あまり具体的に話せないんですけど、自分は楽な方に逃げがちで、損得勘定に向きやすい人間だと、すごく感じています。やけくそになってしまったりとか、自分の中で無表情になってしまったりする気持ちをなくして、直していきたいのですが、どうやっていいのかよくわかりません。
1回、お父さんにガツンと言ってもらいたいような気持ちがあります。まず自分が変えるべきところを教えていただけると嬉しいです。
【お父さんの答え】
自分が変えるところよりも何よりも、神様は全部、お見通しだよ、という発想を持つことが大事なんじゃないかな。
神様は、その人の行動や考えに見合ったご褒美を必ず与えます。しかも割と早い段階でリアルタイムで与えてくれるし、罰も与えることがある。そういう天罰を怖がったほうがいいよ、ということです。
何かの宗教の神様とかではなくて、この世界を生み出した神様、くらいの感じですね。
例えばなのはなファミリーを卒業して自立して、仕事に生き甲斐を感じて元気に働いている人と、ここを卒業してから、時として、仕事が永く続かないとか、必ずしもうまくいかないという人がいます。
それには、かなり大きな差があるように思います。それは運がいいとか悪いとかじゃないですね。まさにその人が、どういう心の状態でここを出たか、ここで何を得て、どういう考えを自分の人生のテーマとしたか、それがモノの見事に反映するんです。
それは恐ろしいぐらいです。だから、実力のない人が楽して得するような道に入ってラッキーです、なんていうのは絶対にないです。
その代わりここでちゃんと頭も心も体も使って、真面目にやることをしっかり自分の中に入れた人は、自立してから本当に恵まれた環境に入れます。
真面目にやっている人は、それが報われるし、反対に不真面目だったり、損得勘定で生きていたりしたらギスギスした中に放り込まれてしまう、という展開が待っていることは火を見るよりも明らかです。そのことをよく知っておいたらいいよっていうだけです。
ただ、ここにいると、それは解りにくいかもしれない。ここではごまかしてやってる振りができたり、守られたりしているけど、自立したらそういうごまかしはきかない。
ごまかせる環境だからそれに甘えて自分を鍛えていかなかったら、とんでもない目に遭いますよっていうこと、それだけを覚えておいたらいいんじゃないかな。全部、すべての自分の行いが、自分に還ってきます。本当に飴と鞭じゃないけど、心掛けの悪い人に対しては、神様はかなり厳しいなと実感するはずです。
だけど、一生懸命やってる人に対しては、神様はかなり甘いなと感じます。
こんなふうだと思ってください。
ちょっとこの人には罰を与えた方がいいんじゃないかなっていう人がいたとします。その人は50ぐらいのマイナス度だなと思っていたとしたら、50ぐらいの罰が与えられるんじゃなくて、マイナス80ぐらいの罰が与えられるという印象です。つまり、実際よりも厳しめに罰が下る感じです。
プラスのほうもそうなんです。この人にはプラス50ぐらいのご褒美があってもいいんじゃないかな、という人には、80ぐらいのご褒美がやってきます。この人には100ぐらいご褒美やりたいなっていう人には、神様は150ぐらいご褒美をやっている感じがします。
つまり、マイナスの人にはマイナス分を増やして罰を与える代わりに、プラスの人にはそれを越えて大きめのプラスを与えるということです。
というわけで、良いも悪いも全部、多めになって自分に還ってくる。
全部、自分の心持ち次第なんです。それが本当のところです。
こんな実力も何もない人が、なんでこんな良い待遇で、良い条件で人生を展開できているんだろうか、と思ったら、それは間違いですね。
それはその心持ちの世界で、本当に素晴らしいものがあったから、当然のようにそうなっているだけで、実力以上だと思っていたとしたら、それは見ている人の下品な心持ちがそう見えさせているだけのことです。
実力があるとか、ないとかいうのは、いまの合理的な表面的な評価からの見方だけであって、心の世界というのが人間にとって一番大事なもので、神様はそこしか見ていないんじゃないかと思いますよ。だからモノをたくさん生み出す人ではなくて、心の綺麗な人にご褒美がくるわけです。
そういう意味では、自分の心にやましいものがなかったら、将来の人生は何も怖いものがない。必ず、自分の心と同じ環境が与えられるので、たとえ今がどんな苦境にあったとしても、それは時間の問題で必ず切り抜けることができるから心配する必要がない。
だから、人生はその人の心の実力通りになる、と言っていいんじゃないかな。
楽をしたいとか、損得勘定でいつも得をしていたいとか、身勝手なことを思っていたら、そういう人にはその人に相応しい環境と生活が待っているので、それは覚悟したほうがいい。損得勘定でいつも損した、損したと言い続ける人生が待っています。いつも楽ができない、楽ができない、という人生になりますよ、というだけのことです。
だけど、1回きりの罰ではないので、悪い心持ちで生きていたらこの世界は地獄そのものでしょうね。大変で、つらいだけの人生になってしまう。簡単に生き地獄に堕ちることができます。
世の中には病気もあれば事故もありますが、そういうことが罰だというのではありません。もっと長い目で見て、いつも心楽しく生きることができているのか、それともいつも不満だらけで、次々と嫌なことばかり起こると感じる生き方になってしまうのか、そういう違いがあるということです。
ちょっと余談ですが、少し前に、足の土踏まずのあたりが紫色になっていた。内出血だったんですが痛みも何もない。ただ色が悪くなっているだけで、なんでだろう、と思いながら放置していた。
すると、ひょんなことから血糖値を測ったら、思い切り高血糖になっていてビックリしました。正直、このまま糖尿病になってしまうんじゃないか、と心配しました。足裏の内出血というのは、血管が日常的に切れていた、ということなんですね。
調べたり、考えたりしてわかったことは、生活が乱れていたということです。若いときには何でもなくても、毎晩、深夜まで起きていて、腹が減ったとなれば好きなだけ食べて、飲んでいた。これがダメだったんですね。自分の欲のままに生きていた罰ですね。
高血糖は治りにくい、ということのようですが、薬は一切使わずに、今はすっかり正常値に戻りました。
何をしたかというと、深夜まで起きていてお腹が空いても、夕飯後は一切、食べないことにしたというのが1つ。もう1つは毎朝、タマネギ・スライスとサバの水煮(もしくはイワシ)を食べるようにした、それだけです。内出血もきれいになり、一時は空腹時血糖値が180を越えていたものが今は正常値の範囲内に下がりました。
まあ、いろいろあるけど、欲に負けたらダメですね。
(2023年6月28日 掲載)
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