先日のセブンブリッジ大会の罰ゲームで、面接試験がありましたが、それに答えられず沈黙になってしまうのは社会性がないからですか。
私は、答えを考えた時、頭の中、心の中が空っぽで、自分の中に答え(言葉、気持ち)がありませんでした。
以前、同じように答えに詰まったことがあり、お父さんに、社会性を身につけようとしたら身につけられるか質問しました。お父さんは、それは身につくよ、と言ってくれましたが、私はその時と変わることができていません。このまま何となく過ごしていたら、一生身につけられないと思いました。
どうやって身につけていけますか。
(自分の答え)
自分は、気持ちを動かすこと、言葉にすること、人に伝えること、役を演じることができていないと感じます。
具体的に、語尾まで明確に言葉にして、人に伝える。
演じるイメージを言葉にして、意識する。
【答え】
お父さん:
社会性が育っていないということで、どうしたら社会性が身につくんでしょうかという質問ですね。先日、まあ罰ゲームでしたけど、ある会社の面接試験、入社するための面接試験に行ったと仮定して、いろいろ質問さてもらいました。その時、言葉に詰まってしまったということですね。
で、これね、んーと、答えとしては、ユーモアを持つ、遊び心を持つ、っていうのを意識したらいいのかなと思いますね。
まあ、この時はゲームでした。
実際の入社の面接試験じゃないです。
だからということでもないんですが、わざと面白い答えを言うという手があるんです。何かを聞かれて、答えようとして何も正しい答えが思いつかないじゃなくて、まあ笑かす答えをしようと考えるわけです。
ですから、まったく質問の答えになってなくても良いわけですよね。なんか面白いことをちょっと一言、言ってみる、そういうセンスがあったら、それでもう良いんだと思うんですね。
実はそれが社会性なんですよ。
なにか聞かれる。それに答えなきゃいけない、なんて答えたらいいんだ、正解はなんなんだ、っていうことだけを考えるというふうに狭くなる必要がない。ゲームなんですよ。罰ゲームですからね。正解なんかないんですよ。
どちらかと言うと面白い答えを言うっていうことで、良いんですけど。
そういうふうに、とっさに、面白い答えを言おうというのは思いつかないというところが、ちょっと社会性がなくて、一本調子で生きているということなんだと思うんですね。
で、普段でも、作業をやるときでもそうですけど、その作業をちゃんとやるのはもちろんだけど、なにか心にゆとりを持って、ちょっとみんなをリラックスさせるためにちょっと冗談を言う、笑わせることを言うとかも、必要なときがあります。
あるいは自分でも、同じ作業をやるのでも、試しにちょっと、無駄な作業かもしれないけど遊びで、新しい、トライアルというか、何かちょっとやってみる、みたいなね。そういう遊び心を入れながら作業をする、そういうことが大事なんじゃないのかなというふうに思うんです。
で、面接試験を罰ゲームでやりましたけど、わりかしみんな、普通にまっとうに答えちゃってるなあ、というふうに思いましたね。ユーモアが足りない感じ。
まっとうにちゃんとした答えって逆に面白くないですよね。
「あなたに、1日、世界中どこでも日本中どこでも、行っていい日ができたとしたら」という質問がありました。
「1日だけ、好きなところへ行って好きなことをやって、良いと言われたら、あなたはどこで何をしますか?」
この質問は、難しいですよ。
何かかっこいいことを答えたいなとか、自分の真面目さ、自分の中身のあるところが見える、なんか浮き立つような答えをしたいなって思うでしょうけど、そこで、
「北極に行ってペンギンと遊びたい」
って咄嗟に言った、さくらの答えは、秀逸ですよね。ペンギンと遊んで何になるんだよ、この寒い中でなんで北極に行くんだよ、って思うんですけど、実は何でも良いわけで、楽しい答えだった。こういうのって、何かためになるような答えってありますかね。
もし、中学生か、高校生だったら、
「いや、私はなのはなのリビングで、一日勉強しているのが一番、楽しいです」
