質問
夢をもつことと、自信をもつことの違いについて質問です。
以前、お父さんが「脈絡のない夢をもつのは間違いで、現状を考慮する必要がある」という内容のお話をして下さいました。
一方で、「自分はできる」と夢を大きく、自信を持つことも、つい最近お話されていました。
2つのお話はどのようにつながるのでしょうか?
相反するような気もして、どう理解してよいかわからないでいます。
答え
うん、矛盾していますよね。
なんていうかな、どう話したら分かるのかな。
脈絡のない夢を持ってはいけない。
脈絡のない夢を持つ事っていうのは、普通の人には実は難しいんじゃないかなと思います。
脈絡のない夢を持つっていうのは、詐欺みたいなものです。
つまり、自分で自分をだますみたいなものです。
前、例えで、1つ例を出したのが、僕が知っている20代の男の子の話で、僕は役者になるのが夢ですよ、と言っていました。
それで、「やっぱり役者といったら、ハリウッドだと思う。やっぱりアメリカのハリウッドに行かないと本当じゃない」と熱弁を振るう。さもさも、すごく大きな夢だなと。
ところが、現実的にはナイトクラブでバーテンダーの仕事をしていて、ハリウッドに繋がる事をやっていない。
その子の中で、ハリウッドに渡って、そこで俳優修行をして、メジャーの俳優になるという事は、まさに夢なんだよね。
ところが夢と現実とが繋がっていなくて、繋げるような努力もしていないんだよね。
そういう夢を、熱心に語ったり、持ったりするのは、それは詐欺なんだよね。
詐欺師って言うのは、根拠のないことを言う、根拠のない夢。
自分がハリウッドに行って英語を話せるようにと、英語を勉強しているなら別だよ。
そういうハリウッドスターになりたいという夢から出発して、さあ、今からでも英語を勉強しようとか、そういう現実に繋がるならいい。けれど、日常生活は勉強のベの字もない。
ただの空想、夢想だけ。その割に、結構リアルに語る。
それは、なんて言うのかな、そうやって自分を騙してはダメなんです。
それは間違った夢の持ち方で、それは、よくよく考えてみると、評論なんだよね。
評論とか理屈が先走って、「こうあるべきで、こうなんだよね」って、自分の人生なのに、自分の評論家になってはダメという事なんです。
自分で自分を評論したり、理屈を言ったり、そういう事と、自分で大きな夢を持って、自分はできるっていう自信を持って、こつこつと今を歩いていくっていうのは、全然違う事なのです。似て非なるものなんですよ。
だから、自分が評論家になって、これはこうするべきなんじゃないかとか、そもそもやっぱり俳優といったら、ハリウッドじゃないと一流と言えない、そういう辺りで、これは眉唾だな、偽物だな、一般論に毒されているだけで、一般的な成功の形を、自分がなぞっているだけで、自分のやりたい事、という訳ではないんですね。
自分は、ハリウッドじゃなくてはやれない役柄があって、自分が作りたい映画がこれだからハリウッドに行かないとダメですと言うんじゃなくて、ただの評論、どこかで聞きかじった一般論を振り回すだけではいけない。
自分の人生っていうのは、自分のオリジナルな発想でしか、語っちゃいけないんです。オリジナルな発見を含んだような努力、あるいは工夫でないと、人生は作れないんです。一般論では作れない。
今、よく言われる。いいサッカー選手かどうかは、どんなアイデアがあるか、新しいアイデアに満ちたプレーかどうか、というところが見所なんです。
動きが良いか悪いかじゃなくて、相手の意表、観客の意表をつく、そう言うプランを瞬間的に作って、その通りに動いて点数を取る、そのプランが観客を感動させる。
運動神経じゃなくて、プランなんです。
相手の選手を欺いて、複数の選手をだまして、そういう動きを瞬時にして、スペースを作って、そこにボールを出して、点数に繋げる、というプランなんです。
僕は、自分の子ども、長男が、難しい大学を受からならなければならないとなったとき、言いました。
「ここからは普通に勉強、努力してもダメだろうね。自分だけのサクセスストーリーを作らないと受からない、誰かのサクセスストーリーを追っかけていたらダメだと思う。誰かのを真似していたら受からないよ」
誰もやった事がないような、発見を含むような勉強の仕方を自分で作って、それを実現、実行できた時に初めて目標に届くよ、と。
あとでそれを書いたら、えっ!? て人が言うようなサクセスストーリーを受験勉強をやるなかで作らないと、合格できないと言った。
大学受験といえば、多くの人が経験することですが、みな同じように受けるように見えても、難しいといわれている難関校、難関学部は、一般論を追いかけている人には受からないんです。
一般論でつまらない夢を語っても、絶対に届かない、というのと同じです。
自分は誰も経験した事がないサクセスストーリーを描いて実行できる、そう言うプランを立てる事が大事なんです。
借り物の夢はダメ。わかるかな。
だから、僕がいった事は矛盾しているようで、矛盾していない。
誰が成功してもいい。
