第74回「作業に対して気持ちの落差が激しい」
私は、作業に対しての、気持ちの落差が激しいと思います。
それで、一緒に作業をしている人の気持ちを落とすことが多いです。
それは、作業でも“自分”をやっているからですか。どんなことでも、ちゃんと動くと決めたら、優しくなれますか。人の為というか、当たり前の、人を立てる心が低いのは、はっきり自覚して、もっと謙虚になります。
ちょっと、あの……質問としては、「気持ちの落差が激しくて、一緒に作業をしている人の気持ちを落とすけれども、それは作業でも自分をやっているからですか」ということですけれど、自分をやっているからというのとはちょっと違うのかなと思いますね。
変な話、狭いところで一生懸命になり過ぎているんじゃないかな、という気がするんですね。
一生懸命になるのはいいことなんですよ。だけど、それが視野の狭いところで行き過ぎているんじゃないかという気がするんですね。
なんていうんだろうな……。
話が飛ぶようですけど、僕は見城徹さんという人が好きなんですけど、一生懸命に仕事をする人の最右翼なんじゃないかっていう感じがするんです。
で、この人は、角川書店の編集者だった人で、僕は村上龍のレポートをまとめる仕事があって、村上龍のことをよく知る編集者として、見城徹さんに会って取材したんですね。
それで、話しを聞いたときに、まあ色んな話をしてくれるだけじゃなくてですね、僕が聞いた質問したことに対しての資料を、次々に送ってくるんです。
何かのときには、「いいのがあった。FAX送るから」といって、午前3時ごろFAX送ってきたこともあります。
本当に昼夜を問わず仕事をしている。夜中でも構わない、聞きたいことがあったら、何時でもいいから電話をくれ、って言うんです。すごい人だなと思いました。こういう編集者に出会ったら、作家も惚れ込むと思いました。
そしたらその後、幻冬舎という会社を起こして、次々にベストセラーを出して、今や幻冬舎は大手出版社になっちゃいました。
で、この人がどのくらい一生懸命かと言うとね。
まだ若かったころに上司から、石原慎太郎のところに行って、小説を書いてもらってこい、といわれたんですよね、まだ25くらいの若いときに。
けれども、石原慎太郎の本は売れますからどこの出版社も原稿が欲しい、出版社同士の競争が激しいから、なかなか原稿をもらえない、というのはわかりきっていることなんです。
それで、お願いしに行ったときに、バラの花を44,5本買って持って行った。
「書いてください」と言っても、ああそうかって本気では相手にしてもらえません。そのとき、
「私は先生が大好きで、石原慎太郎さんの『太陽の季節』を最初のページから最後のページまで全部暗唱できます」
と言ったんです。
――『太陽の季節』というのがデビュー作で、芥川賞を取ったんです、石原慎太郎が23歳くらいの時だったと思います。
それからもう一つの小説も今、ここで全部暗唱できます、と言った。
それで、いきなり石原慎太郎の『太陽の季節』という小説を、本人の前で、暗唱で喋り始めたわけです。ダーッと、暗唱していった。
そしたらね、石原慎太郎が、
「わかった、わかった。いいよ、お前は最後まで全部言えるんだろう。お前の所で書くよ」
って仕事をもらえたのです。
原稿をもらうために、小説2冊、丸々覚えちゃうんですよ。普通、しませんよ。小説まるごと、暗記できますか? しようとも思わないですよね。思ってもできることじゃないし。
人の何倍も努力するんですね。本人は、いつも人の100倍、努力すると言っています。人の100倍です。
尾崎豊の本も編集してる人なんですよ。見城徹というのはね。
尾崎豊がCDを出して結構売れてる頃、たまたま街中で聞いて、凄いシンガーだ、このシンガーの本を出したいなと思ってね。それで、CDを買って、全部、聞いた。
その後、尾崎豊はなかなか会ってくれなかったんだけど、マネージャーが時間を取ってくれて、外の喫茶店でようやく会えた。
いやいや会っているので、尾崎豊は黙っていてあまりしゃべらなかった。それで、見城さんは仕方ないので一方的に喋ったんです。
マネージャーは、「あんたの前に6社の出版社が来てるんだ」と。あんたが7つめだと言ってね。「多分、原稿を書くのはうんと先のことになるよ」と言われていたんです。
