それが人間の人間たるところで、残念ながらAIにアイディアがひらめくっていうことは絶対にないです。
つまり、AIが新しいことを生み出すということは、決してありません。いつも過去のデータを分析して、集約した答えを出すだけです。
たとえば、将棋の世界ではAIが短時間でいわゆる最善手といわれる答えを出します。そういうのはAIが最も得意とする分野なのですが、それでさえ藤井聡太七冠(2023年8月現在)が指す将棋の実況では、藤井七冠の指した手を一瞬、悪手と表示して、しばらくすると最善手だと修正したりすることが多いです。
つまり過去のデータからの答えしか出せないので、新しい創造的な手が作れない。それに対して、藤井七冠のようなプロの将棋指しが作る勝負というのは、毎回、かなりクリエイティブで創造的なものだからこそ、大きな感動があったり、深い面白さを将棋ファンは楽しめるわけです。そういうことがAIに出来るようになるかというと、どこまで行ってもならないのですね。
藤井七冠が新しい手を指して、それから改めてコンピュータで何万手も先までシミュレーションをしてみて、これがやっぱり最善手でしたということになるのです。
だから、レベルの低いものだったら過去のデータの分析で賄えるが、ちょっと高度なものはAIは自分で考えたり、作ったりはできない、ということになります。
最もAIが得意とする分野でこういうことしかできないのですから、僕は人工知能が人間並みになるとか、人間を超えるなんていう話しは、全く信じないし、不可能だと自分としては断言したいです。
例えば広報資料などを作らせたとして、空白を埋めるためだけの言葉は並ぶかもしれませんが、本当にアイディアのある言葉とか、本当に役に立つ情報など、それは今のレベルのAIでやろうとしたら、きちんと仕事ができる人の1万分の1も役に立ちません、と僕は思います。
だいぶ昔のことになりますが、AIの出始めの頃に、大手出版社の総合月刊誌の企画でAIの特集をしたいということで、自分で何者もAI技術の取材に歩いたことがあります。
そういうことが3回あって、しかも3回ともボツになりました。
印象的なのは日本のトップクラスの建設会社のAIを取材したときに、広報の方が僕にこう言ったんです。
「これ、記事になりますかね? 何度も取材受けているんですけど、記事になったことがないんですよ」
そういうことがあったせいか、僕はAIに懐疑的になっているのかもしれません。
人口知能の研究とか、僕としては偏見とは思いますが、人工知能という呼び方を変えたほうがいいのではないか、というのが正直な気持ちですね。
人工知能も、データの蓄積を利用して、何か別の制作物を自動生成するということでしたら、人工知能ではなくて、集積データ応用加工技術、とでもいうべきでしょうね。
いまはAIを持ち上げるのが流行ですから、こんなこというと批判を浴びそうですけど、本当に使えるかどうかは、何か専門的な分野の人は実際にChatGPTを使って自分の専門分野の質問をしてみたら、すぐに使えないとわかるのではないでしょうか。
僕はChatGPTの出始めのときに、いろんなことを聞いてみました。肝心なことになると、それはよく考えてみるといいでしょうとか、曖昧に逃げられます。
例えば、摂食障害はどうやれば治りますかというようなことを、あれこれ質問を変えながら聞いてみました。そしたら、専門家から、精神面、栄養面において指導や支援を受けることで回復へ向かうことができる、というような一般的なことしか出てきません。しかし、こうした情報に沿って行動して、摂食障害や依存から完全に脱して前向きに生きられるようになった人が何人いるのだろうか、というのが現状だと思います。
そういうデリケートで専門的なことになると、まるで心もとない答えしか返ってきません。
でも、「この駅から岡山駅まではどうやったら行けますか」みたいなことはしっかり教えてくれる。それだったら、そのへんの道行くおばちゃんに聞いても教えてもらえます。
おそらく将来的にも、誰もが知ってるけど、今さら聞けないことなどはAIに聞いたらいいし、あと面倒な繰り返し作業とか、簡単な生成物を作りたいときは、いわゆるAIを「集積データ応用加工技術」だという感じで使って、どんどん効率的に処理していけばいいでしょう。
でも間違っても、アートの分野にAIを持ち込んだらルール違反です。プロがやっている創造的な分野には、AIで稼働できるものは何もない、と言っていいでしょうね。
念のために言えば、藤井七冠もAIのパソコンで将棋の研究はしています。ありきたりな手だったらこうするのが最善手というのは、すぐに出してくれるから便利でしょう。そういう勉強に使うというのに限るのであれば、活躍する場はたくさんあるでしょうね。だけど、それを「人工知能」と言わないでくださいよ、という気分です。あくまで集積データを活用するだけだから、データ処理と言うべきであって「知能」とは言わないで、と強調したいです。
(2023年8月7日 掲載)
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