私は球技についてちょっと質問があります。
利他心の球技と、利他心じゃない球技の区別が混乱してわからなくなります。
例えば個人プレーの卓球は、私は利他心のゲームに入れてます。だけどテニスは利他心に入っていないです。
でも、感覚でなんとなくで分けていて、これっていう決定的な意味もないし、自分でも深く理解していると思っていません。
お父さんの中では、こういった球技でも利他心とそうじゃないスポーツって分けている部分はあると思うんですけど、どういうポイントで分けているのか、お伺いしたいです。
利他心で戦う球技って、あんまりないと僕は思っています。
相手に利益をもたらすと、自分が負けになるので、ね。
ただいま言った利他心が卓球にあるのではないか、という指摘は、若干、的外れでもないです。
というのは、つい最近まで卓球ではどんな一流選手でも、ラブゲームは勝たないという暗黙のルールがあったんです。
つまり今は1ゲームに11点を取ったら勝つんですけど、絶対に11対0にしなかったんです。ゲームをしていたら10対0になってしまった。もう1点、自分が取ったら11対0で勝ってしまう。そうなったら、勝っているほうの人は、わざと空振りして相手に1点やって、それから11点取って11対1で勝つ。
こんなふうにラブゲームにしないっていうのが、暗黙の了解でした。そういう意味では、相手を0点にして恥をかかせない、という利他心があるゲームでした。
少し前まではそうだったんだけど、この頃は、そうでもなくなったかなとは思います。誰かがラブゲームをしたら、そんなら私もというふうになっているとは思います。
国際大会でもラブゲームが最近はあります。
本当は、利他心のゲームはほぼない……、ないですね、やっぱり。
そうそう。
唯一、スポーツでね、利他心のスポーツが、なのはなファミリーにはあるんです。
お正月にやっている羽根つきがそれなんです。
なのはなファミリーでやっている羽根つきは、羽根を落とさずにたくさん続いたチームが勝ちということにしています。だから、相手が羽根を打ち返しやすいように打つんです。
相手が取りやすいように、失敗しないようにと、お互いに利他心で打ち合って、たくさん撞いたペアが勝つ。それはなのはなファミリーの正月のゲームですね。
それから、色々なスポーツがありますが、ラグビーは利他心というか、例外的にフェアなスポーツだと思います。
ラグビーは、文字通りの肉弾戦で、かなり激しいスポーツです。
本当に全力でタックルして体当たりするので、これほど全力をぶつけ合うのはちょっとほかにないくらいです。
ところが、これだけぶつかっていながら、審判がファールの笛を吹いたら、サッと審判の判断に従ってスクラムを組む。
例えば、野球では、アンパイアがアウトとか、セーフとか判断したあと、監督や選手が文句を言ったりする場面があります。「ちょっと、それ間違った判定だよ」とか、「それ違うんじゃないの」って抗議する人がいます。
一応、ルールでは審判は選手の抗議を受け付けない、ということにはなっているけれども、抗議をする場面があったりする。
それとか、デッドボールをわざとぶつけたとか、ぶつけたのに謝らないとかで、選手と選手がもみ合いになったりすることがあります。
サッカーでも、審判に抗議して、レッドカードを出されたりする場面を見ることがあります。
しかし、ラグビーに限っていうと、古今東西、どこの国のラグビーでも国際試合でも、ラグビーの選手が審判に抗議したり、不服そうな態度をとることは絶対にない。また、選手同士が喧嘩になったり、もみ合いになったりすることも絶対にない。
例え、審判が間違って笛を吹いても、サッと子供のような素直さで審判の笛に従って次の動作に入る。これがラグビーというゲームの凄さだと思います。
最も激しいスポーツで、最も屈強な筋肉をまとった大男たちが、一言の文句もなく審判に従い、粛々とゲームを進めていく。そこがラグビーの素晴らしさだと思います。
ラグビー選手というのは、利他心の塊かもしれませんね。
(2022年6月8日掲載)
Copyright © なのはなファミリー 2025 | WordPress Theme by MH Themes