「それでもいいからちょっと時間くれ」と言って、喫茶店に行って、尾崎豊に、尾崎豊のそれまで出していたCDの全部の曲について、この曲はもっと歌詞はこんなふうにしたほうがいいとか、アレンジはこうしたほうがいいとか、全部言った。この曲はこうだ、この曲はこうだって、勝手にね。音楽は知らないですよ、見城徹さんは。でも、自分なりに感じた事を全部、伝えた。
「僕はこう思う。だからあんたにこういう本を書いてもらいたい」
尾崎豊は、面白いんだか面白くないんだか黙って聞いていて、あまり相槌も打たなかった。だけど、言うだけ言って、話し終わって、ぜひ考えてくださいと言ったら、尾崎豊はうんともすんとも言わないんだけど、見城さんが帰るというとき、通りまで送ってくれて、タクシー拾ってくれて、見送ってくれた。
帰った。
それからしばらくしたらマネージャーから電話があってね、
尾崎豊があんたのところで書くと言ってる、と。
前の6社は全部飛ばして、あんたを一番先に書くと言ってる、と。
それから実際、尾崎豊は残念ながら若くして亡くなっちゃうんですけど、亡くなるまで本を出すときは全部、見城徹さんの編集でしか出してないです。
見城徹さんは、熱い人なんだよね。
今回の質問者は「気持ちが上下する」と言うけど、見城さんはいつも上なんです、いつも高ぶってる。いつも熱いです。
僕が見城さんと会ったのは若いときでしたけど、僕のような若手の物書きでも、本当に、心から、誠心誠意、話してくれて、誠心誠意、いい記事になるように協力してくれた。
「何時でも構わないから、どんなことでもいいから電話くれ」
って携帯の番号を教えてくれてね。
「俺は夜中の1時でも2時でも3時でも起きて、電話に出るから、協力するから」
って言っていた人なんですよね。
ものすごい印象に強く残る人でした。
今もずっとその姿勢を貫いてるんですね。
仕事に一生懸命に向かうというのは、それくらいのことなんだろうと思うんですよ。
42年間、365日、食事はすべて外食で、常に誰かと仕事の話をしながら食べる。本当に人生を、本を出版することに捧げていますよ、全てのエネルギーをね。
そのへんまで、一生懸命やったら、どんな人でも本物になるだろうなっていうふうに思います。
一生懸命になる、というのはそういうことだと思うんですよね。気持ちを上げるというのは、そういうことだと思うんですよね。
見城徹さんの生き方を思うと、人はなんでもできるんじゃないかっていう感じがします。
うちにも見城さん自身の本が何冊かあるけどね、ミクシィの社長との対談集なんかもありますけどね、一貫していつも同じようなこと言ってるんです。
「苦しくなければ仕事じゃない。仕事は苦しくて当たり前、ストレスまみれになって当たり前。それが仕事じゃないか」
と言っています。ストレスがない仕事なんて、仕事って言えないよ、と。
多分、彼は、1人で100人分くらい働いてるんじゃないかと思うんですよ。
だからみんなも、一生懸命仕事をやるというときにね、誠心誠意尽くすというときにね、そうやってやる人もいる、ということを考えたら、気持ちを上げたり下げたりしているどころじゃないんじゃないかな、というふうに思うんですよね。
どこまでも相手のために、あるいは目的を達成するために、努力を惜しまない。
石原慎太郎の本、完全に最初から最後まで覚えるのに、どれくらい時間かかったんでしょうかね。1冊じゃないんです、2冊覚えていったんですよ。
「私は、貴方にぜひ、ものを書いてもらいたいです」という熱意の根拠がほしい。その根拠を作るために、小説を2冊まるごと覚える。
まあ仕事はできる人ですよね。頭がいい、心が深い、本が読める。
見城徹さんは僕の原稿を読んで、褒めてくれました。嬉しかったですね。ただ何ていうのかな、偉い人ですけど、偉くなっちゃいましたけど、この人には何でも相談できるんじゃないか、なんでもやってくれるんじゃないか。出版と編集絡みのことだったら何でも言う事を聞いてくれるんじゃないか。そう思わせるものがあります。本当にフランクです。人を選ばないです。