とか、そういうの答えても面白いですよね。なんか他にないのかよって、笑えますね。
あるいは、
「なのはなの白菜畑に行って、一日収穫をしています」
とかね。それでも良いわけですよ。え? いつもと同じことやるのっていう意外性。うん。でも、難しいですよ、本当にね。
普段から、自分にもし最高のチャンスがあったらとか、自分にとって最高に楽しいことや、最高に力を発揮できることは何か、って考えるのはすごく面白いことだし、大事なことなのかないうこともあって、この設問も考えました。
で、ウィンターコンサートで、神様ポストを作りましたよね。
何か願い事を入れてください、神様へのお願いごと、ってやりましたが、みんなだったら何を入れますか。
神様が叶えてくれるんですから、何でも叶うんです。
じゃあ、とすぐに手紙を書ける人はあんまりいないんじゃないかと思うんですよね。
あんまり、いない。
そういう神頼みじゃなくて、同じ神頼みではあるんだけど、何か自分と直接つながりがあるような願いを持って、祈りを持って生きるということを、普段からしていたら、すっとそれが出てくるわけですよね。
ちょっと考えてみてよ。
普段から、そういう願いを持って生きていたら、普段の生活の行動の一つひとつが、自分の将来に、未来につながるような行動になっていってるはずなのね。自然に自分の願いに一つひとつ自分で近づけていく。何の願いもない人は何の願いもない、その日暮らしになってしまう、将来に結びつかない行動になってしまう。普段からプランを持つことが大事なんです。漠然としていてもいいから夢を持つということがすごく大事なんですね。
今回のコンサートでもありましたよね。理想を持ち、理想を描く力。それから、その理想に近づくために一歩行動に踏み出す勇気を持つ力。それを実現するために知恵を使う力。それが大事です。
つまり夢がない、理想がないことには始まらないんですよね。普段から理想を持っておく、夢を持っておく。なおかつ、いざ何か聞かれたら、ゆとりを持ったユーモアでかわすことができる。そういうことが社会性なんじゃないかなという感じが僕はしますよね。
で、ただ、民族の違いというのを感じますね。
前、よくイギリス人に来てもらってイギリス人と話す機会が、年4回くらいずっとあったんですけどね。ハートピーの訓練のために、イギリス人のセラピストを呼んでいましたね。
もう何年も前ですけど、日本と韓国でワールドカップか何かを開催したことがありました。そしたら美作に、スロヴェニアの国の人達が、練習の合宿で来て、泊まっていたんですね。それで、たまたまそこを通りかかって、そのイギリス人が、「何だこの人達は」って言うから、「ワールドカップの、スロヴェニアという国の人達なんですよ」と言って――スロヴェニアって、マイナーだよね、国としてはね。だから、
「スロヴェニアって僕はどこにあるかよくわからない、マイナーな国だけどね」
って僕が言ったら、そのイギリス人が、
「ああ、日本もどこにあるかわからないくらいマイナーな国だよな」
って。言われて、思わず笑ってしまいましたけどね。本当にイギリス人は、ユーモアがあるなって思ってね。
その時ちょっと、スロヴェニアをバカにしちゃいけないなと反省しましたけどね。
その時、もし真顔でそのイギリス人が、「お前、スロヴェニアだって1つの国だ、軽蔑しちゃいかんよ」とか言ってきたら角が立つけど、日本と同じくらいマイナーかもな、って言われたらぎゃふんとなって、笑えるよね。
この質問の人も、真正面からだけ考えないでユーモアを身につけるといいでしょう。それが幅を持って考えることにつながります。違う道、違う答え、第2、第3の答えというのを常に考えてる、それが役に立たない答えであっても、第2第3のユーモアを考えることで、それが自分の幅になり、社会性になる。そういうふうに考えたらどうでしょうか。
(2019年1月11日掲載)
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