なのはなにはいま小さい子たちが来ていますが、私も少しずつ関わらせてもらう中で感じたことで、自分が親からどう育てられたのかということを改めて感じました。
自分は今まで、感情的に怒られることはあっても、しつけをされたことがなかったといってもいいくらいでした。落ちたものを拾って食べても、何も言われませんでした。5歳くらいのとき、習い事先ですっぽんぽんになっても何も言われなかったし、それが逆に優しいのかと思ってたんですけど、逆に理由がわからないままものすごく怒られたこともありました。
4歳くらいのある夜中に、自分が起きてしまったとき、母親がすごく激怒して、お前は私を苦しめるために生まれてきたんか、お前なんか殺したいわって言われて、そういうふうに感情的に怒られるのは母親の気まぐれだったなと、いまでは思うことができますが、それで自分は人格を作り損ねてしまったと思います。
人が何でいつ怒り出すかわからないので、意味がなくても、その人の気まぐれですごく大変なことになってしまうんじゃないか、すごく怒られるんじゃないか、っていう不安から人に対する怖さが来ていると思っています。合っているでしょうか。
【お父さんの答え】
しつけって、すごく面白い文字だよね。漢字で書くと、身に美しいって書いて躾。美しく身を保つのが躾なんだよね。だから、どこ行っても美しく自分自身を保てるように教えるのが躾です。それは教えてもらわないと、何が美しいのかがわからない。
ただ、親が子に躾を教えるといっても、意外に難しいのが親子の距離感だと思います。
どうしても、母は自分が産んだ子だと思うと、どんなに近すぎる距離でも構わないと思いがちです。
しかし、人と人というのは、たとえ親子であってもちゃんと境界線があって、その境界線は踏み越えるべきではないです。しかし、質問者の親御さんの場合は、境界線が今でも曖昧だなと感じますね。心配となると、いつでもどこへでも飛んで行きますというスタンスで、ちょっと行き過ぎている印象があります。
何かコトがあれば、娘のためならなりふり構わず全精力を上げて、自分の生活の全てを投げ打って、狂ったように走り回ります、そういうスタンスは一見、親として素晴らしい感じがするけれども、いきなり自分の生活の全てを投げ打つことができる、というのは自分を生きていないというか、自分と娘を一体化させすぎているということだと思います。
ある程度、親は親、子供は子供、という境界線があるべきだと思います。
境界線が引けてない人は、心配するときは自分のことのように心配するけど、叱るときも遠慮なく踏み込んで、思いのままに叱りつけるので、子供としてはダメージが大きくなります。
つまり子供は親の喜怒哀楽の感情を二重写しで体験させられるのですが、まだ感情が未完成なだけに後々まで引きずるような傷になってしまうことがあるのです。
質問者はまさにこういうケースで、親は無邪気に感情のままに振る舞っているわけですが、踏み込まれてそれをされた子のほうは、踏み込まれる怖さが残ってしまい、成長してからもずっと自分に近づいてくる人に恐怖を感じるようになったのです。
親と子といえども、やはり人と人の境界線は尊重すべきで、踏み込むことは許されないと思います。きちんとした人は、踏み込まないし、踏み込ませないと思います。そういうことを意識したら、少し楽になるかもしれないですね。
(2023年7月21日 掲載)
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