でも、自分が成功するときは、誰かの後追いじゃ、絶対に成功しない。
ただ、普通の人生を生きる時は、そんな事はない。どうにでも生きていいのですが、いい人生を生きる時には、必ずオリジナルなストーリーが必要だということなんです。
ただ、普通の人でも、ほんとに目標を持った人生を生きる時には、プランが必要だと思います。何をやるにも、プランが必要。
それが借り物ばかりでやってしまう人、一般論ばかりでやってしまう人がいる。
この地域で桃を栽培している青木さんは、オリジナルで生きたい人だと思う。
桃作りでも人がやっていない事をやろうとする。青木さんは、そういう志向が強い。
そういう気持ちが、石生地区を桃の生産地へと育てたと思います。
オリジナルでない、自分に繋がらない夢を、言ったところでダメ。
言ってみたら、僕の実績って言うのは、やっぱり今のなのはなファミリーだって誰かの真似じゃない。
お母さんのオリジナルは、なっちゃんの訓練だね。
ハートピーで推奨している訓練ボランティアの集め方は、お母さんが作ったノウハウを一般化しただけですからね。
今、美作市のボランティア連絡協議会は、お母さんが美作で最初にボランティアグループを作って、ボランティアの概念を広めていって、その人たちが、それぞれ新しくボランティアグループを作ってできている団体です。お母さんがいたからこそ、美作にボランティアが根付いたということを、初期の人たちはみんな知っています。
そう言うオリジナルの夢、オリジナルのものを作っていけるという夢、を持ちなさいということですよね。
だから、日記でも、評論を書いちゃう人がいる。夢でも評論家になる人がいる。
どこかの寄せ集めを語っていて、オリジナルじゃない人がいる。
オリジナルの夢を持ちなさい。漠然としていても、何か、オリジナルじゃないとダメなんじゃないかな。
やっぱりその辺にいる人でも、ちょっといい人生を送っている人、成功している人に語らせたら、みんなオリジナルです。
私の人生で語るものがない、っていう人は、オリジナルなことを何もしていない人。
ここなのはなファミリーには、税理士を目指している人が3人いる。
ここで受かるとしても、やっぱり村田先生から勉強のやり方聞いたり、僕がアドバイスしたりしても、結局のところ、一人ひとりの集中の仕方は全部違うし、勉強のやり方や、自分なりの記憶の方法を発見して、自分でオリジナルの成功ノウハウを作っていくという気持ちじゃないと、まず受からないと思います。
自分の体験記を書いてよ、と本にまとめたら、3人が全部違う体験になると思います。
それくらい、同じ場所にいても、個人、個人の体験は違ってきます。
それはあたかも、なのはなファミリーの回復のようなのです。
みんな1人ひとり、ここに来るまでの症状も生活もまるで違います。
なのはなファミリーでは同じような環境で、同じような作業、同じような活動をしたのに、おそらく全員が違う回復ストーリーになると思いますし、同じ人は、一人もいない。
中身の濃い人もいる。薄い人もいる。三段跳びで伸びる人もいれば、少しずつ伸びる人もいる。
畑作業を、農家にすぐに嫁に行けるぐらい覚える人がいて、自分の事として懸命にやる人もいれば、そこそこ適当に済ませる人もいる。
楽器もダンスも全部そう。
面白がって熱心にやる人もいれば、ちょっと触っておしまいの人もいる。
これからの人生も、全部そうなります。
死ぬ時に自伝を書く訳じゃないけれど、ただ、自伝を書いたら、人それぞれ全く違うものになるけれど、面白いものもあれば、面白くないものもあるでしょう。
自分のスタンス、取り組みは、全部自分に返ってきます。
一生懸命やって、アイデアを使った人は、プラスも全部、自分に返ってきます。
自分がいかに濃い人生を送るか、と一生懸命やっていて、損したという事は絶対にないです。手を抜いた人は、しっぺ返しも来るでしょう。
そういうことなので、いくら夢を思っていても、何もやらなければ、どんどん後退していく。前に進めば、全部、努力が積み上がって自分に返ってくる。
多分、みんなが土作りしているんだ。
堆肥作って、それを畑に入れて、今、なのはなで土作りしているんだよね。
外での土作りは、ちょっとできないんだ、社会がいい環境じゃないからね。
なのはなファミリーはちょうど、土とかぼかしの役割に変えて考えたらいい。いい土ができて、もっともっと年を取っていったら、その土作りがうまくできていたかどうか、よくわかるでしょう。
そのために今、知識を一杯つけるといい。お父さんが、本をたくさん読めと言っているでしょう。
知識を頭に入れて、いっぱい知恵をつけて、やっぱり母さんくらいの歳になった時に、違いが出る。
今、みんなはいい場所にいるよって、何回も言っているのだけれど、今、なのはなファミリーで、色んな事を吸収して、色んな作業をしたり、経験をして、土作りをしたらいいと思うんだよね。
そうしたら、臨機応変に対応する力も出てくるだろうし、場所と時間が違ったら答えは違ってくるから、何通りもの考えを出すことができるようになると思うよ。
