私は、文章を書くことが速くできません。記事や日記などを書くのにすごく時間がかかってしまいます。何を書こうか悩んでいる時間が長いと思います。どうしたら、改善するでしょうか。
私は、きれいに何かを書いて記録するということがすごく苦手です。きれいな字も絵も描けません。メモや記録を書こうとすると変に焦ってしまいます。すごく極端に苦手でちゃんとしたいのにできなくて、変だなと思ってしまうのですが、これはどうしてでしょうか。どうしたら改善するでしょうか。今は、意識的にちゃんとするようにしています。
【お父さんの答え】
そうですね、これは質問が2つありますね。日記や文章を早く書くには、どうすればいいかということと、記録をちゃんと作るには、どうすればいいか、この2点ですね。
記録をつける、メモをとる、というので思い出すのは、ノートのとりかたですね。
学校で授業を受ける時、ノートをとります。ノートをとるコツは、−−僕が思っていることはですよ−−、ノートって右ページと左ページがありますよね。ノートに片っ端から書いていこうとするから、うまくまとまらないんです。
ノートは、左ページしか使わない、ということにすればいいんです。
左ページにまとまらないままでいいから書いていって、あとで右のページで解説したり、図を入れたり、追加で何かを書けるように空けておくんです。
図を描くのでもいいし、イラストでもいい。何か左ページに関して書けるように、右ページを空けちゃうんです。書くことがなければ空けたままでいい。常に左ページにメモをするだけで右ページは空けておく。それが大きなコツなんじゃないかと思いますね。
左はちゃんとした記録をつけて、右は感想とかでたらめなことを書く。大きな字や小さな字とバラバラでもかまわない。
それが基本なんじゃないか、と僕は思いますね。
みんなの野菜の記録なんかもそうですよね。A4には右ページとか左ページがないので、A4サイズ1枚に書く場合は、敢えて途中でスペースを空けながら書いていって、そのスペースにちょっとした図とか、イラストを描くと、よりわかりやすいですね。
「文章を書くことが、速くできません」なんだろうね、これね。
物書きの人が、原稿を書くときに、頭で書くことを考える速さと、手で文字を書く速さとでは、どっちが速いと思いますか。
手の方が速いと思う人。頭のほうが速いと思う人。そうですね、頭で考えるほうが手よりも速いんですよ。手は頭で考えてることを追っかけて、書いています。ワープロだと手で書く速さの3倍くらいは速く書けますから、原稿を書くのがワープロが登場してから、かなり楽になりましたね。そういう意味じゃワープロの登場は革命的でした、物書きにとってはね。
ということは、書くのが遅いので困っている、という質問の人は考えが止まってしまっている、というわけですよね。
それは、なんでですかね。普通の人は頭のほうが速くて手の方が遅いです。
それが書けない。だいたい、こういう人は、書く事に関してプレッシャーをかけられた経験が根強く残っているために、頭の中でさえ、自由に考えたり、発想したりすることにブレーキがかかっているということだと思います。
頭の中のことなので、考えるくらい好き勝手なこと考えて良さそうなものだけど、それができなくなっちゃう。極端なプレッシャーをかけられた人というのは、そういうふうに考えることが不自由になってしまう。
だから、速く書けるようになるには、まずそういうプレッシャーから抜け出て、本当に自由に物事を考える癖をつけなきゃいけない、そんなふうに思います。
で、なかなか自由に考えろと言われたって難しいので、やっぱりそういう人ほど小説をたくさん読んだらいいと思うんですけどね。小説をね。
僕が一番、文章を読んでて衝撃を受けたのは、志賀直哉の『菜の花と小娘』という、短編小説です。主人公が誰かに声をかけられて、誰だろうと思って探したら、小川の上を流れていく菜の花が声を掛けてきたんですね。
「あなたどうして助けてくださらないの」みたいなことを喋りながら流れていく。生意気な花なんだね、それが。
僕はそれを読んだとき、「えっ、花が喋っていいの?」って、大きな衝撃を受けました。いくら小説の中とはいえ、花がしゃべるなんて、そんなのあり得ないだろ、と。
しかも志賀直哉ともあろう人が、そんな有り得ないことを書いていいんですか、とそれは衝撃受けましたね。それくらい自由に発想していいのか、と思ったわけです。花が喋っていい。そしたらトンボなんかもっと喋りそうですよね。
今日、トラクターのミラーにトンボがとまっていた。なんだか知らないけどね。まあ嬉しいですよね、興味を持って寄ってきてくれる。そういう自由さはやっぱり小説を読んだりして教わらないと――。こんなにそのへんの草に喋らせちゃっていいんだ、そういうことはわからないんですよね、実感として。
小説を読むということは自分の考えの幅を広げることになります。大人たちからプレッシャーを受けて、狭く薄くなった考えを、小説を読むことでバーっと広げる、膨らます、そういうふうに考えたらいいんじゃないでしょうかね。
喋るように考える。喋るように書く。そしたら喋るのと同じくらいのスピードで書けるはずで、ましてや日記なんか、そうでしょ。誰が読むったって、どんなこと書いても自由なわけですからドンドコ書けるし、今日のなのはなの記事を書くと言ったって朝日新聞の記事を書くわけじゃないでしょ? 今日やったことをただ書けばいい。スタッフも見て、間違ってたら直すわけだから、たったかたったか書けばいいのかな、と。
ただ一つ、書いてるうちに横道にそれちゃう、書いてるうちに何を書いてるかわからなくなっちゃう、お掃除してるうちに何をどうお掃除してるか分からなくなっちゃう、そういうことあるんですね。廊下だって掃いてるうちに、ごみ取らなきゃと言ってるうちに、ごみがどこか消えてなくなっちゃうこと、ありますよね。方向性がなくなっちゃう。
だから方向性をなくさないためには最初に箇条書きで、何を書く、何を書く、何を書く、何を書く、と箇条書きにする。今日のこのテーマは何々、とタイトルを書いてタイトルを時々見て、タイトルに沿ったことを書いていくと横道に行ってもタイトルに戻ってくる。文章を書くというのはそういう仕組みになっております。
タイトルを書いて、長くなるなと思ったら小見出しをいくつか先に書くのもいい。次々に小見出しに沿って書いていって、最後にもう1回タイトル見てタイトルから逸れてないかどうか確かめる。それが基本で、それ以上は何もないです。そうすれば速く書けるようになるでしょう。
(2020年11月16日掲載)
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