尾崎豊が薬をやって事務所を解雇されて、レコード会社からも見放されて、住むところも無くなっちゃったようなときがあるんですね。そのとき見城徹は100パーセント保護して、ずっとついて、立ち直るまで、世話をし続けた。自分のところで出版させてもらったその見返りじゃないけど、そういう個人的な関係を続けていた。村上龍ともずっと個人的な関係までいっていますよね、編集者と作家の関係じゃなくて、人間として大切な人という関係。そういうふうに次々なっていっちゃう人なんです。
なんて言うんだろうな。仕事を一生懸命やったら、自然とそうなっていくんじゃないでしょうかね。
そういう、一つひとつの、気持ちが上がったか下がったかなんて、どうでもいいんじゃないでしょうかね。もっと大きいところを見たほうがいいんじゃないでしょうかね。
自分は、何を、どう達成したいのか。
その間、いいこともある、悪いこともある、成功することもある、失敗することもある。結果として、1日の午後からの仕事だけじゃなくて、どれだけのことを成し遂げたか、それだけが尊いことなんじゃないでしょうかね。
なのはなファミリーの建築の作業では、いま倉庫を建てています。毎日、作業があると思うんですよ。セメントを打ったり、鑿で木を削ったり。1日で終わることじゃないですからね。
手をつけてから完成させるまで、みんなとどう協力して、自分がどれだけ心を砕いて働いて、どれだけいい倉庫にしたいのか、したくないのか。そのことが大事なんじゃないかと思うんです。
もし見城徹さんがここにいたら。みんなと一緒に、入居者の1人として入っていて、野菜やろうと言ったら、野菜の本を、もう、可能な限り読み漁るんじゃないかと思いますよ。可能な限り。本当に良い野菜にするべく、100パーセント力を尽くすと思うんですよ。
そのために自分の時間を全部、捧げると思うんですよ。
彼がなのはなファミリーの台所仕事を任されたら、みんなに美味しい料理をたべてもらうために、100パーセント力を尽くすと思うんです。
何にでも100パーセント、力の限りを尽くすんです。
1日2日のことじゃないですよね。
それくらいの息の長さで、飽きずに、ゆるまずに、ずっとやりつづける。
それがいい生き方をする、コツだと思いますよね。
で、ただ、たまたま見城徹さんは、出版社で編集者という、これも良かったんでしょうね、適正があったんでしょうね。作家という人間と会って、自分の人間味と作家の人間味とをぶつけあっていいものを産み出していけた。
それより何より、なにを書くか。日本の読者にどう読んでもらうか、それを一生懸命考えて、本当に適切な、読むに値する本をたくさん出版してきた。
見城さんは今67歳です、僕より4つくらい上です。彼が手がけたベストセラーは、400、500冊あります。今、日本に生きている編集者の中で、間違いなく一番たくさんベストセラーを出した編集者です。
彼のことを考えると、本当になのはなファミリーだってどうとでもできるんじゃないかと思えてきます。
彼くらい努力したら−−。彼くらい本当に死にものぐるいで考えて、答えを出したら−−。なんとでもなるんじゃないか、というか、どれだけでも高みに持っていけるんじゃないか。そう思えてしょうがないんですよね。
僕もここまで全力で、なのはなファミリーを作ってきました。でも、僕なんか彼の努力からしたら、まだまだ努力足りないですよ。
それを考えたら、周りの人が上がったか下がったか、自分の気持が上がるか下がるか、関係ないですよ。ちゃんとやるんだという目的意識をしっかり持って、どこまで頑張り通せるか、というか、死ぬまで頑張る。
見城徹さんは、「失敗する仕事は無い」と言っていますよ。「負ける喧嘩はしない」と言う人と一緒。勝つまでやめないから。うまくいくまでやめないから、うまくいかない仕事はないと、そう思えばいいんじゃないでしょうかね。人間関係だってそうですよ。いい関係にしようと思ったら、その人間関係が良くなるまで諦めない。
ちょっとやそっとで人間なんて変わらないし、ちょっとやそっとでいいふうになんてならない。難しいから頑張れる、やり甲斐もある。自分づくりがね。だめな自分を良い自分にする。死ぬ気で、いい人間に、いい自分になるまで頑張り通せばいいんですよ。
(2018年4月20日掲載)