消灯を過ぎてでも楽器を練習したい、本を読みたい、と思うのは気持ちが行き過ぎていますか?
【答え】
楽器練習したい、本を読みたい、勉強したいと、やりたいことがあるのはすごくいいことですよ。だけど消灯には寝なきゃいけないし、ある程度セーブするというのはすごく大事な気がしますね。
考えてみると、人って、欲との戦いのような気がします、いつも。欲。欲。
いろんな欲があります。いろんな欲がありますね。その欲に負けると、人生を踏み外すんですよ。これは本当の話ですよ。
で、その欲ですが、幼い欲と、大人の欲との2つがあります。
この、楽器を練習したいとか本を読みたい、勉強したいというのは、これは悪くない欲ですよ。
見当違いの欲、見当違いの使命感、見当違いの危機感、見当違いの、っていうのは困りますが、そうでなければ持っていい欲だとは思いますよ。
「楽器を練習したい」というのは、「自分の知らない境地、もっと上手な境地に行きたい」とか、「本を読みたい」というのは「自分の知らない世界を知りたい」という、そういう欲なんですよね。
で、誰でもそういう欲というのはあると思うでしょうけど、それが適度な場合と、行き過ぎてる場合というのがあるんです。
みんなに共通して、ある大きな課題というのがあるんですね。
「摂食障害から回復して、自分の力を試してみたい」という、これも欲なんですよね。
……少し話しがそれますが、アメリカインディアンの話。
アメリカインディアンの娘がある谷で生まれて。その谷で育って、その谷で嫁いで、その谷で子供を育てて、とうとう死ぬまで、年老いて死ぬまで、その谷を一度も出なかった、という話があるんですけどね。
その人は、いい人生だった、と。「私はこの谷で生まれてこの谷で一生を終えて死んでいく、こんな幸せな人生はない」って言って死んでいく。
これすごく綺麗だなあと思うんですよ。
この谷しか知らないで死んでいく。でもそれはすごく綺麗だなという感じがします。
みんなが落とし物をする、なくしものをする。
例えば山小屋と古吉野を行ったり来たりしている頃、「あ、忘れ物した。なくしものをした」って探しますよね。なかなかないな、と。
さあ、その探しものはここにあるでしょうか、山小屋にあるでしょうか。どっちにあると思いますか。
古吉野で探してると、山小屋にありそうな気がするんですよ。ここにはない気がする。
で、山小屋に行って探すんですね。ところが山小屋に行って探し始めた途端に、あ、ここにはないな、古吉野だ、っていう感じがするんです。
で、こっちに来ると山小屋だなっていうふうに思うんですね。
そういう経験ないですか。探し物してるとき、今、自分が探してるところにはないような気がする。
人はそういうふうに感じてしまうものなんです。
今、目の前にはない気がする。
さっきの話しの続きなんですけどね。
みんなに共通する話っていうのは、
「治ったら自分の力を試してみたい、独り立ちして生活してみたい、はやく自立してみたい」っていうのが、共通の思いと言えば思いなんですけど。
「自分は自立する力は、まだ無いんじゃないですか。自分はちょっと、とてもまだやれません」
って言う人は、まあやれるかなと思うんです。自立させてもね。
「お父さん、私は時間がもったいないので早く自立させてください」
と言う人ほど、未完成だったりするんです。
未完成な人ほど、実力に見合わない願望、欲求が多い。不思議なことに。
で、これ不思議といえば不思議なんですけど、不思議じゃないといえば不思議じゃないんですね。
間違った願望、間違った夢を見るんですよね。
間違った認識をしてるんです、自分の力の認識をね。間違った人生の捉え方をしてるんですよ。
「目の前には自分の欲しいものはない」って決めつけてるんですよね。次のところが見たくて見たくてしょうがない。早く自分で自立して新しい世界に行ってみたい。
行ってみたら、何もないんですよ、そこには。
目新しい、最初の一瞬だけはありますよ。まあ1か月もたないでしょうね、新鮮な感じは、1か月ももたない。
あとは、「なんで?」っていう気持ちばかりになる。自分は運が悪い――仕事に恵まれなかった、会社に恵まれなかった、同僚に恵まれなかった、上司に恵まれない、そういう不満が出る。
欲っていうのは、時として、そういうふうに、目をくらませるものですから。自分の力を正しく見させない。
で、間違った方向の選択をするんですね。これがほとんどです。
逆に、「自分には力がないんじゃないか」と言って自分をちゃんと認識してる人は、下手な欲をかきませんから、仕事でも失敗しないんですね。たとえ仕事に就いても、地道にやり通すし、意外に「ああ自分ってやれるんじゃないか」と思う。周りからも、高い評価を得られる。
全然関係ないんですけど似たようなことで、ある自動車雑誌が、20人くらいのフェラーリオーナーを訪ねたことがあるんです。
フェラーリって知ってます? 2千万、3千万の高級車です。まあお金持ちですよね、持ってる人は。
20人くらい。その人がどういうふうなカーライフを送っているか、試しに写真を撮りに行った。
驚いたんです。僕はその記事を読んでびっくりしました。
過半数の人が、フェラーリに乗ってないんです。
それどころかそのうち4,5台はカビだらけでぼろぼろになっていました。
普段使わない駐車場の奥まったところに置いて、置きっぱなしにしていて、ここ半年そう言えば見ていないなと思ったら、カビだらけだった、とか。
「ここ1年見てません」「乗ってないんです」
