〇読書について
私は本を読んでも、内容を覚えていないもの、ぼんやりとしか思い出せないものが多いです。読んだ時には、涙が出そうになったり、心が動かされたりして、(とても良い話だった)と思うのですが、良い話だったということは覚えていても、どんな内容だったか、どんな部分にどう心を動かされたのか、思い出せないものが多いです。それは、情緒を育むことになっていない、と考えた方が良いでしょうか。
自分の答え
・記憶力が弱くなった。
・暇つぶしになってしまっていた。
情緒は少しはたまっても、あまり育めていないのではないかと思いました。
対策
できるだけ感想文を書いて忘れないようにする。
【お父さんの答え】
記憶力が弱くなった、ということはないと思いますね。これで90歳くらいなら弱くなることはあると思うんですけど、みんなの歳では、記憶力が弱くなるというのはないでしょう。
ただ、気持ちが上がったり下がったりと、感情がぶれてるときには認識力も落ちていることが考えられます。
自己否定が強いときとか、投げやりな気持ちのときは、ちゃんと感じられていなかったり、きちんと考えられていないということはあるでしょう。つまり自分にとってノーマルなコンディションではないときは、ノーマルな感じ方とか、記憶のしかたができないと思います。
その対策として、感想文を書く、というのは凄く大事だと思いますね。日記代わりに感想文を書いてしまう。僕は、これまで読んだ本は全部覚えていたんですけど、この頃になって、その記憶が怪しくなってきていて、危ないなと思っています。でも、みんなの歳で覚えられないというのは、ちゃんと読み込めていないのかもしれない。
そもそも、文章を読んできちんと解釈するというのは普通に思われているよりもずっと難しいことなんです。
漫画と小説は、同じ読むでもまるで違う体験なんです。
漫画っていうのは絵が描いてあるから、あまりイメージしなくても、なんとなくわかった気になる。
小説の読書は、手掛かりは文字しかないので、具体的な景色や場面を、すべて自分のイメージで思い浮かべるわけですから、相当のイメージ力がないと難しい。
日本語で書かれた漫画なら、外国人が読んでも、絵があるので内容が大体はわかります。しかし、日本語で書かれた小説を外国の人が読んでも、全く内容がわからない。
また、日本人だったら日本語の小説がすべて理解できるかというと、これが理解の度合い、レベルにはもの凄く大きな差があるのです。だから文芸評論という職業が成り立っています。
高いレベルで深く読み込める人は、文芸評論ができたり、編集したり、物書きにもなれる。そこまで理解力がない人は、とても文芸評論などできません。読者としても、良い読者とは言えないでしょう。
同じ本を読んだことがありますと言っても、自分はどのくらいの深さで読めたのか、考えたほうが良いです。深く読み込むのは、凄く難しいですよ。
それは鑑賞の問題の前に、まず国語の読解力の問題があります。この本を深く読めたかの前に、正しく読み取れたかどうかという問題があるんです。
学生のころの国語の問題で、
「下線部の、これ、は何を指していますか」
という問題で、それが100点取れなかったら、正しく読み取れていないということになります。日本人だから、日本語は正しく読み取れているはず、と思うかもしれませんが、それが本当なら国語のテストではみんなが100点になる。実際には、そういう人は少ないということは、正しく読み取るだけで難しいということなんです。
つまり鑑賞の前に、解釈の段階で正しく読み取れていない可能性がある。その解釈が100パーセントできた人が、鑑賞の段階に行く。
解釈の精度が30パーセントくらいだったら、鑑賞は大きく間違います。
だから鑑賞が大きく間違うと、記憶に残らない、ということになるでしょうね。つまり、実は読んだ直後にも、ぼんやりとしかわかっていない。それで、後になるともっと何が書かれていたか思い出せなくなる、ということかなと思います。
何が書かれていたのか、朧げにしかわからないのでは、強い印象というのも残らないと思います。
まずは100パーセント理解できるようになることが大事です。それには、たくさんの小説を読むといいでしょう。楽しく読める本を多読する。そうすると、理解力はどんどん上がっていくと思います。
正しく解釈できた人は、正しい鑑賞になっていきます。個性的に解釈したら、それは歪曲して理解したということになりますから、鑑賞を間違う。
試しに、これから本を読んだら、感想を日記に書いてみてください。それがあまりに解釈を間違った上での感想だったら、間違いですよ、と言いますから、日記に書いてみてください。
(2021年3月2日 掲載)
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