柔らかな頭にして、何通りも知識を入れて、時代に対応して、何でもできるようになっておくのは強みだと思う。
その強みが人を作っていくし、優しさ、強さを作っていくと思う。時代は流れていくけれども、よくも悪くも、それに臨機応変に対応できる、柔らかさ、強さをつけていく。そのためには、なのはなファミリーの作業はうってつけだとお母さんは思います。
お母さんの言う通り、外で子どもを育てている人もいます。
今、野菜で言ってみたら、みんなは本当に土作りで、今、どれだけいい肥やしを作って、いい根っこを生やせるかですね。
卒業生がみんな、なのはなでの暮らしを基本に、なのはなでのことを思いながらやっていますと、言っているよね。
だから、ここで濃く、本当にいい土作りができた人は、自立して仕事をするようになってから色んなトラブルがあっても、それを乗り越えていけるし、なのはなでの事を思い出しながら乗り越える、新しい展開のときも、それを基本に乗り越える。
お母さん、素朴に土作りと言ったけれど、ここでは本当に音楽とか、表現する場がたくさんあるでしょう。納豆作りたかったり、さきが、芋けんぴを作ってくれたり、販売とか、経営とか、もしもそういう方面に長けようと思ったら、ここにはいくらでも材料があると思う。
教えてくれた事を、自分の中に入れてオリジナル化するというか。言った事をそのままだったら、自分の中に残らないんだ。もっと進化させてオリジナル化するっていうか。
言われた事をするんじゃなくて、もっとよりよくするにはって考えて、みんなに還元する。そういう事をここで覚えておくと、やっぱり大人になったとき、母親になったとき、会社に出て、30歳、40歳、やがてお母さんくらいになった時に、全然違う人生を歩むだろうと、お父さんが言っている。
ここで、ここで教えて貰った事を自分化して、社会に還元する作業ができたら、どこへ行っても、より良い人生が生きられます。
1つの事じゃなくて、色んな事で自分を応援してくれる人がいっぱいいるので、楽だろうなとお母さんは思うよ。
お母さんは、障害のある菜都を産んでいたからこそ、いろいろな人に出会うことができた。でも、しばらくの間は、一人ぼっちで社会と戦わないといけなかったから、それは大変だった。そういうのって、やっぱりみんなと手をつないでっていうか、もっと力を大きくしなければならないと思った。だけど、近くにいる人とか遠くにいる人とかは関係なくて、理解し合えていたら、距離は関係なく応援してもらえるとわかった。
そういう理解の深さが、お互いに大きな優しさになる、大きな喜びになると思うんだ。
だから、お父さんとお母さんの願いだよね、世間に潰されないように、もっとオリジナル化して、みんなでいい方向に向かう、ということが。
自分自身もそうだし、周りの人も巻き込んで、社会も変えていく。
そんな大きい事というのではなくて、これって自分の夢を持つのと一緒の事なんだ。社会が変わっていかないと自分自身も潰されるから、一人ひとりの心持ちが大事なの。
前向きで、産まれたからには前向きに生きていくというか、目の前の事に一生懸命生きていくっていうか、ね。
よくみんなの中には、お父さんとお母さんの顔色を気にしちゃうという人がいるけれど、僕はかつてジャーナリストが本業だったとき、いつも未来の僕の読者を意識した。
今の目の前にいる人に何を書くかじゃなくて、僕が書くとしたら、もっと深いもの、もっと説得力のあるもの、もっと面白いものじゃないと、かっこう悪いな、もうちょっと頑張らないと未来の読者は納得してくれないんじゃないか、もうちょっと波乱がないと読み応えがないと思うと、もっと頑張れたのです。
いろいろ経験しても、書かなかったりすることがほとんどだけれど、そうやって、自分はこの事を書く事になるだろうと思うことが、目の前の事を大事にさせた、自分にね。
この経験は、きっと後で書く事になるんだから、精一杯やらないといけない。
こんな力を抜いていたり、薄いんじゃドラマにならない。ドラマになるまで頑張ろうと、自分で自分のドラマを未来の読者に向けて作る、そういう人生にしようとずっと思い続けていました。10代半ばで物書きになろうと思ったときからね。
自分がやる事はみんな書くことになる。読者がいる。悪い事もいい事もした。いいことも悪い事も、全部後で書いて、それは天下にさらされる事になると思っていた。自分で自分を、ものを書く事によって、オープンになると思ったので、一人を慎むどころか、全てを自分の手でさらす事になると思って生きてきた。
自分が誰かを参考にするんじゃなくて、自分が自分の参考になるように生きようと思ったのが、究極に自分のやる気を持続させた源泉だと思う。
どんなに躓いても、これで浮かび上がったら、ドラマになると思ったから、躓いたことを苦にしなかった。これで面白いドラマが作れると発奮材料にしてきた。
僕も、みんなと同じで、まだまだ自分の大きな夢を実現する途中です。
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