フェラーリを乗るときは、“フェラーリを買ったら素晴らしいカーライフが待っている”、そう思って夢見て、もしかして独身だったら、“フェラーリに乗ったらモテモテだろう”くらい思うんですね。
ところが現実世界で乗っていたら、日常的には乗りにくいわけですよね。目立つし、乗りにくいし、ドライブにもあまり適していないし。まあまあフェラーリを乗るのに適した場所は少ししか無いですね。
でもフェラーリを買ったら自分の生活がバラ色になると思って買っちゃう。現実には全然乗らない。普段はスバルの何かに乗ってる。
フェラーリを乗り出す機会がない。それが半分以上というんです。
私の昔の知り合いにもいるんだけど、建築屋さんで「フェラーリ買ったんだ」って言って、「お母ちゃん見せてあげようか」と言って。で、ガレージに行って、蓋してあったの見せてくれて、それで乗ってる気配がない。来る人、来る人に見せているだけ。
乗っていく場所がなかったり、乗る機会がなかったりする。
自分の欲だとかっていうのはね、ともするとそういうことなんですよね。
それが他のことに向くと、人生を踏み外すまであるんです。
その間違った欲と、間違ったイメージを持って、自分の将来を描いたり、今の自分を決めたりすると人生を間違います。
考えてみたら毎日、大きな欲と中くらいの欲と小さい欲とがあるわけですよ。
言ってみたら、その欲をどう処理するかで、その人それぞれの人生が決まってくる、その人それぞれの、その日の行動が決まってくると言っても大げさではないんですね。
恋愛だって、言ってみたら、欲ですよね。
相手の異性に求める。何をどのくらいどう求めるかという欲の深さ、欲の大きさ、あるいは期待の大きさと言ったらいいんでしょうかね。
それと、現実。自分の実力とすりあわせて合うかどうかというところがあるわけですよ。だから、社会的に評価の高い素晴らしい男性がいたとしても、自分にその人に見合う実力が伴っていなければ、バランスが取れなくて、幸せなことにはならない。
そういうこともあるというふうに思うんですよね。
恋愛の欲も、自分に応じたものがある。
逆に言うと、恋愛をして人生終わる人と、恋愛しないまま終わる人では、恋愛しないまま人生終わる人が圧倒的に多いんじゃないですかね。
上手な恋愛を上手にするのは極めて難しい。誰でもできると思ってると、「私、恋愛してないと恥ずかしいかな」と思って、どうなのかという男と付き合って「私恋愛してます」と、誰かに言いたがる。それはやけどしますよ。縁がなかったなら、恋愛なんてしなくていいですよ、ということですよね。
話が横道にそれていますが、本を読みたいとか、楽器を練習したい、その欲求を持つことは非常にいいことだけど、それを正しく適度に持つというとき、時間を取りたくて、お風呂に4日も5日も1週間も10日も1か月も入らない、下手したら半年入っていなくてみんなが私を避けて通っていく、そんなことになったら問題なんじゃないか。
1日おきくらいにはお風呂に入って欲しいし、毎日、入ってほしいのでね。それも合わせての人生ですよと。
たまに、物凄い面白い本のピークで、「ああ、ここで……!」という――そうそう、僕は電車に乗ってよく本を読んでいたとき、ピーク、泣き所が来るというのがあるじゃない。泣き所が電車の中、これ最悪ですよね。電車のなかでぼろぼろ泣いていたらおかしいし。
そういうときは、(まずいなこれ、くるぞ)と思ったら読むのやめちゃいますよね。
それで、誰に見られても笑われない、自分の部屋に入ってからじっくり読むとかね。
いい本になると最後まで読みたくて風呂をパスして読み切っちゃおうというのもあるかもしれないけど、逆に本当にいい本になると、残りページ数が少なくなるともったいなくて、(ああ……やっぱり読むのやめちゃおう)みたいな。
これで最後まで行っちゃったらもう読み終わっちゃうんだ、みたいなね。
僕は『赤と黒』がそうでしたね。バーっと読んでいて、最後の20分の1くらい読むのに1か月位かけてしまいました。終わりたくなくてね。
それから『吉里吉里人』なんかも読み終わりたくない本の最高峰ですよね。24時間であれは読み切るんですけど。そういうのもあります。
そういうときは風呂に行っちゃえばいいんでしょうね。ちょっと読んで、惜しいけど、お風呂行っちゃおう、と。
いろんな楽しみ方がありますけど、少なくとも時間を確保するため、お風呂には入りましょう、欲望も適度に持ちましょうというね。
願望も欲望もね。
みんなもいろんな欲望あるでしょうけどね。
だけど、どうでしょう、プランが作れない、意欲がわかないというより、読みたい本があるとか、練習したい曲があるだとか、こういうプランがあるというのは何よりかにより素晴らしいことだと思いますよ。意欲がないですっていうよりは遥かに素晴らしい状態なのでね、こういう素晴らしい状態は、少ししばらくキープしてほしいなと思います。
で、若いときというのは、いろんな、こういうことに対して、本に対しても欲求のすごく強いときで、本を読んでもすごくみずみずしく吸収できる時期なんだろうと思うんですね。こういう時期にいかにたくさんいい本を読むかで、その人の心の深さ、幅が決まってくるんじゃないか、そう思いますので、頑張っていい本を読んでください。
なんか回りくどい、長い話をしましたが、消灯後までは読むのやめましょうよって、ただそれを言いたいだけでした。わかってもらえたかな。
(2019年2月15日掲載)
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